電脳資本主義の未来(2)


   F/1999-8-12

1.電脳資本主義とは
  今までの資本主義との違いは、グローバルな市場での競争になるため、 勝者の利益は馬鹿でかいものになることです。規模の経済なのです。
  しかし、地域マーケットの規模は小さくなります。このため、ローカル 企業は淘汰されるかグローバル企業になるかの選択が必要になります。
  織田信長の楽市楽座を世界的に行なっていると認識できるのです。
  製品価格の下落も凄まじいものがあります。公開セリ市ができて 全世界の業者が参加するためです。

2.勝者の考え方と今後の展開
  このため、デルのように最初からインタネット販売を指向した所が 価格競争に勝ち、コンパック等の既存販売店網の価格を維持するメーカ を負かすことができるのです。それとサービス範囲が世界全体と 広域です。
  インタネット・モールも商社系のモールはほとんどダメになっている が、個人が始めた楽天市場はまだ客が入っているようです。工夫の要素 が大きいのです。臨機応変な動きが重要です。
  ビジネスの環境が世界的になり、主に米国企業の日本進出が続くで しょう。それは、インタネットビジネスのソフトが米国の方が数段進んで いるためです。
  米国のビジネスサイトでは、最初英語、仏語、独語、スペイン語などを 選択して、つぎに進むものが多い。現在、米国企業は欧州の方を向いている が、そのうち日本をもターゲットにすることは火をみるより明らかである。

3.規制構造の変化
  場所が日本以外のサイトで、日本で禁止されている業務(たとえば 医薬品販売)等を実行しても、サイト廃止等の規制ができない。このため、 政治のグローバル化や国際法による規制が必要になるため、世界がここでも 統一化の方向にいくことになる。しかし、規制の基準は大幅に緩くなると 考えられる。

4.米国企業の日本進出
  日本語が1つのバリアになっていて、米国企業の進入を防御してきたが、 日本人が米国企業に入り、米国企業の日本進出の助けをするため、 この障壁も低くなってきている。
  このため、日本と米国の違いは何かを明確にして、日本が米国 とは違う面で勝たないと日本もこの分野のほとんどを米国企業に 占められることになってしまう。欧州の現状と同じになる。
  再度言うが、欧州と同じ米国支配の恐れが日本にも押し寄せている と考えたほうがいい。

5.日本と米国の違い
  日本と米国の考え方の違いを明らかにして、その方向に インタネット社会を持っていくことが必要であろう。
それでは、日本が今まで米国と競争できた理由は何か?
  日本は刀鍛冶からの伝統で経験を重要視する傾向がある。この 根本は暗黙知である。それに対して、米国は形式知である論理性を重要視 している。このため、日本は、実験を中心した思考方法をとるが、米国は 論理的に正しいものを試験するという思考になっている。

6.日米プロジェクトの差異
 コンピュータのソフトは、米国的思考方法の方が適している。
 日本の思考は、失敗を繰り返し成功に導くため、成功するまで時間がかかるが、 途中でプロジェクトを捨てない。
 しかし、米国は失敗すると、責任者が退職するため、そのプロジェクト まで無くなるか、変更される。
このような日米間の違いがあり、大型システムは日本に利があり、最先端で かつ小さいシステムは米国に利がある。
  今後、日米間の差がインタネットにも反映されてくるように思えるが どうか?
  インタネットの世界は、今まで個人や小企業が小さいシステムで商売を してきたが、今後は本命の大企業が参入し、そして大きなシステムが主流と なるはずである。
  この状況では日米プロジェクト運営の差異で、日本に有利になってきて いると判断できる。

   米国は多民族国家であるから中国人がいるはず。その人たち は、日本と同じ思考ではないのか?と
  どうも、考え方の違いは日中の間にもあるようだ。米中は理念の 国で思考方法が同じ。思考方法が同じため、中国人が米国で活躍している のです。

7.個人の活躍の時代
  どちらにしても、個人が活躍する時代になってきたようです。
今後、日本の個人が企業人である部分と個人である部分の2面を持って 活躍してほしいと希望を持っています。
  企業も個人の制限を緩くしてほしい。商社等では個人HPを禁止または 届出制にしていると聞くが。
  そうしないと、全体的には日本の質の方が米国の質より、上であるが、 有能な企業人のインタネットに積極的参加がないと、電脳資本主義で米国に 負け、日本社会の富を米国に持っていかれ、企業基盤も失われかねないのです。
  現に大学生の就職率が60%台になり、今後の成長分野がないと日本 企業は諦めているように見えるのですが、日本の均一性がその原因なのです。
  企業だけでは情報の多様性ができないので、個人の価値観の多様性 が重要なのです。企業が個人を解放すべきではないのでしょうか?

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