738−1.ビッグ・リンカー達の宴(うたげ)−4



YS/2001.12.08
    ビッグ・リンカー達の宴(うたげ)−4

■ワッサースタイン・ラザードCEO誕生

 11月15日、独ドレスナー銀行傘下の投資銀行部門ドレスナ
ー・クラインオート・ワッサースタイン(DKW)のブルース・
ワッサースタイン氏は、DKWの会長を辞任し、同業である米ラ
ザードのCEO(最高経営責任者)に就任することが決まる。

 ワッサースタイン氏は、自らが率いた投資銀行ワッサースタイ
ン・ペレラを、昨年9月にドレスナーに身売りし、ドレスナーの
投資銀行部門「ドレスナー・クラインオート・ワッサースタイン」
の会長に就任する。同部門を分離・独立させたうえで、銀行のバ
ランスシートと専門性を融合したディール・メーカーとして再上
場を予定していたが、ドレスナー銀行自体が、今年初めに独保険
最大手のアリアンツの傘下に入ったことでこの計画は中止となっ
た。

 ワッサースタイン氏は、89年に旧ファースト・ボストン時代
の同僚、ジョー・ペレラ氏(現モルガン・スタンレー)とM&A
専門の投資銀行ワッサースタイン・ペレラを設立。1980年代
のM&A市場を席けんしたディール・メーカーである。KKRの
RJRナビスコ買収やテキサコのゲッティ・オイル買収、AOL
とタイム・ワーナーの合併やモルガン・スタンレーとディーン・
ウィッターの合併等などで剛腕を発揮する。顧客が有利になるよ
うに買収金額をつり上げる交渉術にたけていたことから、「ビッ
ト・エム・アップ・ブルース(価額をつり上げるブルース)」の
異名をとった。

 移籍先の米ラザードは、M&Aの仲介を収益の柱とする知る人
ぞ知る老舗の名門投資銀行である。1848年設立時のラザード
創業者の家系で、非公開である同社の筆頭株主でもあるマイケル
・デービッドーワイル会長は、「過去15年にわたって折に触れ
てワッサースタイン氏を誘ってきた」と語る。

 ラザードはリーマン・ブラザーズと進めていた合併交渉が同時
多発テロでご破算になったばかりであるが、この合併を推進して
いた前CEOのウイリアム・ルーミス氏を一年もたたないうちに
更迭した経緯から、欧米メディアは、個性の強い二人の組み合わ
せを疑問視する記事を相次いで掲載する。しかし、少し前にはウ
イリアム・ルーミス氏の実力を疑問視していたこともある。

 いずれにせよ9月11日の同時多発テロが世界的な企業再編を
加速化させている。再編を主導していくのは彼らである。日本人
の多くは、M&Aを単なる企業の売買として別世界の出来事のよ
うに眺めるだけだが、これは一面に過ぎない。多くのM&Aは、
政治的な意図を繁栄した中長期戦略に基づくものであり、世界的
な人脈と高度なスキルが必要とされる。特にラザードは、欧州貴
族達の戦略を可憐に演出する実行部隊としての側面がある。そし
てその長い歴史にはビッグ・リンカーが数多く存在する。

 ラザードの歴史を振り返る前に今年の世界のM&Aの仲介ラン
キングを見ておこう。残念ながらここに日本企業の名前はない。

□今年の世界のM&Aの仲介ランキング・金額(億ドル)・件数
1  ゴールドマン・サックス     4,520  262
2  メリルリンチ          3,563  179
3  クレディ・スイス・ファースト
   ・ボストン           3,213  344
4  モルガン・スタンレー      3,102  215
5  JPモルガン・チェース     2,752  284
6  シティグループ/
   ソロモン・スミスバーニー    1,851  240
7  UBSウォーバーグ       1,808  191
8  ドイチェ・バンク        1,623  183
9  ドレスナー・クラインオート・
   ワッサースタイン        1,172   67
10 リーマン・ブラザーズ      1,028  107
11 ロスチャイルド           871  119
12 ラザード              754  112
13 クアドラングル・グループ      579    2
14 ベア・スターンズ          557   57
15 グリーンヒル            363   15

(注)2001年1月から9月末
『※トムソン・ファイナンシャル・セキュリティーズ・データ』
(日経金融新聞より)

■ラザール3兄弟

 ラザードの起源は1848年にさかのぼる。フランス人の3人
兄弟、アレクサンドル、シモン、エリーの三人のフランス人がア
メリカへ移住し、ニューオリンズに設立した。そして1852年
にパリ事務所としてラザール・フレール、1877年にロンドン
事務所としてラザード・ブラザーズを設立し、彼らの従兄弟にあ
たるアレクサンダーが1880年にニューヨーク事務所としてラ
ザード・フレールを設立する。

 これまでパリ、ロンドン、ニューヨークの三つのラザードがひ
とつのパートナーシップのもとに別会社として運営されてきたが、
昨年3月に3社を統合しグローバル戦略強化に乗り出している。
現在全世界で20オフィス、約2600人の従業員を抱えている。
過去大きな事件が起こるたびに彼らは欧州と北米を股にかけて世
界を動かしてきた。歴代のビッグ・リンカーを紹介していこう。

■ラザードとキャサリン・グラハムとマイヤー家

 日本でも新聞各社が一斉に報じたが、今年7月17日「世界で
最も影響力のある女性」と言われたワシントンポストのキャサリ
ン・グラハム最高経営会議議長が亡くなった。63年、夫で社主
だったフィリップ・グラハム氏がうつ病で自殺した後、46歳で
新聞経営を引き継ぎ、地方紙に過ぎなかった同紙をアメリカを代
表する最有力紙の一つに育て上げた。特に70年代、ベトナム戦
争をめぐる米国防総省機密文書を掲載し、ウォーターゲート事件
の調査報道で、政府と対立しながら言論の自由を守り抜いたこと
は有名である。

 キャサリン・グラハムの本名はキャサリン・マイヤーであり、
フランスのアルザス・ロレーヌ地方に何世代も続く著名なユダヤ
系一族出身である。そして、ラザードグループとの関係は、彼女
の祖父、マルク・ユージン・マイヤーから始まる。

 マルク・ユージン・マイヤーは、従兄弟に当たるラザードのア
レクサンドルを頼って1859年にアメリカに渡り、ニューヨー
クのラザード・フレールのゼネラル・マネージャーを務める。

 彼の息子、すなわちキャサリン・グラハムの父親であるユージ
ン・アイザック・マイヤーもラザード・フレールに入社するが、
官僚主義に失望してすぐに退社、新たにユージン・マイヤー・ア
ンド・カンパニーを設立する。ウォール街で人脈を広げ、191
3年には、ニューヨーク証券取引所の理事に選任され、1920
年には化学者ウィリアム・ニコルスと共に※アライド・ケミカル
・アンド・ダイ・コーポレーションを設立し大成功をおさめる。
また政府の戦時軍需品・財政委員会、戦争産業委員会のポストに
も起用され、1930年にはFRB(連邦準備制度理事会)の理
事に就任、1931年には再建金融公社の会長に就く。そして1
946年には初代世界銀行総裁に任命される。当時の金融界の大
物である。

 このユージン・アイザック・マイヤーがワシントン・ポストを
82万5000ドルで買収したのが1933年である。この時に
金融家として軍事産業とメディアと政治とをコントロールするこ
とに成功したのである。また、彼をサポートしていたのは紛れも
なくラザードグループであり、キャサリン・グラハムを陰で支え
ていたのも金融界のピカソと言われたラザードのアンドレ・マイ
ヤーであった。
                       (つづく)


コラム目次に戻る
トップページに戻る