747−1.南亜の同志を読んで



国際戦略コラム NO.740−1南亜の同志を読んで。

私も「武力があってこその平和、今の日本が在るのもアメリカの存在
のおかげ。」だと思っていましたが石原莞爾が亡くなる前に言ってい
た言葉を聞き、考えがぐらついています。
石原莞爾は「戦争など決してしてはならない、たとえ日本が他国に
蹂躙されるとしても・・・」
石原莞爾が周りからのプレッシャーでそのようなことを言ったのなら
別ですが、これが本心だとすると。

戦争後は命は何よりも大切だと言い、平和時は命より大切なものがあ
ると言う。今の時代というのはその境目に来ているのでしょうか?

片山
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永世中立の選択 
自ら戦争を開始せず、他国間の戦争にも参加しないことを宣言し、
他国がそれを承認した場合、その国は永世中立国として認められる
ことになっています。
多くの人が永世中立国と聞いて、まず最初にイメージする国はスイ
スだと思います。スイスは1815年、ウィーン会議において永世
中立国として承認されました。
永世中立国であるということは隣国が戦争を始めて自国に援助を求
めてきても断らなければならないし、隣国が自国を通って相手国に
攻め込もうとしてもそれを防がなければならない。さらに言えば、
他国から侵略を受けた時なども諸外国に援助を求めることができな
い。つまり永世中立国である以上、いかなる敵が攻めてこようとも
自国だけでこれに対処する力が必要ということ。
そのためスイスの軍事力はかなり強大〜♪国民の約1割に当たる軍
隊を保持しているし、国民のすべてを収容できる地下室も備えられ
ているらしい。第二次世界大戦の時はヒトラーが国境沿いに配備さ
れたスイスの軍隊を見てスイスへの攻撃を見送ったという逸話も残
っています。
 まずこの国の軍事を考えるうえで大きな特徴としては1815年に
ウィーン会議で承認された永世中立が上げられる。これによって
スイスの中立は保障されたがそれは大国の利害一致による非常に不
安定なものであり、必然的に武装中立という選択肢を選ぶ。これは
自分の国の自由を守るためには必要な行為であるといえるだろう。
 こういった歴史の中で確立されたスイスの軍事組織は次のような
ものである。
総兵力:約3300人の職業軍人と約39万人の予備役
陸軍:動員時約35万人主装備としてレオパルト2などの戦車742両、
牽引砲216門、自走砲558門。他対戦車ミサイル、地対空ミサイルなど
空軍:作戦機150機(ミラージュ3、F-5など *1)他ヘリコプターなど
(ミリタリーバランス1996年による)
*1現在ではアメリカ製F/A-18戦闘機も保有している
また訓練課程として次の様なカリキュラムが用意されている。(図1)
通常19歳の時点での徴兵検査に合格すれば初年兵学校での17週間に及
ぶ訓練がある。これは義務で健康な男子であれば必ず受けなければな
らない。スイスには将校教育専門の学校がないので将来的に下士官や
将校になる人間も必ず一兵卒から出発する。
 兵卒・下士官は21歳〜32歳の間は機動的戦闘部隊に編入される。
この後33歳〜42歳の間は国土防衛部隊、43歳〜50歳は国土監視部隊に
編入される。
 ただ、スイスにおいて良心的兵役拒否は認められておらず政治的な
ものはもとより宗教・思想的な拒否すらも認められていない。兵役拒
否者は軍法会議にかけられそれでも拒否するものは特別税を課せられ
る制度になっている。また女性は特に兵役はない(志願制)ものの民間
防衛によって有事の際の協力を義務図けられている。
 このような訓練課程を持つスイスでは各家庭に自動小銃などの装備
品が支給されており有事の際には「いざ、鎌倉」状態にあるのも特色
のひとつである。為政者にとっては多くの危険性をもつこの制度は
あまり好ましくないものであろうが、元来傭兵供給国としての長い
伝統があるからであろう。
 有事における軍の指揮系統は議会の上院・下院の選出により有事の
際にのみ「将軍」が任命され、彼(彼女?)が軍事的行動の最高責任者
となる。
(注:現在スイスではアメリカ製F/A-18ホーネット戦闘機を保有してい
るが、この戦闘機の運用にはかなりの錬度と専門的知識・技術が必要
である。このためこの部門に関しては兵役制を取ることができず専門
的な技能をもつ人間が運用を行っている。ちなみに日本における戦闘
機パイロットの育成には5年近い時間と5億円以上の費用がかかってい
る。)「かつての総力戦とその敗北。米軍の占領政策。ついこの間まで
続いていた核抑止による冷戦とその代理戦争。そして今も世界の大半
で繰り返されている内戦、民族衝突、武力紛争。そういった無数の戦
争によって合成され、支えられてきた血まみれの経済的繁栄。それが
俺たちの平和の中身だ。戦争への恐怖に基づくなりふりかまわぬ平和
。正当な対価をよその国の戦争で支払い、そのことから目をそらし続
ける不正義の平和。」
:
「不正義の平和でも正義の戦争よりよほどましだ。」
彼らの口から語られているのはまぎれもなく日本のことである。これ
はその映画の監督自身の言葉だろうが、非常に本質を得ているように
自分には思える。この二人のやり取りこそ戦後半世紀かけて発展をし
てきた日本に対する皮肉であり警鐘に思える。我々がこうして平和に
暮らしているその瞬間にも世界のどこかで戦争が起こっている。
我々はその事実を今まで少し軽く見すぎていたのではないだろうか。
この作品を見るとそんな気がしてくる。現在の日本はただ単に前線に
立たされていないだけである。尖閣諸島、北方領土、竹島…これらは
潜在的要因の一例に過ぎないのである。
 何も安全保障・軍事問題だけではない。国際社会における日本の地
位や金を出すだけの国際貢献の方法、解釈を加えるだけで根本的な見
直し・改正を行わず50年余りも放って置かれ時代の流れに合わなくな
ってきた憲法。我々はそろそろ自分たちが置かれている立場を再度認
識し、何をするのがこの国をより良い方向に導いていけるのかを真剣
に話し合う時期になっているのではないだろうか。
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      Kenzo Yamaoka


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