死刑


   TT/1999-7-29

死刑の意味を理解する上で一番重要なのは、死刑の次の重刑である無期懲役と の関係だ。死刑の判決がでた事件と無期懲役の判決が出た事件を比べていき たいと思う。普通、判決は裁判官が出すものなのでその裁量の大変さも分 かってほしい。

(1) 死刑の刑法的意味と無期懲役の刑法的意味
死刑や無期懲役で一番多い犯罪は、「殺人罪」でその刑法上の刑は 「刑法第百九十九条」で「人ヲ殺シタル者ハ、死刑又ハ無期若シクハ三年 以上ノ懲役ニ処ス」となっている。
無期懲役は10年以上懲役し、服役者が改心し、その罪を償ったならば、 出所できる。でも、10年も経って出獄しても居場所がなかたりして大変 だったりする。

(2) 死刑判決の出た事件
ごく最近では「オウム真理教」関係の被告に多い。その中でも林 被告は、 事件調査に積極的に協力したことや裁判で多くの証言をしたことにより、 オウム関係では異例の「無期懲役」を判決された。この判決のコメントで 裁判官は「この判決は極めて異例で、他のオウム関係はこのようなことは ないだろう」としている。
また、死刑判決の出た典型的な事件として「愛犬家殺人事件」がある。
「この事件は、上田被告は筋肉弛緩剤を注射する方法で92年6月下旬から 7月30日ごろ、ペットショップの開設資金などをめぐるトラブルなどから 瀬戸さん、藤原さん、柏井さんの3人を長野県塩尻市内の農地に停めた車内 で相次いで殺害した事件。

この公判で大阪地裁の湯川哲嗣裁判長は、上田被告の無罪の主張を退けた うえ、「短絡的、自己中心的で、生命への尊厳の意識が欠如した無慈悲で 異常な犯行。(犬を安楽死させる)筋肉弛緩剤を使うなど冷酷、非道で、 残忍極まりなく、極刑しかない」と求刑通り死刑を言い渡した。」(19 98.3.20の毎日新聞から)
下の無期懲役の判決が出た事件と比べてほしい。オウムの場合は比べる対象 として特別すぎるので比べる対象にはできない。

(3) 無期懲役判決の出た事件
20年間ほど姿をくらまし、警察から逃げてきた「バーのママを殺した」 福田和子懲役囚がいる。
これも自分が判断するには特別すぎるので下のような事件で比べてみたい と思う。
「大阪市東住吉区で1995年7月、自宅に放火し、生命保険金目当て で小学校6年生だった長女の青木めぐみさん(当時11歳)を焼死させた として、殺人罪などに問われた母親の無職、青木恵子被告(35)の 判決公判が18日、大阪地裁であり、毛利晴光裁判長は求刑通り無期懲役 を言い渡した。」(1999.5.18の毎日新聞より)
ただし、この事件には、共犯の男性がおり、二人で犯行に及んだという。 判決では、二人とも「無期懲役」ということだった。
面白いことに極刑の一つに無期懲役でも死刑でもない判決がある。
その判決を受けたのは平成3年頃に起きた「連続幼女殺害事件」の宮崎 努 である。判決はまだ出ていないが「精神障害」として、施設行きが一時、 考えられた。
これは、この人の人生は精神障害者だから一生、施設に閉じこめておけと いうものだ。まぁ、諸外国で言えば、「終身刑」である。
「神戸の少年惨殺事件」のAは、「少年法」の適用により「死刑」にも 「無期懲役」にもならない可能性が高いと言われる。

(4) 死刑と無期懲役
死刑と無期懲役との間の境は刑法上、ないのだが裁判官の心情や裁量に 委ねられる所が大きい。
そのため、人を殺すこととなる死刑は判決を嫌がる面が多い。最近では、 多くの極刑たる死刑になりえる犯罪者たちが「無期懲役」になっている。
上の例に出した事件をみて、無期懲役と死刑の間には下のような関係が 成り立つような気がする。
1. 複数人で一人の殺人を行った場合は、「無期懲役」(ただし、複数人の 殺人であれば違う)
2. ある一定の残虐性がある場合は「死刑」、例えば、愛犬家事件のよう に薬物を投与して殺したなど
3. 計画性があるかどうかでも決まる。
でも、最後は、裁判官が被告をどう思うかに関わってくるだけだ。死刑も 無期懲役も決めるのは、裁判官の裁量だ。
よくある話だか、死刑の実行にあったて、法務大臣が死刑執行の印を押すの だがある法務大臣は、自分がいやだからという思いから在任期間中、一度も 押さなかった人がいる。これは、人権保護団体から良い評価をされた。 しかし、考えてみてください、日本の法律上では、法の権限である裁判所が 「死刑」の判決を出したときにそれを行政事務の権限である法務大臣がそれ を否定する権限は絶対に有していない。
無期懲役の場合、10年以上刑務所にいて、その犯罪について改心すると 多くの無期懲役刑は、刑務所から出ることができる可能性がでてくる。 このように「無期懲役」とは名ばかりで10年ほどで出てくる人も多い。 これでは、殺人者などを野に返すようなものだ。これでいいのだろうか?

(5) 死刑の問題点、無期懲役刑の問題点
死刑は、多くのところで論じられているように人を国が殺していいのかと いった疑問が多い。それに比べて、無期懲役は問題を指摘する声が少ない。 だから、「死刑」は「悪」で「無期懲役」は「良」になってしまうのだ。 無期懲役刑が極刑になった場合にその服役者は、一生外に出られない訳では ない。上で指摘したように10年ほどで出られる可能性が高い。いくら 人権だ人権だといって自由を勝ち取れとはいっても犯罪者を野放しにして いいのだろうか。人権擁護団体の多くが死刑廃止や死刑の執行に難色を 示しているようだがそのような判決になって、その判決が正しいと認められ たから死刑を執行するのだ。法を馬鹿にしたり、人権擁護だといって、 裁判の判決を覆す発言をすること自体、法治国家を馬鹿にしているように 見える。
ちょっと言い過ぎましたが要するに判決は判決なのだからそれを実行しない と判決を実行したことにならなくて、法治国家としての常識を破ることに なるのではないかということが言いたいのだ。
ちょっと脇道にそれましたが「無期懲役」は問題点が多く、「犯罪抑止力」 は小さいし、犯罪者の人権よりも被害者の人権や犯罪の再発を考えると 一考の余地があるように思う。そこで自分は、下の「終身刑」を提案したい。

(6) 終身刑の在り方
無期懲役の問題点の中で一生、刑務所から出られないわけではないという ことがあったがそれは、その人の人生で犯罪を自分から悪いと自戒したとき にかぎるらしいが多くの無期懲役刑は10年ぐらいで改心したと認められて、 刑務所を出ることが多い。
そのため、無期と言いながらも一生、刑務所に入っていて、そこで人生を 終わらせる人は数少ない。このため、殺人罪などにおける刑罰の多くを 「無期懲役」にした場合「犯罪抑止力」がまったく期待できないことを 意味している。
よく、世論で死刑は、国が人の命を奪うのかという疑問で議論になる。 しかし、死刑を廃止した場合に「無期懲役」のような甘い刑で犯罪が抑止 できるのだろうか?
前のように「無期懲役刑」は「10年以上懲役すれば、出所できる可能性 がある」という。このような刑だけで「犯罪」を防げることに疑問を感じる。 死刑の廃止をするならば、「犯罪抑止力」になる刑を設定することが 望ましい。そこで「終身刑」を考えついた。この刑を「死刑」に変わ る極刑としてみてはどうだろうか?
アメリカや諸外国の刑罰を見ていくと普通、極刑が「死刑」その次が「終身刑」 という制度の国が多い。終身刑とは刑務所に一生入っていることを意味し、 一生出られず終身刑囚に一生自由がないことを意味している。死刑の場合、 死刑の実行日まで拘置所内での自由がある一定数ある。それに比べて終身刑 の場合、そのような自由もない。だから、死刑より厳しい刑であるともいえる。
この終身刑を導入した場合、刑務所は金がかかるという意見もあるようですが 刑務所内でしっかりとしたものを作り出すように働かせれば、その商品を 売ることで「経費」をまかなうことができる。工場労働者やそれ以下の 危険物を扱う仕事などを一生やらせることになる。しかし、年がおいれば、 それなりに仕事を変えていけばいい。このような「終身刑」が「死刑」に変わってで きることを望む。

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