2001/12/13()

                           

新河岸川を歩く

昔、江戸と川越の間に新河岸川の船便があったのは有名な話。では、うちの近くを流れる新河岸川は隅田川と繋がっている、もしや、新河岸川がそのまま隅田川になるのか?   

それを、調べるべく、冬枯れの新河岸川を銀座目指して、詰めてみました。        

南古谷を7時半に出る。駅を通りこし、九十(ぐじゅう)川にでて、土手を南下。これは新河岸川の支流であり、伊佐沼が源です。狭い橋を渡ろうとすると、黒い犬を連れた茶髪のギャルと橋ですれ違う。こういった場合、必ず犬を私の側に向ける。「変なおじさん」にしか見えないのだろう。新河岸川の合流点に着くと,堰の工事中だった。

         

このあたり、冬鳥の楽園だ。しばしで、古市場に出る、ここには旧回漕問屋「福田屋」があり、見学できる。かなり行くと、河川が曲がり志木の町の中を通過。県立志木高校のギャルが下校、期末か?橋に,鳩が居たので写真を撮ると、ユリカモメが入り込んできた。志木までカモメが居るんだ。右岸から柳瀬川が合流すると水量増える。冬鳥〈鴨〉多し。

やっと武蔵野線をくぐり、荒川の土手と外環が見えてくる。新河岸川から荒川へ大きな水門があり、これは、新河岸川の洪水時ポンプで荒川に水を放出する為のものと記載。

荒川と土手一つで平走する為、荒川の右岸堤防を歩く。その内、荒川との間が開き、北区新河岸という住居地帯だ。やっと、店があり、ジュースと飯に有りつけた。12時7分。

左岸に新河岸小学校というのがあった。新河岸という地名は川越だけではなかったのか。

        

コンクリと防波堤の様な土手になり、そのうちクルーザーなども停めてあり、隅田川の様相。新幹線横切り、高崎線を横切ると、また荒川と平走。新河岸川は曲がっているという事だ。そのうち、旧岩淵水門(赤い水門)。かくして、真相は判明。「むかし荒川の本流は隅田川でした。ここで分かれるのが荒川放水路、新河岸川は隅田川の支流でした」そこに荒川治水記念館〈川本,裏山ダムにもあり見学済〉があり見学した。雨、本降り。もう、2時、赤羽から帰るか。

今回、以前荒川を歩いた時と比べるに、新河岸川には生活臭があった。ホームレスの住居、日本を支える働く中小企業の巣窟、冬鳥の楽園。ヘタな山登りより面白いかも?

                  




岩淵水門(右上から手前が荒川と荒川放水路。 中央で左に岩淵水門を経て左に流れるのが隅田川(元の荒川)
荒川の左の堤防沿いに上から細く流れてきて岩淵水門の直下で隅田川に注ぐのが新河岸川。)