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第11作「寅次郎忘れな草」はマドンナに照準を合わせた作品である。これまでの10作品では
第7作、8作、10作を除いてマドンナには恋人に近い存在、もしくは夫がいた。多くの場合、寅次郎は
その恋人の存在を知らずにマドンナに惚れてしまい、最後に手痛い思いをしてきたのである。7作は
少し方向性が違うとして、第8作、10作のマドンナは一度は結婚して子供も産んでいる。これらの事を考え
ると、11作のマドンナの性質はシリーズ始まって以来の重大な方向転換であると言える。その裏付けとして、
マドンナが清純な女性ではなく、寅次郎公認のフーテン女であるという事が挙げられる。本来ならば寅次郎は
この手の女性には興味はないはずである。しかしフーテン同志であればこそ、お互いの気持ちが通じ合うという
部分もある。この点がこの作品の最大の特徴ではないだろうか。
この作品で使われているロケ地は北海道網走である。第5作でも北海道がロケ地として使われているが、
11作のように北海道の大自然は表現されていない。11作では大自然の中を壮大なBGMに載せて
寅次郎が歩くシーンがあり、このシーンは寂しげな旅情を堪能できるシーンである。野原に寝っ転がる寅次郎、
牧場、夕日、夜汽車・・・。これらのカットを見るたびに思うのは「男はつらいよ」の奥の深さである。
この奥深さは何度ビデオを見ても未だに私はうまく表現できない。
この作品を見てて面白い事に気がついた。マドンナ・リリーと寅次郎が初めて会うのは網走のどこかの橋の上
である。二人は近くの港まで歩き、漁に出る漁船を眺めながら座って話をする。すぐにマドンナが仕事の
時間となり、二人はそこで別れるが、地面に座って話をしていた為にマドンナの白いズボンの尻が
少し汚れる。これは浅草名画座の劇場で見て初めて気がついた事であるが、その後マドンナがとらやを
訪ねて来た時も同じ汚れがズボンに残っているのである。これは、マドンナがフーテン女なのでズボンの洗濯など
マメにできないという事として解釈すれば良いのだろうか。たとえこれが演出ではなく偶然だったとしても、
そこまで考えるとさらにこの映画が楽しめる。
第11作には興味深いシーンがある。それはタコ社長の工場で働く水原君と恋人めぐみちゃんとの
絡みである。同郷を理由に、近所で働くめぐみちゃんが工場で働く水原君を度々訪ねてくる。お互いに
好き合っている事は一目瞭然である。しかしお互いに言い出せない。結局は水原君が江戸川土手で
告白する事になるが、この告白のシチュエーションは第39作「知床慕情」を連想させる。周りに座り込んでいる
仲間に対して一旦背を向け、その後振り返って告白する。第39作の告白シーンは11作の江戸川土手のシーンを
モチーフにしているのは間違いないだろう。
特記すべき点として、前作までのマドンナを全て回想するシーンがある。このシーンはとらやの団欒シーンの
中に出てくるが、このシーンを初めて見た時は無性に感激した覚えがある。やはり過去の作品を思い出させて
くれるシーンはファンとしては嬉しい事である。寅次郎が浅草雷門のすぐ前で売をしている点も見逃せない。
浅草は渥美清さんが喜劇役者としての基礎を築いた場所でもある。その浅草で映画俳優として成功した渥美清さん
がロケをしている時の気持ちはどういうものだったのだろうか。これは非常に気になる点である。余談ではあるが、これを書く
しばらく前に雷門に行き、寅次郎が売をしていた場所に実際に立ってみた。特に新しい発見はないが、何か不思議な
感覚になったのを覚えている。
第11作は笑えるシーンが少ないように思える。ビデオで見てもそう感じるが、劇場で見た時はさらに強く
感じた。笑えるシーンを挙げればとらやの団欒シーンで寅次郎が博の真似をして口を尖がらせ、「もうちょっと
気を使って下さい、兄さん」というあたりだろうか。法事の一件で夜になって寅次郎とおいちゃんが
喧嘩しているところも面白い。この喧嘩のやりとりは何か現実味があり結構笑える。
この作品の見所はやはりマドンナ・リリーの生き方であろう。同じフーテンでも寅次郎との境遇の
違いも見所かもしれない。リリーが酔っぱらってとらやを訪ねた時に寅次郎に向かって吐いた言葉にもあるように、
寅次郎には「とらや」という帰るべき家があり、またそこで待っている人達もいる。しかしリリーの帰る先は安
アパートで、待っている人などいない。寅次郎がリリーのアパートを訪ねてみたが、リリーは既にアパートを引き払って
おり、リリーが昨日まで使っていた小物が部屋中に散らかっている。これを見た寅次郎は一人暮しの寂しさをひしひしと
感じ、そこで初めてリリーの気持ちがわかったに違いない。しかしラストでリリーは結婚し、千葉の寿司屋の女将となる。
この点は寅次郎が考えている以上にリリーは強かでしっかりした女である事を表現している。これらを考え合わせると、この作品は
マドンナ・リリーを通し、女性の強かさ、弱さ、そして自立心を表現しているのではないかと感じる。リリーの出演はさらに
第15作へと続く。
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