727−2.俳句という生き方



俳句という生き方 
岡本眸(ひとみ)と飯島晴子の新刊批評に寄せて

思わず切り抜いて、その後何度も何度も読み返して味わうことので
きる新聞記事に出会うことは、数年に一度しかない。これまでの僕
の経験では、詩人山本陽子を紹介した酒井佐忠の記事(1990年?)、
養老天命反転地を紹介した三田晴夫の記事(1995年ともに毎日新聞
)がそれだった。最近毎日新聞に掲載された酒井佐忠さんの2本の
記事は、俳句という文学の機微を言語化してくれる記事だと思うの
で、まずは記事をそのままご紹介したい。

−1−
「見えてゐるものを見てゐる冬鏡 岡本眸」(毎日新聞2001.11.18)
「ものを見る」ということは不思議なことだ。たとえば目の不自由
な人に「もの」は見えないのかというと、そうではないような気が
する。「もの」を「ものごと」と理解すると、「ものを見る」こと
は、物事を判断するという意味になる。また、目は見えなくとも「
もの」のイメージは想像力とともに浮かんで来るかもしれない。

 70歳を過ぎて次々に両目の手術をしなければならなくなった作
者は、「ものを見る」とはどういうことだろう、と考えたに違いな
い。深沈と夜が更けて、冷え冷えとした部屋で、ひとり冬の鏡に向
かうとき、「あっ、自分は見えるものだけしか見ていない」とふと
気付く。「いやそれだってあやしいもの。見えていても見えていな
いのかも」と思う。一人の人間が一生に見えることは知れている。
「見るべきほどのことは見つ」という訳にはなかなかいかない。
その一方で「私は見過ぎない」という自省の念もどこかにある。
最新句集の『流速』(朝日新聞社)に収められている句だ。

 それにしても「冬鏡」とはすてきな言葉だ。手鏡や三面鏡であっ
ても鏡面の冷え冷えとした、しかし曇りのない姿は初冬の景にぴっ
たりだ。<冬鏡四隅の暗さもて支ふ><三面鏡に部屋中うつる冬す
みれ>。これは1972年に第11回俳人協会賞を受賞した第一句
集『朝』の中に見つけた。昭和30年代の東京で働く女性が結婚し
、やがて夫を失ってしまう日常を、実に初々しい感性で表現した句
集だ。また、こんな若々しい句もあった。<春鏡ひとりと孤独とは
違ふ>。

 作者の岡本さんに聞くと、「冬鏡」、「春鏡」とは言っても、「
夏鏡」、「秋鏡」とは言わないらしい。
(文・酒井佐忠)

−2−
瞬間にかける俳句の言葉 (詩歌の森へ、毎日新聞2001年11月20日
、酒井佐忠)

 俳句という「負の文芸」に命を賭けるように全身体、意識のすべ
てをささげて飯島晴子さんが自死したのは昨年6月だった。「負の
文芸」といったのは単に俳句形式が最短の詩型であるばかりでなく
、一般の人には分かりにくいかもしれないが大きな空無を抱え込ん
でいるからである。その空無に魅入られたように、俳句特有の言葉
と格闘した俳人はそう多くはない。だから飯島さんの残した作品や
とりわけ言葉の力に関する鋭い批評は、読み手の胸底に響くように
伝わって来る。最新刊の『飯島晴子読本』(富士見書房)は、句集
収録作品、随想・評論、自句自解、年譜などまるごとすべてを収め
た貴重な一冊である。

 そこで飯島さんは俳句の言葉が立ち現れる瞬間について、実に
興味深いことを語っている。「短くて完結する俳句という詩型は、
言葉が言葉になる瞬間の不思議さについて、思いを誘うものをもっ
ている」と書き出す「言葉の現れるとき」と題する評論がある。
俳句が散文など他の文芸ジャンルと明らかに違うのは、「言葉が言
葉になる瞬間が無時間であること」「見るのと言葉が一緒に出てく
ること」「俳句という詩型は、人間の意識の底の方の形をなさぬ不
分明なところから偶然釣り上げられて、意識を通って更に、意識を
未知の先の時空までのばす、そういう強力な言葉の出現」に支えら
れることだという。

 そのような言葉の瞬間性と意識や対象との関連を見た上で飯島さ
んはまた、「俳句は上から下へ言葉に沿ってゾロゾロ読み下すもの
ではなく、一句の上下同時に眼にはめ込まれるようにうけとられる
ものである」と全く独特の表現で、俳句の言葉の立ち現れ方につい
て述べてもいる。さらに意識の中の暗闇を余計な分析をするのでは
なく、暗闇のままに放置して、その中で定型の力だけで言葉を掴ん
だ瞬間に、出口が開けるとき、それが俳句の言葉なのだ、と彼女は
言う。

 これだけ厳密に言葉について考え、それによって俳句を俳句たら
しめている特質を明らかにした人は、少ない。このような厳しい意
識を持ち続けた俳人が、あと半年で80歳という折に、死を選ばな
ければならなかったことがうなづけるような気もする。(以下略)

−3−
 どちらの記事も、それぞれの俳人の作品と長い間つきあってきた
文芸記者の作者と作品への愛着を感じさせてくれる。だがそれにと
どまらず、これらの記事を読んでいて、俳句という言語表現が言葉
を使って言葉にならない部分を表現する不思議な文芸であることが
感じられないだろうか。

 俳句の五七五は、構築するための言葉、足し算の言葉ではなく、
分解するための言葉、引き算における引く数にあたるのではないか
。作品の前提には、作者のありのままの人生が明らかになっており
、そこで作者の心を打った、心をとらえた何物か、心に浮かんだ言
葉が五七五で提示されことによって、作者の心の中に浮かんだ感動
や思いを思いやるのが俳句ではないか。

 五七五を聞いて、言葉の背後にある作者の心の中に起こった感動
、無時間の永遠の中で心の一番奥底から湧きあがってくる感動が、
伝わる・感じられると俳句は文学となる。しかしそのためには、
読者は作者の人生の起伏や作者をとりまく四季折々の自然現象を
理解しあるいはともに体験していなければならない。

 たしかに私たちは、芭蕉、一茶、尾崎放哉、種田山頭火たちの
俳句を彼らの人生とセットにして理解している。歌人や詩人の人生
についてはあまり知らないしそれほど興味を持たないけれども、
俳人については、無意識のうちに、俳人の生き様の一部として俳句
を捉えようとしている。詩をつくるにあたって、一点のウソもごま
かしも許されない厳しさを持っているのが俳句である。この点で
俳句は私小説に近い。私小説と俳句は、リアルなものが好きな日本
人にぴったりの文学である。

 素人や外国人による俳句がつまらないのは、五七五が説明調で足
し算になっているからだ。それだけでなく、俳句と自分の人生の間
に距離があるからだ。自分の心の奥底まで透徹しなければ、俳句は
文学として成立しない。俳句は全身でぶつからなければ作れない。
俳句とは生き方なのである。

得丸久文(2001.11.21)


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