原爆投下の考察(YSさんより)



YSさんが中心で、メーリングリストで議論していた原爆投下の
米国の戦略をまとめたものです。
YSさんは、この原爆投下の裏側を岩城博司氏の「現代世界体制と
資本蓄積」の紹介としています。

(本文)
広島、長崎への原爆投下は戦後に向けた米国世界戦略上の中核と
位置付けられ1939年の時点で、すでにドイツではなく日本への
投下が決定されていた。従ってほぼ同時期にフィリピン米軍基地から
日本への原爆投下可能な運搬手段としてB29の開発をスタートさせ
た。1945年7月に日本がスイス経由で正式に全面的敗北と講和の
申し入れ行っていたにも関わらず米国側は計画遂行のためこれを黙殺
した。

これを裏付けるものとして当時の外交問題評議会委員長I.バウマン
の発言がある。
「我々の勝利達成の手段が、勝利したあとの世界支配の手段となるだ
ろう。」

すでにこの時米国内では経済界、政界、研究機関等を重層的に巻き込
んだ最高意志決定機関=インナーサークルが形成されており、圧倒的
な軍事力を世界に見せつけることで戦後の米国による世界管理体系の
構築をめざしたのである。
米国国内では原爆投下を「米国市民を守るための手段」としてその
正当性の合意をひきだしたが、実際には原爆放射能による惨状を伝え
る記事を検閲により抹殺していた事実がある。

この当時のインナーサークルの中心人物はチャールズ E.ウィルソ
ンである。

チャールズ E.ウィルソン(Charles E.Wilson)
 President,General Electric Co.
 Director of the Guaranty Trust Co.,N.Y.C
 Member of WPB(War Production Board),BAC(Business Advisory
           Council),CED

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(Fからの質問) 
 日本に原爆投下したのは、実戦で効果を測定するためではないのです
か?

(YSの回答)
 原爆実験は米国側は1945年7月に終了しておりこの結果をうけて
その破壊能力はある程度予測できたはずです。すなわち実戦使用での
データ収集との指摘は否定できません。ただ私は世界へのアピール効果
を目的としていたとの見解をしています。以後のアメリカマーケティン
グ戦略の原点がここにあるような気がするのです。
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(白井氏の質問1)
1)日本への投下決定
 広島、長崎への原爆投下は戦後に向けた米国世界戦略上の中核と位置
付けられ1939年の時点ですでにドイツではなく日本への投下が決定
されていた。
 この当時に原爆の破壊力については、データ等で米国は把握していたの
かもしれませんが、後の残留放射線についも把握していたのでしょうか?
私はおそらく過大な予測をしていたと思います。
したがってドイツに投下すれば近隣諸国にも放射線の影響が発生するので
はないかと米国が考えていたのだと思います。
したがって日本への投下を行ったのではないでしょうか?

(YSさんの回答)
1939年の確定はB29の開発時期から導き出されている。以下岩城氏
引用。
「1939年9月1日にB29の開発をアーノルド元帥に進言したのは
スパ−ツ将軍であったがマンハッタン計画総指揮者グローブスが作成した
「原爆計画の機構および指揮系統図」にはマンハッタン計画とは全く関係
のないアーノルドがグローブスの左隣に描かれ、しかも、破線で結ばれて
いるのがみられる。

 これがなにを意味するのかについて、これまで問題にされたことはなか
ったが、この系統図はB29の開発が原爆開発との緊密な連係をもとに進
められていたことを示している。開発すべきB29の性能として、後続距
離覇6000km、飛行高度は10000mで昼間飛行を主とするものと設定
されたことは極めて重要な意味を持つ。6000kmはスパーツ将軍が明記
しているように、カヴィテ(フィリピン)ー東京間の往復距離だったから
である。

 カヴィテが日本爆撃の拠点として最適とされたのは、当時そこにアジア
艦隊指令部が置かれ、米国のアジアにおける最も重要な戦略的要地をなし
ていたからであろう。」

そしてドイツではなく日本を標的とした理由についてエクソン、デゥポン、
ITT等による戦前戦中におけるドイツとの密接な関係を挙げ、また原点
にはレイシズム(人種差別主義)が厳然として存在していたことを挙げて
いる。

また非常に重要な点は仮にドイツに投下した場合の報道管制上の限界があ
る。その非人道的破壊力は国際世論上、米国の信頼性を失うことにつなが
る。従って日本の島国という地理的要因と単一民族性は情報面でも規制し
しやすく米国にとって最適な投下目標であった。

残留放射能については「オッペンハイマ−博士からファレル将軍あての
覚書」(1945年5月11日)および「ニューメキシコ州の第1回原爆
実験(1945年7月16日)についてのウォ−レン主席医務官から
グローブス将軍あて報告」(1945年7月21日)参照。

また放射能の影響を含め原爆使用停止を訴えた「クリントン研究所の
科学者から米国大統領あて請願書」(1945年7月)などもある。
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(白井氏の質問2)
2)計画遂行について
 1945年7月に日本がスイス経由で正式に全面的敗北と講和の申
し入れ行っていたにも関わらず米国側は計画遂行のためこれを黙殺した。
 ここでの米国側の計画遂行とは何を意味するのでしょうか?
 後のアジア各国の植民地の再編成、独立と関係してるのでしょうか?

(YSさんの回答)
計画遂行とは原爆投下を実行することです。アジア各国への関係について
は調査不足のためお答えする能力がありません。この点については今後に
解答をゆだねたいと思います。
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 原爆投下再考「主要引用参考文献」

「現代世界体制と資本蓄積」岩城博司 東洋経済新報社 1989年

「WHY JAPAN? 原爆投下のシナリオ」ア−ジュン・マクジャニ
 ジョン・ケリー 関 元訳 教育者 1985年
「インナー・サークル」 マイケル・ユシーム 岩城博司/松井和夫監訳
   東洋経済新報社 1984年
「地球の支配者銀行」?
「金融小国ニッポンの悲劇」NHK取材班=編 角川文庫 1995年
「億万長者はハリウッドを殺す 上下」 広瀬 隆 講談社文庫 
                           1989年
「アメリカ金融史」 西川純子・松井和夫 有斐閣選書 1989年
「証券研究」「証券経済」 日本証券経済研究所           
「ELITES IN AMERICAN HISTORY」Philip
 H.Burch,Jr.HOLMES & MEIER PUBRLISHERS INS.

特に多くは岩城博司著「現代世界体制と資本蓄積」の引用にもとずいて
いる。1939年を日本への原爆投下決定時期とする見解はおそらく日本
国内ではこれが最初であろう。この『事実の確定』は数式による解明を
ふくめた400ペ−ジに及ぶこの学術専門書の論理的フレームワークと
もなっている。私にとって発刊から現在にいたる十年はこのフレーム
ワークを否定することに費やされたといっても過言ではない。その結果、
無残にも私は敗北してしまったのである。

岩城博司氏は(それがどうした!=負け惜しみ)東京大学大学院経済学
研究科博士課程修了。高崎大学教授を経て現在神奈川大学経済学部教授。

この件での連絡先:YS
yoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp
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(質問者Fの感想)
 メーリング・リスト上でYSさんが中心で、このような議論をして
います。この議題の質が高いのでMMに採録しました。
 今後も、ML上での議論を採録していく予定です。
YSさん、ありがとうございます。今後もネタをお願いします。
   F

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