760−2. 食う寝る坐る永平寺修行記



***  身心脱落、只管打坐、体で悟れと道元も言った ***
きまじめ読書案内   野々村馨著「食う寝る坐る永平寺修行記」
                                                (新潮文庫)

1「声に出して読みたい日本語」、「天の河うつつの花」、「道元
和尚広録」

 東京・港区で4年前から開いている読書会鷹揚の会の今年の納会
は、斎藤孝著「声に出して読みたい日本語」を取りあげて、各人が
自分の一番好きなところを朗読し、選んだ理由を説明するというも
のだった。

 「声に出して読みたい日本語」で取上げられている文章自体は、
みなそれぞれになじみがあり、パッと見ると何を今更という気もす
るのだが、それを実際に何人かを前にして声に出して読む、誰かが
朗読するのを聞くと、なかなかによくできた本だと思う。言葉とは
、もともと語られるものであったのだということがしみじみとわかる。
文章は、朗読を聞くことによってまったく違った味わいになる。

 そこで私が選んだのは、道元の言葉だった。

『正法眼蔵』
「身心脱落。只管打坐。仏道をならふといふは、自己をならふ也。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるとい
ふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の
身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。」

『正法眼蔵随聞記』
「この心あながちに切なるもの、とげずと云ふことなきなり。」

 僕が今年道元の著作を読んだきっかけは、桶谷秀昭の「天の河う
つつの花」(北冬舎)という随筆集の導きによる。

 この本の中には何人もの文学者の追悼文が収められているのだが
、その中でとくに「燃えつきた藤枝静男」のしみじみとした追悼文
に心惹かれた。そこで図書館で昭和文学全集の藤枝静男の「空気頭
」を収めている巻を借りて読んだところ、偶然寺田透の「和泉式部
論」もいっしょに収められていて、作品としてはむしろそちらのほ
うに心が惹かれたのだった。

 実は「天の河うつつの花」には寺田透の追悼文「志気と含羞の批
評家」も収められていて、「和泉式部論」に続いてそれを読んだ。
「寺田透のライフ・ワークは道元であらう。あるいは終焉せぬ関心
の対象でありつづけた。」という一文に出会った。たしか駒場でフ
ランス語の教師をしておられた寺田透がいったいどんな道元理解を
していたのだろうか、フランス語のような論理的な言語を職業にし
ていた人が道元の文章とどのように取り組んだのかが気になった。

 桶谷はこの追悼文をこう結ぶ。「『道元和尚廣録』上下二巻の大
冊を戴いて、返事が書けぬうちに、妻を失ひ、悲嘆に日を送つてゐ
るうちに、突然、その訃報を知った。 /この精密な訓古注釈と闊達
な現代反訳文の仕事が、寺田透の道元論のたどり着いた場所になる
のであらうか。よまねば話にならないが、批評家としていい死にか
ただといつても、礼を失することになるまいと思う」と。

 この時点で、鷹揚の会の夏合宿で道元を取上げることを決め、
寺田透の書いた道元に関する本を探し始めた。

 まず僕は寺田透が死ぬ直前に世に問うた『道元和尚廣録』を読ん
でみたくてたまらなくなり、インターネットで探したところ、取り
寄せ不能とある。驚いたことに、上下ともに一冊2万3千いくらの
定価がついている。冗談みたいな値段だ。渋谷の大盛堂にも電話し
、在庫がないこと、2万3千円という値段が間違っていないことを
確認。国立と都立大学の古本屋に電話したのだけど、店主はそんな
本見たこともないという。

 古本屋のご主人が筑摩書房の人に聞いてくれたところによれば、
寺田透は出版社泣かせで有名な著者で、この本は企画から出版まで
20年くらいかかった。その間に何回か版を組み直して、版組みだけ
でも大変なコストがかかった。そのコストを初版上800部、下
700部に割りかけて、売り切って終わりにしたというのが背景ら
しい。
出版不況の時代とはいえ、いかにも惜しい扱いだ。もう版元にも
一冊も残っていないのだという。

 どこでも買えないことがわかったので、図書館で探したところ、
富山県立図書館に在庫していることがわかり、借り出して読んだ。
言葉としては、明快でわかりやすい。しかし、言葉がわかりやすい
からといって、正直言ってそれを読んで何かを悟ったというもので
はなかった。

 そして私はその本を読みながら、永平寺に一泊二日の参篭をした
のだった。もちろん一泊二日の参篭で何かがつかめたわけではなか
ったが。

2 野々村馨「食う寝る坐る 永平寺修行記」
 この年末に寺田透の「道元和尚広録」のことを思い出したのは、
野々村馨の「食う寝る坐る 永平寺修行記」を読んだからだ。この
本を読んで、「広録」をあらためて読めば、おそらく何かがつかめ
るのではないかと思った。

 「永平寺修行記」は、大学を卒業して、20代をアジア放浪した
若者が、30歳すぎて一年間永平寺の雲水として修行した記録であ
る。大方の雲水が寺の息子であるのだが、著者はそうでない。だか
ら著者にとっては、そこで教わることがことごとく初めてで新しい
。だから仏教についての知識のまったくない読者でも十分に理解で
きるように書かれている。

 雲水の修行の様子は、これほどまでに厳しいのかと思うくらい厳
しい。睡眠時間も短く、食べるものもわずかで、朝早くから夜遅く
まで作業と坐禅の連続。ビタミン不足で脚気になって入院する者や
永平寺から逃亡する者すらいる。ちょっとでも間違えると、先輩か
らどなられ蹴られまくる。話を読むだけでも身の毛がよだつのだが
、実はこうやって鍛えることで、短時間で身心脱落を行えるように
なっているのだ。

 驚いたのは、睡眠、排泄、入浴といったありとあらゆる人間の行
為が、どのように行われなければならないかということについて、
道元がこと細かに定め書き残していることだ。逆にいうと、道元の
書き残したことはすべて、頭で理解するのではなく、実際に自分の
体を僧堂で修行する身においてみないと理解できないということで
はないか。

3 身心脱落
 著者の経験によれば、身心脱落すると、季節の変化やあるがまま
の自然のありがたみが、身にしみるようになるらしい。一日一日生
きていることそれ自体を喜びと感じられるようになるようだ。

「しかし人生は、まったく予想もできないからこそ面白いのだ。
また来年の今頃、自分がどこで何をしているかなどさっぱりわから
ないが、だからこそ夢が、希望が、そしてこの一年を生きる力が生
まれるのだと今は思える。

 運命などというものが本当にあるのか知らないが、僕はそんな運
命よりも、今こうして自分が生きているという事実を信じ、一日一
日を今年も大切に生きていきたい。

 元朝の粛々とした冷気にひたり、僕はひとりこんなことを考えた
。」 また、全国から善意で送られてくる雑巾の一枚に、涙するよ
うになる。

「僕はその日以来、このホームから届いた雑巾の一枚を自分の机の
引き出しの中にしまい、時々落ち込むようなことがあると、こっそ
り手に取ってながめた。
 この雑巾の縫い目の一針一針には、何かを信じぬく、人の熱い心
が息づいていた。そして、その一心に縫いこんだ指の痕跡には、僕
の心の脆弱さをいとも簡単に笑い飛ばすだけの厚みと、温もりがあ
った。」

 永平寺の雲水の修行とは、このようにして、あるがままの自然や
世界をそのままありがたく受け入れる感性や、人々が雑巾に込めた
思いを感じ取る感受性を、つくりだすものとして機能していること
がわかる。著者自身の意識の上で起きるそのプロセスが、ものすご
くストレートに描かれているところが本書の一番すばらしいところ
だ。

4 只管打坐
 そして、只管打座についても、他の仏教書や仏教学者のだれ一人
として書いてこなかったようなすばらしく明晰な言葉が、著者の中
で確かなものとして湧き立つ。図書館や書店に並んでいるありとあ
らゆる仏教書よりも、著者のたった1ページのほうが、私にとって
は意味深い。

「永平寺の坐禅は、坐ることを目的にも方法にもしていない。よう
するに悟りを得るために坐るのではなく、ただ坐るのである。
 では、このただ坐るということは、どういうことなのか。確かに
、足を組み坐ることには違いない。しかしこれは、坐る、立つ、歩
くなどといった行為を超越したもの、いわゆる、ある形になること
である。形になるということは、決定的に自分がその形になりきる
ことで、すべてのしがらみや自我をぬぎ捨て、ただ大気とともにこ
の一瞬の時にまみえることなのだと思う。

 となると必然的に、自我をぬぎ捨てるために、どうして足を組み
壁に向かうという形が必要なのか、という疑問が湧いてくる。しか
しこの答えは、誰にも言い表わすことができないのではないだろう
か。それは自分で坐り、坐り抜いて、初めて体の中に湧き立つもの
であって、まさに語り得ぬ領域のものである。ここに存在している
のが、宗教なのだと僕は思う。もちろん、教団に属すことが宗教な
どではないのだ。

 宗教は解明するものではなく、信じるものである。われわれがあ
れこれと詮索する以前に、確固として存在するもの。それは、大自
然の原理であったり、偉大な先人の生きざまであったりと、人によ
ってさまざまだが、それが信じられれば、その人にとっての一つの
宗教なのだと思う。僕は、そんな永平寺での一瞬一瞬を信じて坐っ
た。」

 著者は、素直で従順で、適応力もあり、それでいて感受性もすぐ
れているのだと思う。永平寺が次々に著者に差し出してくるものを
、ひとつひとつ丁寧に受け入れて、自分の体の中にたたきこんでい
った。その結果、このような境地に達したのだろう。

5 還俗  書を捨てて街へ出よ
 著者は、一年間の修行の後、二年目の修行に残るかどうかを悩み
、迷う。このまま残って修行を続けることも可能だった。周囲から
は10年くらいいるのではないかと期待されていた。もしかしたら
高僧の兆候があったのかもしれない。だけど著者は、あえて社会に
戻って、もう一度自分を試してみることにする。

 ここに著者の真骨頂がある。既存の仏教の弱点は、世俗から超越
したところに身を置いて、何ひとつ世界を変えられないところにあ
ると思う。

 いかに悟りを得ようとも、いかにお経を読むのがうまくなっても
、寺院の中にこもっていて世俗から離れていては、世界は何もかわ
らない。浮世に身を浮かべて、世界と結びつかなければならないの
ではないか。俗世の埃ににまみえて、塵芥と一体化する必要がある
のではないか。

 この世の中に住む一人一人が、仏法を身につけ、仏法に合わせて
生きていくようになるといい。著者が還俗したことには、そのよう
な願いが込められているのだと思う。

 とにかくスリリングで、気分のすかっとする本だった。仏教に興
味がある人もない人も、およそ現代社会に生きていて、何か本当の
ものを感じたい、自分自身で確かなものを掴みたいと考えている全
ての人に薦める本である。

 私もふたたび永平寺を訪れ、三泊四日の参禅をしようと思い立っ
た。
得丸久文(2001.12.28)

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