第3の敗戦、第4の開国


   F/1999-10-08

 日本はあまり諸外国との戦争に負けていないのです。太平洋戦争 が直近にあるため、日本は戦争に弱いと思っているだけです。

 最初に負けたのは、663年白村江の戦いで唐・新羅連合軍に惨敗 し、朝鮮半島の権益を失った。この敗戦を受け、日本は唐から制度を 本格的に導入することとして、遣唐使を派遣した。唐の政治体制や 仏教の経典等をどんどん導入した。第1の敗戦と第1の開国です。

 第2の敗戦は、太平洋戦争、大東亜戦争に負けたことです。この 原因追及は、国際戦略コラムに多くの記事がありますので、読んで ください。結局、米国の政治制度の方が日本の制度より、優れていた ため負けたのです。このため、戦後は日本の諸制度を米国から導入 した。それと、TQCや経営技術、科学技術をどん欲に入手して、 その上に日本文化を加味して、日本の優位を確立したのです。第3の 開国です。第2の開国は、明治以後の西洋文化導入です。

 しかし、この日本優位が許せなくて、米国は日本に第2次太平洋 戦争を仕掛けたのです。この戦争は武器の戦いではなく、お金の戦い です。その当時、日本の銀行が世界の銀行順位10位までに8行が ランクしていたのですから、いかに日本が金融覇権を取っていたかが 分かります。この戦争の指導者としてルービン長官を任命したのです。 そして、ジャパン・プレミアムなどで、日本の金融を締め上げて、日本 の預金を米国に持ってくるようにさせたのです。
その戦いは、米国が勝ち、日本は負けたのです。第3の敗戦です。

 このため、1998年には銀行が潰れることになったのです。
また、興銀、長銀などの長期信託銀行という制度自身が崩壊したのです。
この敗戦は、1945年日本政治体制が米国の現体制より、柔軟性・ 機敏性がなかったために負けたのです。第2の敗戦では戦前強かった 軍と内務省が解体されたが、第3の敗戦では、45年体制で一番強かっ た大蔵省が解体されることになったのです。今後官僚政治から政党政治 に変革することと、節度ある自由化(ビックバン)やインターネットなど 米国の制度・装置を導入さざるを得ないことになったのです。

 このインターネットが普及すると、必然的に世界の情報が直接国民に 入り、政府やマスコミが世論を操作しにくくなるのです。第4の開国 です。世界の報道機関は英米2ケ国で押さえているのです。
今後米国の文化を再度見直すことが必要です。


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