「男はつらいよ」独尊論/第13作「寅次郎恋やつれ」
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作品データ
監督/助監督山田洋次/五十嵐敬司
脚本山田洋次、朝間義隆
ロケ地島根県津和野・温泉津
公開日1974年(昭和49年)8月10日
上映時間104分
動員数194万4000人
配収8億7000万円
主な世相・台風16号で多摩川決壊
・宝塚歌劇で「ベルサイユの薔薇」初演

キャスト
マドンナ吉永小百合(未亡人/歌子)
主な出演 ・宮口精二(歌子の父)
・高田敏江(旅先の女/絹代)


寅次郎を巡る主な出来事

・ 寅次郎が重大発表をするが、お粗末な結果となる。
・ 旅先でマドンナ/歌子と再会する。
・ 歌子がとらやにやって来て居候生活を送る。
・ 歌子が父親と仲直りして実家に帰り、寅次郎の恋は一巻の終わりとなる。

◇ ◇ ◇

冒頭の夢

桜の季節。石段を登る嫁入りの一行。嬉しそうにとらやに掛け込む寅次郎・・・。

寅次郎:「櫻、あんちゃんとうとう嫁さんもらったぞ! ほら、この人だ。・・・どうした? おいちゃんおばちゃん に何かあったのか?」

だんご屋の格好をした博が答える。

博:「兄さん、遅かった・・・。去年の秋、ふとした流行り病で、枕を並べるように二人とも・・・。 なぜ、なぜもっと早く帰って来てくれなかった!」

裏庭の墓の前で・・・。

「おいちゃん、おばちゃん、俺だよ、わかるかい? 寅次郎が帰って来たんだよ。今度は一人じゃ ないんだよ。嫁さん連れて、帰って来たんだ。俺が帰って来るたんびに、早く嫁をもらえ、早く所帯を 持てって、心配してたじゃないか。だから嫁さんもらったんだよ。おいちゃんおばちゃんの、喜ぶ顔 が見てぇと思って・・・。それなのに、それなのにどうして死んだんだ。なぜ死んじまったんだよ!」

・・・・・電車の中で隣の人に押されて目を醒ます寅次郎。

◇ ◇ ◇

ストーリー

寅次郎が旅先からとらやに帰ってきた。寅次郎の話によると、どうやら寅次郎は旅先で結婚を約束した 女性(絹代・高田敏江)がいるようである。夜汽車で疲れた寅次郎は、夜に重大発表すると言いいながら二階で昼寝を する事にした。

夜、家族全員が期待する中でいよいよ寅次郎の発表が始まった。しかし、話をよく聞いてみると 結婚を約束した訳ではなく、それどころか手も握った事がない関係との事だった。またいつもの片思い かと家族は飽きれたが、寅次郎に言わせるとみんなの意見を聞く為にとらやに帰ってきたのだという。 絹代には子供がいるが、数年前に亭主が蒸発して今は未亡人同様の形となっているらしい。 櫻とタコ社長が寅次郎に付き添い、とりあえず絹代に会いに絹代の住む温泉津まで行く事となった。

三人は温泉津に到着した足で早速絹代の家に行った。絹代は仕事中だったが、寅次郎が来た事に 気がつくと大喜びで寅次郎に駆け寄った。その光景を見ていた櫻とタコ社長がほっとしたのもつかの間、 三人は失踪していた亭主が帰ってきた話を絹代から聞かされるのであった。複雑な気持ちの 寅次郎ではあるが、寂しさを堪え絹代といっしょに亭主の帰宅を喜びあった。その翌日、櫻がまだ 寝ている間に寅次郎は書き置きを残し、一人で宿を後にした。

津和野を旅する寅次郎は小さな食堂でうどんを食べていた。そこへ一人の女性が店に入ってきた。店のおばちゃんと 女性の話し声を耳にした寅次郎は、その女性の聞き覚えのある声に思わず顔を上げた。そして二人は 顔を合わせ、お互いに驚きあった。その女性は寅次郎の知り合いの歌子(マドンナ・吉永小百合)だったの である。二年ぶりに顔を合わせた寅次郎と歌子は懐かしみを感じ、歌子は思わず涙をこぼした。

寅次郎が亭主の事を聞いたところ、歌子の亭主は少し前に病気で亡くなったという。歌子は亭主の 実家に住んでおり、なんだか元気がない様子だった。心配になった寅次郎はしばらく津和野にいよう と思ったが、歌子は自分の為に寅次郎を釘付けにするのは悪いと思い、寅次郎の好意を断った。

10日程経ってから寅次郎は柴又に帰ってきた。あれから歌子の事がずっと気に掛かり、顔がやつれて すっかり元気がなくなっていた。おばちゃん曰く、そういうのを昔は"恋やつれ"と言ったそうである。 夜になり、例によって些細な事で寅次郎は怒りだし、家を飛び出そうとした。そこへ歌子から 電話が入り、今柴又の駅に来ているという。歌子からの電話だと知ると寅次郎の態度が突然変わり、 お茶だの何だの色々言い始めた。

数年ぶりにとらやにやって来た歌子を家族全員で歓迎し、みんなで食事をした。歌子の話によると、 歌子は東京で仕事をしたいらしく、その事で姑と喧嘩して家を出てきたらしい。おばちゃんの提案で 歌子はしばらくの間とらやの二階に居候する事になった。この時点で寅次郎が歌子に惚れている事は 言うまでもない。

歌子には一つ問題があった。それは結婚を反対した父親に結婚してからまだ一度も会っていない事である。 亭主の葬式にも父親は顔を出さず、葬式が終わったらすぐに帰ってこいとしか言わなかったらしい。 東京に帰ってきた歌子はそういう事情の為、自分の家に寄らずに真っ先にとらやに来たのである。とらやのみんながその事を 心配していたおり、寅次郎が歌子の実家まで出向いて父親に対して歌子に謝るように言った。しかし 父親は謝るのは歌子の方だと言い張り、話は決裂してしまった。寅次郎がとらやに帰ってみんなに その事を話すと、寅次郎の行動に対してみんなから非難ごうごうだった。

そこへ歌子の父親がとらやを訪ねてきた。寅次郎に対してさっきの態度を謝り、ついで銭湯から帰って きた歌子にも今までの事を謝った。歌子は感激して涙を流し、これを切っ掛けに歌子は実家に戻る事となった。 同時に寅次郎の恋が一巻の終わりとなるのであった。

◇ ◇ ◇

見所と独尊的論評

第13作「寅次郎恋やつれ」は第9作「柴又慕情」の続編である。マドンナ・歌子も第9作と同じく吉永小百合さん が演じている。全48作品中、同じ女優が同じ役のマドンナを演じる作品はこれ以外にもある。マドンナ・リリーが登場する 第11作・15作・25作・48作シリーズと、マドンナ・泉が登場する第42作〜第45作・48作シリーズである。 これらの小シリーズは全部で8作品。単純計算で全体の1/6が小シリーズ作品という事になる。

ここで注目したいのは第48作が二つのシリーズ作品にダブっている点である。第48作は結果的には最終作品と なったが、その作品にシリーズを通して注目度が高いマドンナ・リリーと後半作品を支えたマドンナ・泉が出演しており、 最後を締め括る形となっている。これはドラマを超えたドラマであり、私流の日本語英語で言えば、つまりドラマチック という事になるだろう。48作までの経緯を知れば知るほど見事な脚本だという事がわかる。

第9作はマドンナ・歌子の結婚問題がテーマであったが、第13作は一転して夫と死別したマドンナの 生き方がテーマとなる。第9作では寅次郎のマドンナに対する強烈な恋心が表現されていたが、第13作 では"恋"に関する部分が曖昧な気がする。まず冒頭での旅先の女・絹代との一件であるが、寅次郎は基本的にあの手の女性に は恋をしないはずではないだろうか。途中から登場する歌子とのバランスを考えると絹代の一件は何だったのかと疑問が 残る。また、マドンナがとらやから実家に戻るという事が寅次郎の失恋の理由というのも今一つ腑に落ちない。 とらやから出ていくマドンナはこれまでの作品でも何人かいたが、それらのマドンナには必ず恋人や 亭主の影があり、寅次郎でなくとも泣きたくなるようなシナリオであった。そこだけを考えると この作品の寅次郎の"恋"の部分は何か蚊帳の外のように感じられる。

この作品は未亡人の心の葛藤と、その未亡人と実の父親との心の接点がテーマである。このテーマを考えれば笑ってばかりはいられない。 肉親でありながら憎み合う家族は世の中に沢山いる。肉親であればこそ強烈に憎み合うという場合もあるだろう。「悪かった」という 素直な一言がどれ程人間関係にとって大切な事か。これがこの作品の最大のポイントであり、 一番言いたい事なのではないだろうか。

この作品は松村達雄さんがおいちゃん役で登場する最終作品である。松村達雄さんのおいちゃん役は第9作から始まっている。 第9作を初めて見た時はそれまでのおいちゃん役だった森川信さんからの交代により、最初は相当な違和感を感じた。 しかし松村達雄さんのおいちゃん役にも独特のおいちゃんの味がある。例えば寅次郎との喧嘩のシーンでは松村達雄さんの おいちゃんは怒りの中にどことなく茶目っ気がある。寅次郎の方も何かあるとすぐに松村達雄さんの"足"を攻撃する。 どういう経緯で"足攻撃"が始まったのかはわからないが、これも茶目っ気の一つである。

第13作は「男はつらいよ」の中に小シリーズがあるという事をアピールした作品である。第9作を見ていない観客は感動が 半減したかもしれないが、最初から第13作は第9作を見た人を対象にしていたのかもしれない。もしそうだとすると、それはシリーズとしての 確固たる自信であろう。私はこの作品でいわゆる初期作品が完了したのではないかと感じている。次作品からはおいちゃん役が 下條正己さんに交代となる。下條正己さんは三代目のおいちゃんであり、シリーズ最後のおいちゃんでもある。

次作品以降、30作代の作品まで長い中篇作品が続く事になる。第13作は「男はつらいよ」の初期作品としての年輪を深く 刻み込んだ作品だと言える。



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