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第10作「寅次郎夢枕」は非常にメリハリのある作品である。寅次郎の改心からいつもの喧嘩に発展し、
郷愁の信濃路、そして再び柴又へと舞台が移る。さらに大学教授・岡倉先生の登場から一騒動の末のマドンナ・お千代坊
と寅次郎の再会。この逆転劇の連続は山田洋次監督ならではの持ち味であり、まさに人情喜劇と言える
のではないだろうか。序盤から中盤への起伏の激しさは、やがてラストシーンの寅次郎とマドンナの恋のすれ
違いに絶妙に発展していく。
この作品の冒頭では「お転婆のさっちゃん」という女性が花嫁姿で登場する。この花嫁、実は源公役の佐藤蛾次郎さん
の奥さんである。山田洋次監督の計らいにより、結婚直後の佐藤蛾次郎夫妻に対して奥さんを花嫁姿で映画に出演
させたのである。これは「男はつらいよ」を象徴するかのような粋な演出である。
第10作は第9作に引き続き舎弟の登が登場する。再会場所は同じく旅先の宿である。9作との違いは、
9作が登が書き置きをして去るのに対し、10作は寅次郎が書き置きをして去っている。10作
では久しぶりに二人の売のシーンが見られる。しかし登が寅次郎の舎弟として出演するのはこれが
最後であり、次回の登場は遥か12年先の第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」となる。12年後の登は女房と
子持ちの堅気であり、それが登のシリーズ最後の出演となる。シリーズ初期の登の存在は寅次郎の
フーテンぶりをさらに強調する事に一役買っていたのは間違いないだろう。
この作品の見所は大きく三つある。一つ目はお千代坊の我が子に会えない寂しさと悲しみである。別れた亭主が引き
取った息子と再会し、お千代坊が「僕、大きくなったわねぇ・・・」というセリフには思わずジーンときて
しまう。「もう行くの?」、というセリフには「ずっといっしょに居たいのに」という気持ちがありありと表現
されており、少ないセリフにもかかわらず痛いほど感情が伝わってくる。我が子に会えない親の気持ちが
どれ程のものかはわからないが、片腕をもぎ取られる以上の痛みと悲しみである事は間違いないだろう。
短時間ながらこのシーンではその心境が見て取れる気がする。
二つ目は一つ目の延長で、寅次郎がお千代坊を元気づけてやろうとするシーンである。子供の話題に触れない
ように注意しているはずが、新聞やテレビを見ると子供の話題ばかりが登場する。第2作でも同様の喜劇は
見られたが、10作の方が緊張感があるように感じる。その違いは親を思う子の気持ちと子を思う親心との差
かもしれない。いや、第2作では寅次郎が張本人だったから緊張感がなかったと言う方がすっきりするかも
しれない。しかしこのような悲劇的な場面も寅次郎の言動で一瞬のうちに喜劇化してしまう。そして
このシーンは単なる喜劇ではなく、喜劇と悲劇の間の人情が絶妙にバランスをとっているように思える。
三つ目はやはり終盤の寅次郎とマドンナ・お千代坊との亀戸天神での会話である。寅次郎の話を寅次郎の
気持ちとして聞いてしまったお千代坊の態度と顔つきが実に良く撮れている。寅次郎からのプロポーズだと勘違いした
お千代坊が嬉しさと迷いで橋の欄干を指でなぞるシーンなどは女心が実にうまく表現されている。しかしお千代坊
の勘違いに気がついた寅次郎が腰を抜かすとすぐにお千代坊は自分の言った事を撤回する。この辺はシナリオの
逆転劇の見せ所でもある。参考までにこのシーンの雰囲気は以下のような感じである。
寅次郎: 「イヤかい?」
お千代: 「イヤじゃないわ・・・」(欄干を指でなぞる)
寅次郎: 「じゃあいいのか?」
第10作はこれまでの作品と較べると異色である。これまでのシリーズではことごとく寅次郎のマドンナへの
思いは空振りに終わっているが、この作品は結果的に寅次郎がマドンナに惚れられているのである。どの作品
もそれぞれ特色はあるが、寅次郎がマドンナに明確に惚れられるというのは「男はつらいよ」の柱が一本増えた事に
等しい。以後の作品でもマドンナが寅次郎に恋愛感情を抱く作品が登場する。しかし10作ほど
マドンナの恋愛表現がはっきりした作品は他にないだろう。
もう一点異色だと感じるのは寅次郎が恋の指南役となる点である。この点も前作までには見られないシナリオである。シリーズが
終盤に近づくにつれて寅次郎は恋の指南役に徹するようになる。その原型がこの作品ではないだろうか。
この作品は記憶の奥深くに残る印象的なシーンを多く含んだ作品である。そして寅次郎がマドンナに惚れられる
最初の作品として記念すべき作品でもある。最後になるが、この作品の冒頭の口上は前作までの作品とは少し違う。
前作までは、「わたくし、生まれも育ちも・・・」で始まり、「・・・フウテンの寅と発します」で終わる。しかし
この作品の場合はさらに続きがあり、「右に行きましても左に行きましても・・・」、と続く。このような思考錯誤
の繰り返しと微細な変化が「男はつらいよ」を継続させていた理由の一つではないだろうか。
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