初めてのオペ体験
「はじめてのおつかい」のようなタイトルですが。
朝8時半までにカミさん同伴で病院にいき、病棟に案内される。手術着に着替えて、静脈確保され点滴をする。今日の二番目のオペということで、予定時間は午後一ということであったが待機する。
11時半急に呼び出しがかかる。え、まだ心の準備が・・・「この期におよんで往生際が悪い」と、カミサン。ストレッチャーの上に載せられ、エレベーターで階下のオペ室に運ばれる。
先生がいて「沼さん、頑張ってください」といわれる。よ、よろしくお願いしますと、言うのがやっとで、内心は起き上がって逃げ出したかった。
控え室からオペ室に入れられ、横を向きエビの様に丸くなり、腰痛麻酔が他の先生(麻酔医)から施術。最初、周辺に浸麻するので腰痛麻酔じたいは痛くなかった。(このときは震えてるので看護婦さんが抑えてくれていた。ライオンに食われる鹿の心境でした)
そのうち臍から下が痺れだし、感覚がなくなった。その後、空虚な時間が流れ、もう手術やってんのか?(胸上に雑巾のような布があり足は見えなかった) 20分ぐらいたったろうか、誰か来た気配と周囲の看護婦が「お願いします」と礼をするので、これから、というのがわかった。そして、まったく触られてる感覚さえしないうち手術は終わった。先生が、切り取った神経腫を見せ「これです。癒着してまして、一部充血してました。これで、楽になると思います」という。(充血してるのは3日前、谷川岳に行ったせいかと、思った)
病棟に帰ってベットに数人で抱えられ降ろされる。
しかし、自分の腿を叩いても、それはまるで丸太を叩いているかのごとく、他の物体と化していた。
少し腰を動かそうとしても、鉛のように重く、それは無理だった。半身不随って、こんな重いんだ。
その後(15時ころか)、先生が来て、一泊するか2泊するか決めてった。2泊にした。
半日で麻酔は切れたが、その夜は、たいして痛くなく痛み止め不要だった。(翌日以降は飲んだ)
その日は、朝から食事はしてなく、点滴だけで腹が減った。しかし、体表の麻酔が切れても内臓の麻酔が残っている可能性があり、今夜食べると吐いてしまうことがあるので食事なし。と看護婦が言う。
6人部屋だったので18時ごろ、食事のいい匂いがしたが自分は無し。この屈辱の時間は、週刊誌をよんで気を紛らす。
21時に消灯であるが、23時ごろに抗生物質を点滴に入れるのと、点滴のチェックのために深夜も2時間おきに看護婦が、懐中電灯で見回りにくるという献身的な働きには、感心した。
ここで、病棟同室のメンバー紹介
右隣が、腰の痛いおじさんで、数日置きに6回腰に注射を打つため入院している。
その隣が、やはり腰の痛いおじさんで、こちらは長いらしく、手術後の回復を待ってるようす。二日目の午後は私服に着替え外出し、夕食までに帰ってきた。なんでも、たまには銀行も行かなくちゃいけないしね、なんて行ってた。
沼の斜め前は、片足がぐるぐる巻きで、胸にも包帯が巻かれている。オペ後一週間以内という感じで、無口で常に目線が下の、お兄さん。想像ですが、ありゃバイクですな。
目の前は、一日遅れで入ってきた30前後のソフト会社勤務サラリーマン。8月に自転車で肩を骨折し、それのボルト抜きオペのため入院。(このお兄さんは、コンビニ中毒らしく、午後入院するとすぐ看護婦に、コンビニを訊いてそこに外出し、手術当日も8;30ころ抜け出しコンビニに行っていた。沼には日に一回コンビニに通う必要性が不明)
いくら若い看護婦さんが目の保養になるからといって、酒もないし、さっぱりした病院食にも3日で飽きたのでありました。(注:おばちゃん看護婦のほうが、親身で心配してくれる気はする)
落ちが無い。。。それに、午前中支給されるホットタオル3ヶで体拭けるが、手術後しばらくは風呂なしのようだ。看護婦が、退院してもまだシャワーぐらいかな?という禁をやぶり、帰宅して風呂から出てビール飲んだときは、やっぱこれがいいと思った。(病院にも風呂はあり、長い人は二日に一回ぐらい順番が来るようでしたが・・・)
病棟って、看護婦が女だし、女の人には(先生以外)つまらない所だろうなと感じた。
子供の頃、行こうとすると腹が痛くなって行きたくなかった幼稚園。バス(園バスでなく路線バス)の送り迎えしてた若い先生が美人なのに気づいてからは、彼女に逢いたくて幼稚園に通ってた。(不純な動機)
病棟の看護婦さんと患者と手術の関係は、なぜかそれを思い出させるものでした。