鳩山構想と今


   F/1999-9-12

  1954年に誕生した鳩山内閣は、現代の日本がやらねば ならないことを、先取りしていた。
しかし、米国の干渉により、その目的を果たせず、倒閣されて しまったのです。早すぎた改革は潰させるです。
  この鳩山一郎構想を見ておこう。

1.鳩山戦略構想
  党人派であった鳩山は戦後パージに合い、1952年まで 政治活動ができなかった。そして、52年パージ後に鳩山構想を 企画・作成する。
 その鳩山ドクトリンは、次の通りである。
 1.憲法は改正する。これは、必然的に社会党の弱小化と 政界再編成になる。
 2.日米関係をより対等で相互的なものに変える。
 3.政権交代可能な2大政党政治を復活させる。
 4.官僚優先の体制を改め、政治優先・国会優先の体制を築く。

 この政略図は、1952年当時に、鳩山等の党人派政治家が目指した 政治の姿なのです。今、現在の政治の方向性と同じ。今まで何を やっていたかが問題であるが。
 その後、1954年にスターリンが死に、フルシチョフが最高権力者 になった時、日ソ平和条約の交渉を開始したのです。これも今もって できていない日本の懸案事項である。
 この時、米ソは冷戦体制で、日本が中立化することは許させる状況では なかった。

2.鳩山戦略構想の影響範囲
 しかし、鳩山の次の石橋は3ケ月で退陣し岸が政権を引継ぐ。この当たり まで、鳩山ドクトリンは影響を与えた。この影響で、岸は日米安保を より平等な相互条約とするように手直しした。が、所詮、憲法改定 ができないので、平等な条約になるはずがなかった。

 岸が退陣した後は池田政権で吉田ドクトリンに戻り、冷戦時代は 吉田戦後戦略が日本の戦略の中心になってしまったのです。
吉田戦略は、日本を豊にしましたが、日本のプライドをどこかに 置いてきたように思います。

3.今後の構想実現に向けて
 この反省を込めて、鳩山の戦後戦略構想を見返して、52年 当時に構想があったことを知り、この鳩山構想を早期に日本で 実現することが必要です。
 なぜなら、吉田戦略構想の基盤と前提条件がなくなっため、 もう1つの戦後構想の鳩山構想に乗り換えるしかないのです。
  それもなるべく早く実現することが大切です。
 

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