知本主義の構築
F/1999-8-18
知本主義について、もう少し論評をしてくれとの依頼があったので、
検討したいと思います。
1.藩=企業と認識
江戸時代は、藩体制で藩に所属している武士は、全人格的に藩に所属
していた。このため、藩の考え方が個人の考え方を規定していたのです。
しかし、米国の会社は、個人と企業の間に契約があり、契約の範囲内で
企業に帰属しているのです。この契約という考え方が日本には、今でも根付
いていないために、個人の全体を企業に所属させようとしてしまうのです。
企業=藩体制ですね。
しかし、価値の安定した時代は、効率的な制度ですが価値の多様性が必要な
時、言い換えると時代の変革期には、この制度は社会を停滞させます。
2.変革期の個人は?
時代の変革期には左右両派での議論が多いし、歴史の節目だけしか、
日本では左右両派の議論をしていないのです。
時代や戦略変更期は、なぜ議論するかというと、議論することによって
新しいアイデアを生み出す可能性が高いのと、いいアイデアが議論をする
ことによって、精緻になっていくためです。
このため、社会全体がそれまでのいろいろなタブーを乗り越えて、社会制度や
仕組みを見直すために、激しい議論や他国の制度を研究することになります。
そして、いつもこの議論の中心に優れた個人がいるのです。
明治の改革期には、坂本竜馬です。
創造の中心は個人で、個人の価値基準が明確な人が、その価値基準
で高い思想・主義・体制を生み出すのです。
よって、自己確立した個人がその美的センスで電脳資本主義(知本主義)
の構築をする必要があるのです。
一方で、目的が明確な安定した時代は、滅私奉公の方が効率がいいため、
議論を封鎖してきたのです。
戦後50年は目標が明確であり、その目標に効率的に
到達する必要があったため、GHQの指示をそのまま鵜呑みにして、経済
活動だけに邁進してきたのです。しかし、ここまで日本が大きくなると、
日本の国家観と国家戦略を明確化する必要がでてきているのです。
3.正常な議論可能な時期
日本の近現代史を見ると、左右両派が議論した時代は、限られているのです。
- 江戸末期から明治時代初期
- 大正から昭和初期
- 平成バブル崩壊から現在
この3回の時代背景を見ると、やはり戦略の変更期に当たるのです。
この時代変更期は、明治は欧米文化の吸収、昭和初期は国家軍事優先経済へ
国家戦略を変更した時代です。そして、現在再度日本国家の国家戦略変更期
になっているのです。
4.日本の戦略見直しのポイント
知本主義形成の基礎は、日本の文化に根ざす暗黙知をどう形式知化して、
いき、それを世界にどう伝えていくかだろう。この1つの試みが松下哲学を
世界の関連企業従業員に教育している姿だと思う。それと日本の暗黙知を
引き継いでいく仕組みを現代化することであろう。
日本文化の根本にある日本神道の根幹精神に切り込み、形式知化を
試みる必要があると思う。この上で日本に不足している形式知の扱い方を
欧米から導入し、その知の増幅を促す組織を検討することであろう。
4.民主主義の防衛とは
このごろの国会を見ていると、民主主義が日本に根付いていないことが
わかる。
民主主義を守るという新聞や政党まで、憲法議論を禁止しようとして、
正常な民主主義を阻害している。民主主義とは、自由な個人が正しいと
思う意見を戦わせて論理的に正しいと思われる政策を選ぶ行為なのですから、
自由な個人の確立と意見を戦わせる場を設定することが民主主義を守ること
である。
しかし、意見が異なるグループがあることが歴然としていて、かつ
議論を封じることが正しいというのは、ファシスト党と同じですよ社民党さん。
この場で社民党は、今の憲法は正しいと主張すればいいのです。
国民は正しいと思う方に得票するので、社民党が正しかったら議席が
増えるのですから、いいことだらけなはずです。
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