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谷川岳

土合〈8時ころ)山頂〈11時半ころ)天神平経由で土合に下山〈13時)

新雪の西黒尾根というと、高校二年の頃を思い出す。

その前の週に、親父と棒の峰に行って、山頂で他のハイカーが「来週は谷川行くんだよなー」と言うのが聞こえた。暗に、今日はこんな奥武蔵のハイクしてるけど、実は俺は本格的登山もするんだ。ここらにいる、ハイカーとは違うんだ。と、言っているように聞こえた。
そして、次の週末までに、沼の心に沸々とわく闘志。

ということで、翌週の文化の日は、早朝、暗いうちに家を出て、自転車で南古谷までいき、当時ディーゼルの川越線に乗り、大宮駅で7時の特急トキに乗った。車内は連休で満員の為、通路立ちだった。あの当時、禁煙車などあろうはずも無く、天井の下は煙草の煙で煙っていた。そんな中、沼田を過ぎると小豆色の紅葉の上に新雪の帽子をかぶった谷川岳が見えた。乗客からいっせいに、「ウォー」と感嘆のどよめきが起こる。俺は、あそこに行くんだ。内心、少し不安の沼であった。

西黒尾根をジョギシューで駆け上がり、登山者ごぼう抜きだった。それもそのはず、そのころ毎日、森野君と放課後10km走ってトレーニングしていたのであった。〔高校から伊佐沼まで1,5km、一周2,3kmの伊佐沼を三周して高校まで戻る:二周目はストップウォッチでタイムアタックしていた))〈森野君:そのころ野球部を辞め、体力をもてあまし、私が走るのに誘うと、この秋から伊佐沼走ろう会を勝手に結成し毎日練習していた)

登山をする人は、日頃、このぐらいトレーニングしているんだろうと思っていた。それが、どうも違うんじゃないの、と感じはじめるのに、さほど時間はかからなかった。新雪は3〜5cm。 下山後、肌寒い水上駅のホームで濡れた靴下〈毛糸)が冷たかった記憶があるが、なぜかほくそえむ快挙だった。
最後は暗闇の中、南古谷から自転車に乗り、家に向かいながら、長かった一日だったと、感じた。


今回、山頂直下では雪訓をする団体が居たりと、大変賑わっていた。西黒尾根も、雪が出だしてから皆アイゼンをつけるが、私は付けなかった。冬山訓練として付けることには価値があると思う。沼は、岩場でキーキー滑るのが嫌いなんです。

西黒の登りより、逆に登山者が多く踏み固められた天神尾根の下りの方が、雪も緩み滑った。

突然、ピーピーピー?だれだ、藪雪のなかでビーコンのトレーニングしてるヤツは。
天神平は、まだリフトは動いておらづ、ボーダーが数人登っては滑ってた。最近まれに見る、雪の遅さだ。
ロープウェイの下山駅まで歩いて降りると、新しいゴンドラ発着駅が駐車場の最上階に建設され、鉄塔はいままでの対岸斜面に建設中だった。