神道から見た日本(久保宮司より)



以下は神社界(インターネット)での論争の一部です。

 「百済」文化は韓国には存在しません。もはや日本の「奈良」に
残るのみです。
西欧では、「旧約聖書」の世界も、神道に酷似の「自然信仰」も
神聖ローマ帝国によって滅ぼされてしまったかのごときです。今や
ご存じのように西欧社会は「一神教」の世界になってしまいました。

どなたかアーノルド・トインビーの有名な言葉をおっしゃいましたね。
「西行」の有名な言葉もありますね。正確な言葉を教えてください。

 日本において「自然信仰」は独自の発展を辿っています。
偶像のない、「新約」聖書ような教典のない、教主のいない「宗教」
(といえるかどうか)広義の『神道』=「日本教」。
柔道、合気道、剣道、華道、茶道、香道そしてもちろん「神道」・・
・・・・・・などの「道」として。ですから、これらの道を通じ、私
は日本に対するアイデンティティーを強く感じます。

 たしかにこのご時世ですから、「道」に関心を示さない「西洋的」
日本人も多くいることも事実です。「国」にアイデンティティーを感
じない神職がいても不思議ではありません。  

 もうすこしよけいなことを言うと、「仲取りもち」の「神『職』」
は必要不可欠の存在ではありません(こんなこと言うとまた挑発にな
るかな)。神職のいない「山の神」「井戸神」など、『祠』の類のお宮
は五万とあります。
 ですから「神職の役割は?」とまた振り出しに戻します。

 敢えて宗「教」流に言うなら、
偶像は「花鳥風月」「山川草木」すなわち八百万の諸物。
教典は「古事記」「日本書記」(新約聖書や仏典をイメージする方々に
は物足りないことでしょう)。

 最後の「教主」ですが、これ「神武」肇国以来の祭祀王、「天皇陛下」
しかおられません。
ですから神道は「日本教」なのです。

 ところで、話は変わります。
「和」は日本社会では最も好まれる言葉です。日本ではこの言葉は比較的
容易・素直に受容される。なぜなら日本は「大和」民族の家族社会だから
でしょう。
 理想主義的発想は家族社会日本では実に受け入れやすい。しかし、
国際社会の現実の前には結局粉々に砕け散ってしまう。

 かつては例えば「八紘一宇」、これは戦前の「コワーイ」発想だと思う
方も今日では「地球家族」「人類共生」「共存共栄」など、日本社会では
当たり前、だと思われるでしょう。ひょっとして外国人も共感しうる場合
があるかもしれません。

 「単一民族」「大和」民族について一言
日本が単一民族であるかないかも、国際社会との比較上、程度の問題で
しょう。人種差別、民族差別、宗教差別も程度問題です。これらの差別が
国際比較上、ほとんど問題にならない日本は、やはり単一民族とみていい
だろうと思います。

 日本が多民族国家と見たい方々は、「日本が階級闘争社会」だと見ても
不思議じゃありません。北アイルランド紛争やアメリカなどの「熾烈・過酷
な」と同次元に部落差別、アイヌ問題を持ち出したい方々でしょう。
つまり、明治以来の「西洋信仰」「洋(和)魂洋才」の方たちは、日本にも
「こういう事例があるのだ」と「重箱のスミ」をつついておっしゃりたいで
しょう。

 日本は「平和」ですね。
国際派をめざしたい『日本人』の私としては、我が「大和」民族とは、
「出雲」「蝦夷」「熊襲」「帰化」「琉球」「アイヌ」「いわゆる部落」
などすべてを含む、これは『総称』なのです。その点「誤解」なきよう。

 水屋神社宮司  久保憲一

mizunoya@mx3.mesh.ne.jp
mizuya@jinja.or.jp
kubok@suzuka-iu.ac.jp

http://www.simcommunity.com/sc/jog/mizuya/main
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mizunoya

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(読者Fよりお礼)
 神道から「一君万民」制が来たのですね。あまり神道に詳しくない私F
も久保鈴鹿国際大教授、失礼、久保宮司には教えられます。
また、日本民族はこの日本に住む民族の総称であるとの見解は面白い。
        F

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