757−1. 左翼的ジャーナリズムの本懐



Re:左翼的ジャーナリズムの本懐      神楽坂紅梅   
   
辻本さん、はじめまして。レスポンスありがとうございます。 
疑問に対してお答えいたします。 

>  マスコミが政府等から独立した存在だということでは賛成しま
>すが、なぜ「反政府・反宗教・反民族・反体制」でなければならな
>いのか。これでは「何でも反対」を唱える天の邪鬼でしかありません。 

 申し訳ありませんでした。私がきちんと言葉の定義をしていなか
ったためにこのような疑問が発生しているものだと思います。 
 と、同時に私の中の左翼と皆さんの左翼は違うのかなぁとも考え
ました。わが国では右翼というものは非常に特殊で天皇を中心とし
た社会主義を目指しています。よって右翼と保守は区別されるべき
なのですが、左翼と革新はたいして差がないため同義として使って
いました。 
 では、革新とは何かといいますと、「であるべき」を命題として
います。あくまでも理想主義だということです。革新の大きな弱点
はFさんが何度も指摘していますが、人間の理性を過大評価している
点です。しかし「である」ではなく「であるべき」革新の立場から
はそれらを斟酌する余裕がないのです。 
 さらにいえば「である」は保守が行ってくれているので言論者、
思想家としては天秤を釣り合わせるように「であるべき」を訴える
わけです。(これって観念論ですかね、もしかして) 
 さて、ジャーナリズムの立場ですが、古来情報は権力者のもので
した。権力に破れし者には反論の余地はなかったのです(多少の例
外はありますが)。この情報の一極集中に対して敢然と立ち向かっ
たのが、ジャーナリズムの本来の姿だと捉えています。 
 よってジャーナリズム、しかも「であるべき」を主眼に置いた
左翼的ジャーナリズムにおいては、国民あるいは権力者が作りあげ
た国家に対して疑義を唱え、人々が心のよりどころとしている宗教
に対して疑義を唱え、人々の集団としてのアイデンティティーであ
る民族というくくりに疑義を唱え、大衆が作り出す無言の圧力・倫
理などに対して疑義を唱え(これを反体制だと言ってしまいました
)ること、これが存在意義だと考えるわけです。 
 国家の立場にたつ報道はお触書などで行われ、宗教の立場にたつ
報道は神社や寺院などで行われ、民族の立場に立つ報道は(日本で
いうなら)村の寄り合いなどで行われ、体制(大衆倫理)の立場に
たつ報道は家庭の中や町じゅうのそこかしこで行われているため、
マスコミは左翼的ジャーナリズムを持って常に疑義を唱えて、人々
が考える事をやめて一つの情報を鵜呑みにする事を避けなければい
けないのです。 
 ですから人々の価値観が変われば左翼の主張は変わります。マス
コミの訴える事も変わります。それは節操がないのではなく「人々
が思っている事の逆をつく」という筋が通っているのです。この点
はご指摘の通り天邪鬼です。子供なのです。 
 私はこの左翼の洗礼を受けていない右翼も保守も信用しません。
それは「思考」という段階を踏んでいないからです。また、左翼の
洗礼を受けて、そのまま左翼になっている者も信用しません。オセ
ロが黒から白へなっただけ、つまり物事の表と裏を知っただけでや
はり「思考」の緒についた段階で「思考」を停止しているからです。 

>アメリカのマスコミが左翼的とは初耳です。また左翼的マスコミは
>真実を暴露する、というような考え方は理解できません。 

 以上の私の左翼の定義を用いますと、それでよいのか? 「であ
るべき」ではないのか? という立場にたつ米国のマスコミは左翼
的です。 
 真実を暴露するというのはちょっと大げさでした。たとえば権力
側の発表した内容はすべて嘘ではなく一部に隠蔽した事実があり、
その隠蔽した事項とその行為を衆目にさらすことが左翼的マスコミ
の役目であるために、経験則上大衆心理の中に左翼的マスコミが事
実を暴露するという先入観があるといいたかったのです。 
 ちなみに保守的なマスコミとは権力側の発表、「である」に立脚
して「であるから次にどうすべきか」という創造的なジャーナリズ
ムで、大人だとは思うのですがあまり見ないですね。 

>中国やイラクのことは詳しくは存じません。しかし北朝鮮の国民が
>自国のマスコミを信用していない、ということはありません。この
>国の国民管理や情報統制は完璧で、国民は権力者のプロパガンダを
>素直にそのまま信じており、左翼国家として究極の存在です。また
>そのマスコミは、世界中の反北朝鮮報道に対して果敢に闘う左翼的
>ジャーナリズムです。 

 すみません、私の個人的な経験で決め付けて書いてしまいました。
私には在日朝鮮人の友人と、北京から留学してきている友人がいま
す。両者とも祖国では報道は嘘が多いから、自分の目で見たことや
親族が体験した事を信じろと親や親戚から教わっているそうです。
(在日の友人は帰国した伯父一家が情報源です) 
イラクの話は雑誌か何かで聞きかじった情報に過ぎません。 

>私は、ジャーナリズムは左翼的であろうと右翼的であろうと、あら
>ゆる全ての体制等(米国や日本だけでなく、中国、北朝鮮なども。
>また保守系組織だけでなく革新系組織なども)に対して批判的精神
>を持つべきものと考えています。 

 まったくそのとおりだと思います。 
 私のいう左翼的ジャーナリズムとはこの批判的精神のことであり
、辻本さんと最終的には考えが一致していると認識します。(最終
的に、ですよ。気を悪くなされないよう) 
 そして、そのマスコミの批判的精神に身を任せ国民が批判的思考
を止めてしまっていることに対して、国が批判的報道に甘いのはこ
ういう国家総動員のときにスムーズに大衆操作をするためだったの
ではと考えたのです。 
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全てを疑えば損得しか残らない        コスモス
   
物事を、左翼・右翼と分けると問題がややこしくなります。自分の
立脚する主義を正当化しようと、投稿する主張のほとんどが言い訳
めいてしまう。 

 だから、たった一言、核心を突いたことを述べさせてもらうなら
、「ジャーナリズムとマスコミは全くの別物である」ということで
す。 

マスコミは国家の統制を受けるものであるし、ジャーナリストは彼
ら自身の真実の探求こそが原動力となって、命の危険も顧みずに国
家と時には対立する。もっというなれば、ジャーナリズムは国民の
真実を求める意思は、二の次とするものなんですよね。 

 社内でのマスコミとジャーナリズムの対立があるからこそ、朝日
新聞のような「昔付いた嘘を一向に謝罪もしない」新聞が、国民か
ら放置のような形で残されているのかもしれない。社内の分裂を、
聡明な人々は感づいているのでしょう。 

 国民はマスコミの情報を、その裏を読むように収集しなければな
らない。全ての人の新聞受けに、恣意的な情報を濾過された真実が
届くと思ったら大間違いです。そしてそのことを、左翼側の、神楽
坂さんのような方々は理解されていない。 

 マスコミのあり方、ジャーナリズムのあり方を、左翼・右翼で分
ける作業は無意味です。とりあえず今日届いた新聞を、疑って読み
始めることから、神楽坂さんはお始めになられた方が良いと思う。
そうすれば、左翼・右翼の分別作業やその正当化に費やす時間が、
いかに時間の無駄であるかに気づくはずです。 
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Re:全てを疑えば損得しか残らない 神楽坂紅梅   
   
 コスモスさんレスポンスありがとうございます。 

>  マスコミのあり方、ジャーナリズムのあり方を、左翼・右翼で
>分ける作業は無意味です。とりあえず今日届いた新聞を、疑って読
>み始めることから、神楽坂さんはお始めになられた方が良いと思う
>。そうすれば、左翼・右翼の分別作業やその正当化に費やす時間
>が、いかに時間の無駄であるかに気づくはずです。 

 まったくそのとおりです。私は子供の頃より新聞やテレビという
マスメディアを半分しか信じていません。小学生の頃に新聞社に裏
切られた経験があるからです。 
 ところで、私の文章がおかしかったのでしょうか。何故、マスコ
ミやジャーナリズムが左翼的なのかについての見解と、そのことが
危険であるという警告を叙述したのわけで、何も左翼の正当化など
してはいないのですけれども……。難しいです。 
 私は左翼ですが左翼であるがゆえに共産主義は最も疑うべき存在
です。現在の持論では、かつて真の共産主義を著した者もいなけれ
ば実現した国家もありません。 
 話を戻しますと、米国では「本当にビンラディンの犯行か」とい
うことにマスコミが触れない事、そしてそんな報道を米国市民が鵜
呑みにしているような社会風潮の原因が、ジャーナリズムに対する
信奉にあり、その原因がジャーナリズムのうち左翼的なものが一般
受けして浸透しているからじゃないのか、それが米国に限らずわが
国の場合も政府が左翼的なマスコミを(ちなみにこのコラムやBB
Sでマスコミを左翼と決め付けているのは私ではないです)野放し
にしている理由ではないのか、というのが本旨です。 

ちなみに私とコスモスさんは思考過程が似ているとは思うのですが……。 
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Re:全てを疑えば損得しか残らない コスモス 
   
  神楽坂さん、申し訳ないです。弁解のしようも無いほどに、神楽
坂さんの主張を誤って捉えてしまいました。左翼・右翼に分ける行
為の無意味さを説きながら、私は神楽坂産を左翼側にまとめてしま
い、自分自身がその思考にとらわれていることに気づき、恥ずかし
いしだいです。語るに落ちるとはこのことでしょう。 

 ただ、ジャーナリズムというのが「秘密を暴く、個人的な喜び・
快楽に基づく生き方である」こと、国家や特定の勢力による(右翼
・左翼のみならず、特定宗教団体・財閥による情報操作も含めて)
支配を受けているのはマスコミのみで、ジャーナリズムは別物であ
る、ということを、私の主張したかったことだと御理解ください。 

 神楽坂さん、本当に申し訳ありませんでした。 
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(Fのコメント)
神楽坂さんは、ご自分を左翼というので、皆が間違えるのではない
でしょうか??
神楽坂さんの意見はまともですし、非常に理性を感じる。理性さを
左翼と呼んでいるのであれば、このコラムも左翼ですね。
理性対理性の戦いをこのコラムでは実現したいですね。
理性の判断基準には、いつも現実の状況や歴史という重石を持って
いることが必要であると思うが。

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