教育問題の検討



 日本の今後の進路を考える時、教育問題を取り上げないのは
おかしいと指摘がありましたので、考察しよう。

 私Fの考え方を、このコラムを長く読んでいただいている読者の
皆様はわかると思いますが、正統保守主義的考え方(伝統主義+漸次
改善主義)です。

つい最近の読者の皆様は、次のコラムを読んでいただけませんか?
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/hosyu.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/jinrui.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/111109.htm

この考え方から、教育問題を見るとどうなるか?
明治維新で、江戸時代の寺子屋教育から近代的学校制度にした。こ
れは、欧米的な学校制度である。しかし、この制度はできたが、
まだ自由や伝統文化は教育の一環の中に存在した。

 しかし、太平洋戦争後日本文化を否定、伝統文化否定となってし
まって、自由で文化的と称する教育を実践してきた。自由をはき違
えて、基礎レベルの分数計算が大学生でも50%しかできないよう
になっている。この事実を示しても、大学生は個性だからいいと言
う。基礎レベルの計算ができないと、ちょっと会社での難しい事務
を解決できなくなる。これは問題でしょう。

 江戸時代の寺子屋の方が、読み書きソロバンができたのではない
かと思うぐらいです。江戸時代は町人が文化の全面に出てきた時代
で、平均的な町人は読み書きソロバンはできた時代なのです。
このレベルさえ、現代は到達しない可能性があるのです。
江戸時代は、日本文化の完成期で再度、江戸時代の再評価が必要だ
とおもいますよ。またまた横に逸れた。

 人間の頭は、10才まではシナップスの発達がそれほどでもない
ため、基礎的な教育に向いているのです。暗記型の教育でしょう。

 そして、中学校から論理力を付ける教育にすることが必要です。
論理力は、1つに数学の証明問題、もう1つがディベート・議論で
しょう。この時点で、基礎部分ができていなければ、補修を行うべ
きです。自由は、基礎ができてその上に積む時、自分の興味ある
分野の方が、習得が早くかつその分野で生活できるようにするため
必要なのです。その部分をはき違えているように、思うのです。

 考える基礎は何か?というと、日本人としてのアイデンティティ
です。議論の足場をしっかりしないと、欧米人と議論したとき、
負けてしまうのです。彼らは高校まで、よく自国の愛国的歴史や
自国の良さを教育されているため、唖然とするぐらい、自国の振る
舞いを弁護する。中国も同じだ。特にエリートたちはそうです。

 それに比べ、日本人は理論的足場がないため、ぐらぐらしている。
確固たる自分を確立するために、日本の伝統・愛国的歴史を教える
べきです。皆様も「国民の歴史」西尾幹二編を読んでください。

 自己否定の歴史観では、交渉できないことを日本人の大多数も気
がついてきている。しかし、小中高校の先生達だけが、そのような
経験を持っていないので、分からない。気の毒ですが、今この先生達
が日本をダメにしているように、感じます。勿論、藤岡先生のように
、そのことに気がつかれて、正常な歴史に修正する運動をしている
先生もいることは知っていますが、少数派です。

 日本を愛せない日本人が多いと、日本の存在を明るくできない。
明るくないと、発明・発見やその他の革新的なことが、日本では生ま
れない。少数の反日的人間がいてもいいが、大多数が反日日本人であ
るとか、一流新聞が反日的であると、日本はダメに成るでしょう。

 江戸時代の人口3000万人程度しか日本で生きられないのでない
か。現在1.2億人を北朝鮮??のように半分餓死しても、6000
万人ですよ。反日主義にはムリがある。

 現在、日本の教育が反日的、自由放任無責任になっているのです。
基礎教育をしっかりして、日本のアイディンティティをしっかり
子供達に植え付ける必要があるのです。その後、自由な論理力を付け
る教育をするべきなのです。

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