713−2.読者の声



−−−活字離れは本当であるか−−−
kisizukaさんから反論が寄せられたので、考えてみました。
売れた部数で、どれだけ普遍に読まれているかを判断することは危
険ではないでしょうか。

もし大正〜昭和初期と、現在の比較をするなら、社会事情や人口、
産業構造、平均収入など様々な側面から比較しなくては本当の比較
にはならないと思います。

人口で言えば大正時代はおよそ5,000万〜6,000万人で、現在は1億
2,500万人。人口は単純に倍になってはいます。

しかし収入の面で言えばどうでしょうか。
大正当時の一般的サラリーマンの月給が20〜30円であったといいま
す。これらの人々は無論、たまの書籍購入の余裕くらいはあったで
しょうが、では当時も現在の日本のように、殆どがいわゆる中産階
級以上といえるような状況ではありません。

大正時代〜昭和初期は産業革命を果たしたといえ、それはあくまで
大都市のみの話。殆どの地方は農林水産業中心、特に貧しい農山漁
村でどのくらいの人々がその余裕があったのか。
義務教育で小学校に行かされたとはいえ、そういった地方の親は子
供にノートや鉛筆を買ってやれないほど困窮していました。当然本
など買えませんし、誰かの援助がない限りはその後の進学はおぼつ
きません。これは社会的構造による部分もありますが、それは本題
と外れるのでここでは触れないでおきます。

このような観点で見れば、大正時代〜昭和初期の書籍は「一部の人
」のものであり、一般大衆のものとは言い難いのではないか。
本を読めない人も少なくなかった訳ですから、この頃を称して言う
ならば「活字離れ」ではなく「活字に親しみたくともできなかった
人が多かった」という分析をするべきかと思います。

現在は「活字に親しめる環境や能力を持ちながらも避けている」の
で「活字離れ」と言っており、この表現はごく正しいものと考えて
います。

もう一つ、現状の状況で気になることがあります。
芥川賞やら直木賞を受賞すると世間の注目はいやがおうにも高まり
ます。そしてそれまでお世辞にも売れているとは言えなかった作家
の作品が、突然百万部単位のベストセラーとなる。受賞作以外の作
品も飛ぶように売れる、という状況になります。

普段別の作家の本を読んでいる人が、一時的にその作家の本の購入
に走り、売上が特定の作家に収束したという面はあるでしょう。
しかし私はそれだけとはみていません。
旬の話題になるから普段読まない人も飛びつく。しかし普段読まな
い人にはその本が良いものであっても、本当の価値は見えてこない
でしょう。ですから一通り読むと捨て置かれる。そして芥川賞、直
木賞の季節にまた別の作家の受賞作品を読んでみる。こんなことが
繰り返されているとみています。

そうでなければ数値として百万部単位で売れることは考えられませ
ん。何故ならばあの何処にでもあるような「少年ジャンプ」が100万
〜200万部ですから、百万部単位というのは現在の日本に有っても
驚異的な数字です。

書店の売上のベストセラーの数値から見えるもので、より注目すべ
きことは宗教団体の長の著書、または宗教団体の出版部門が発行す
る書籍が常に上位に居ることです。この宗教団体とはいわゆる三大
宗教のものではありません。これは何を意味するのか。もっと注目
すべき点だと思います。これらは少なくとも一般大衆に普遍に読ま
れる書物でないのは確かです。
長谷 
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件名:生徒さんへの答え  
面白い議論です。
「なぜ人を殺してはいけないか?」・・・答えはありません。
私は自分の家族が殺されたら、相手を殺すかもしれません。
良い、悪いというのも所詮は人間が作り上げたものです。
その善悪を絶対価値の範疇で議論する事体が無意味です。
 
人間はダメだけど、動物は殺す。単なるエゴです。
人間が生き延びたいから殺すのです。単なるエコシステムの一環で
あって、単にそうしなければ、人間が生きていけないのです。
 
先生も、あれほどロジカルな生徒と話す時はそれを認めて良いんで
はないでしょうか?
私たちは、つきつめてしまえば、非常に不条理な世界に住んでいる
ということです。全てを割り切ることはできません。
問題は、生徒さんに現実を教えることだと思います。絶対価値の中
での良い悪いに答えはない。しかし、社会を安全、円滑に機能させ
る仕組みに逆らった時・・・単に罰せられるだけです。
それを分かって人を殺す人間を人を止めることはできません。
もしそれを事前に予防しようと過度に考えれば、多くの場合、社会
全体への政府の干渉という形で、全体的にみたら、かえって民主主
義を後退させます。
 
罰を恐れる恐怖感と、所謂常識、もしくは思いやりが、多くの場合
犯罪を発生させないよう機能しています。その罰も、人間が造り上
げた政府という機関からの強制力です。そこに絶対真理はありませ
ん。単に約束事です。
 
まとめます。先生はあの場合生徒さんを善悪の範疇で説得する事は
できません。不可能です。世の中の矛盾を認めるしかありません。
その上で感性の話、かわいそうだろ?とか、自分が同じ事されたら
いやだろ?とか言えば、彼は納得するはずです。それでも彼が屁理
屈を止めない場合・・・・先生はからかわれてると思っていいでし
ょう。
shimizuky
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時々BBS(掲示板)を覗くのですが、本来の意見交換の場ではな
く、情報提供の場になっているようです。しかも、マスコミの記事
をそのまま転記したものが多いようです。マスコミではないところ
の情報で確度の高いものなら有り難いのですが、マスコミ丸写しは
感心しません。
 意見交換の場としてのBBSを別に建設したらどうでしょうか。
辻本
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(Tより)
戦略情報BBSを設けました。こちらに情報提供を御願いします。
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国家を競売にかけるとしたら        白鳥
もし野望多き宇宙人がいたとして、世界の全ての国々を競売にかけ
るとしたら、どこの国に最も高値をつけて貰えるでしょう。

私は現代ではかなり値崩れしてしまいましたが、それでも「日本」
が一番高いのではないかと思います。

それは何故でしょうか?
まず国民の「まとめやすさ」です。
中国人でも働く人は日本人以上に働きます。でも何故人口が十倍以
上もいる人口大国である中国が日本の経済力に負けるのでしょうか。
それは彼らの中に日本人ほどの「団結精神」がないためだと思いま
す。また日本人にはない「したたかさ」が強すぎるためだと思いま
す。

日本人というのはある意味バカで正直で単細胞だから成功出来たと
いう面があると思います。日本人が中国人やアングロサクソン民族
ほどの「したたかさ」があったら、よその国は警戒してとっくに侵
略を受けていたかも知れません。

アジアの国々にしても、日本がアメリカという親分にしっかりコバ
ンザメのように従っていてくれるので安心できていたという面があ
ったと思います。またこうしてアメリカに盲従出来たお蔭で経済発
展を遂げられたというのも事実でしょう。

しかし、国際社会の現実はどの戦もそうであるように昨日の味方が
今日の敵です。
今、ソ連の解体や中国の開放政策を見て分かる通り時代の様相はめ
まぐるしく変化を遂げています。こういう状況の中でその時々の敵
と見方を正確に見極める能力が求められるのは当然です。

果たして今まで通りアメリカに盲従するような外交姿勢でよいのか
どうかも含めて、今の日本は総合的な外交政策を見直すことが急務
と言えます。

そしてこの時肝要なことは、「自分の利」だけを考えるような今ま
でと同じような「味方」の作り方は考えものだということです。
国家同士の付き合いでも個人同士の付き合いでも、人は相手が「信
用」できる人物(国)であるかどうか相手の「魂胆」を見ようとし
ます。

その「魂胆」が今までのように余りにもおぞましいものであるなら
、例え味方でも相手側から「軽蔑」されるのがオチです。一応は自
国にとって都合が良ければ味方のような顔をしてさも好意を持てい
るかのように付き合ってはくれますが、自分らにとって都合が悪く
なれば、いとも簡単に切り捨てられます。そういうことに目が行か
ないのが日本人です。
つまり「お人よし」ということです。

薄汚い魂胆で味方を作ろうとした場合の慣れの果てがこのような結
果になります。現在及びこれからの日本の外交を見ていれば、おお
よそ検討がつくでしょう。

さて、このようなことを前提としてこれからの「外交のあり方」を
考えて見た場合、日本としてはどのような道に進むのが最も望まし
いのかを一度頭を冷やしてみんなで考えてみないといけないでしょ
う。

私が世界の中で日本が一番高値を付けて貰えるだろうと言ったのは、
先に述べたようにその「人のよさ」であり「団結力」なのです。
日本では誰かが音頭取りがうまいと一挙に変わってしまう国なので
す。現在は音頭取りのへたくそな者ばかりなので、改革も遅々とし
て進まないのです。

でも一旦流れが出来てしまうとドドっと音を立てて変わるのも日本
なのです。この日本民族の特性を利用すれば、日本を再度復活させ
るのは割合簡単なのではないでしょうか?

宇宙人の力を借りずしてこれを成し遂げるには、

1  まず一旦後ろに「退く意志」を持つこと
2  そして世界に日本を「最高値」で売るにはどうしたら
   良いかと考えること

だと思います。

まず国民の「気持ちを切り替える」意味でも、1は必要ですし、
2の方法としては、どこの国とも平等な精神で対するためにアメリ
カにも中国にも「頼る意志」を持たないで「独自外交」をやること
だと思います。

確かにこれには「勇気」がいるでしょう。第二第三の田中角栄の運
命が幾度かは列国のメジャーによってこれをやろうとする人にもた
らされるかも知れません。でもそれを恐れていたのでは、外交の発
展進化は望めず、いつまでも世界からバカにされつづけるでしょう。

PSIU 代表 白鳥 宙(富山県在住)
コスモ戦略コラム(主旨目的・これまでの原稿)
http://www1.odn.ne.jp/chuuwa/watasinokoramu.htm


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