706−2.立山止観の会の報告



得丸
−1−
10月31日の富山はコートが欲しくなるほど冷えていた。立山止観の
会の会場となっている蕎麦処大庵の二階の集会室ではそろそろスト
ーブの温もりが懐かしく感じられた。昨年10月にはじめた「論語」
の勉強会も、丸一年経過して、参加者はこのところ、論語を読む喜
びを心の底から感じられるようになった。これも継続のおかげであ
ろう。

子曰く、いやしくも我を用うる者あらば、期日のみにして可ならん
。三年にして成るあらん。(312, 子路第13)

これは、「仮に私に政治を任せる人があったら、一年でも、それだ
けの効果があがろう。三年にもなれば、ひと仕事完成できよう。」
という意味。仕事を成し遂げるときの目安である。

ちなみに私の富山での仕事も、はや一年半が過ぎ、思った以上に順
調に仕事がはかどっている。海表面温度を計測する人工衛星の受信
局を設置することを思いついたのが赴任直前である昨年一月であっ
たが、運良く今年度に予算がついて、今年の十月には契約業者が決
まって、来年三月に受信局の運用が始まる予定である。

拙速はよくないが、限られた時間をいかに有効に利用すべく努力す
るか、与えられたチャンスをいかにして事業の実現に結びつけるべ
く努力するかは大切である。

孔子は時間の目安に関わる言葉をいくつも残している。たとえば、
学而(15才)、而立(30才)、不惑(40才)、知命(50才)、耳順(60才)と
いう言葉は今も人生の節目をさして使われている。

子路第13には、この期日のみにして可ならん、という言葉のほかに、

子曰く、もし王者あらんも、必ず世にして後に仁ならん。(314)

という言葉がある。世というのは、十の字を三つ集めて作った漢字
であって、30年、あるいはひと世代を指す。どんな立派な王者が現
れても、やはり30年たたなければ世間の人気はよくならぬだろう、
というのだ。どんなすばらしいことも時間をかけなくては成し遂げ
られない。

子曰く、速かなるを欲するなかれ。小利を見るなかれ。速かならん
と欲すれば達せず。小利を見れば、大事ならず。(319)というのもあ
る。
我々のなすことは、すべて時間の関数である。

−2−
さて、今回は前回に引き続いて第11章から第13章の章句の中で
、仁について触れたものを中心に飛ばし読みしている。

298
ここでいっている「達」と「聞こゆ」の違いの指摘は、鋭い。我々
もついつい陥りがちな名誉欲への戒めであり、知名度というものが
実力とは無縁であることを指摘している。

有名である人は、有名になろうとしてなったのであり、実行するこ
とは仁とは全く逆であるという評価は厳しいが、当たっているかも
しれない。この手の人々に騙されてはならない。

300
「はん遅」は孔子の晩年に、馬車の御者をしており、孔子に愛され
た弟子である。彼は、孔子から言われたことを、自分で心底納得で
きるまで、わかったようなふりをしない。だから、孔子も重ねて
説明をしてくれる。わかったふりをしないのは、実に大切である。
はん遅は、孔子から二度の説明を受けてもなお、先輩弟子である
子夏に、先生にこう言われましたがどういう意味でしょうか、と
質問をする。この知への執着には学ぶべきものがある。

孔子は、まず「仁」とは「人を愛す」、「知」とは「人を知る」こ
とであるという。
弟子がそれで納得したそぶりを示さないので、「正直な人間を登用
して、曲がった人間の上に据えると、曲がった人間が正直になって
くるものだ」と説明する。その言葉の説明を子夏は、歴史上の逸話
によって具体的に示す。殷の湯王の時代に、伊尹(いいん)を大臣に
登用すると、悪者どもが逃げ出したことだ、と。

この伊尹については、「孟子」の中でも何回も言及されている。
中国の歴史上でもっとも立派とされる伝説上の政治家である。

伊尹は、田んぼの中で百姓をしながら、ひとり尭舜の道を楽しんで
いた。湯王からの誘いも囂囂然と断わっていたのだが、三顧の礼を
受けるにあたって、この王様を補佐して尭や舜のような王にしてあ
げようと思い直して政務につく。(「孟子」万章章句上篇7)

そのときの言葉として、孟子が紹介しているのは、「天のこの民を
生ずるや、先知をして後知を覚さしめ、先覚をして後覚を覚さしむ
。予は天民の先覚者なり、予まさにこの道をもってこの民を覚さん
とす。予之を覚すにあらざればすなわち誰ぞや」(およそ、天がこ
の世に多くの人民を生んだのも、先に物事を知った者に後れている
者を教えさせ、先に道に目覚めた者に後れている者をば目覚めさせ
るようにしているものだ。わしは及ばずながら、天の生みたもうた
先覚者だ。今から尭舜の道をもって天下の人民を覚醒してやろう。
もしわしが率先してやらなければ、ほかにいったい誰ができるのか
)というものだ。

先覚者の責任に燃える伊尹の心意気が伝わってくる。この万章・上
7で孟子が語っているのが、「未だ己を枉げて人を正す者を聞かざ
るなり」(自分を枉げるような正しくない者が、人の不正を正したと
いうことは聞いたことがない)という言葉。伊尹のように潔癖な人間
のみが、天下を正すことができるとする。

「孟子」尽心上篇31には、「伊尹の志あらば則ち可なり」という
言葉がある。これは、「伊尹のように一点の私心もなく、天下のた
めのみを思う真心があるならば、君主を追放することすらも許され
る」という文脈で使われている。

301
友達とは、忠告をする間柄であるが、相手が聞かないときはほどほ
どにという教えである。

302
「君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔く」というのは、お互
いに勉強して高めあうのが君子ということ。

「孟子」万章・下篇8には、「一卿の善士は、すなわち一卿の善士
を友とし、一国の善士はすなわち一国の善士を友とし、天下の善士
はすなわち天下の善士を友とす。天下の善士を友とするを以て、未
だ足らずとなし、又古(いにしえ)の人を尚論す。その詩を誦し、
その書を読むも、その人を知らずして可ならんや。このゆえにその
世を論ず。これ尚友なり」とある。
(友達というのは類をもって集まるもので、ひとつの村里で徳の勝れ
た人物は、やはり同じ村里での勝れた人物を友達とするし、一国で
の勝れた人物は、やはり同じ国内での勝れた人物を友達とするし、
さらにまた天下での勝れた人物はやはり天下での勝れた人物を友達
とする(というように、それぞれの器量にしたがって友達とする所が
違う)ものだ。
ところで、天下での勝れた人物を友達としても、なおかつ満足でき
なければ、さらに昔にさかのぼって、いにしえの聖人や賢人を友達
とするものだ。だが、いかにそれら古人の作った詩を吟じ、その著
した書物を読んでも、その作者の人物を知らないでいったいよいも
のだろうか、だから、さらに進んでその古人の活動した時代を論究
していかなければならない。これがつまり「尚友」、「さかのぼっ
て古人を友達とする」ということなのだ。)

仁の道を実践するにあたっては、古今東西の友達との交流がとても
大切である。

第13章
305 
実は私を「論語」へと誘ってくれたのは、関曠野著「国境なき政治
経済学へ 世界のアメリカ化と日本イエ社会をめぐって」(社会思想
社、1994年)である。その冒頭で、著者は、冷戦後の世界を考えるに
あたって、思想の基盤として「論語」の正名論を紹介している。今
読み返してもみずみずしいので、紹介したい。

「ソ連の崩壊による冷戦の終結は、対岸の火事どころか、我々一人
一人を偶発事と危険にみちた未知の状況に引きずりこんでしまった。
そして今さらのように孔子が語る『正名』の思想ー物事に正しい名
がついていないかぎり政治は混乱に支配されるという思想が想起さ
れる。現代の思想と政治の混乱は、ポスト冷戦の世界が生み出した
現実に未だに明確な名がついていないせいなのである。名もついて
いない現実については誰も語ることができない。しかるに政治とは
、何よりも語ることによってたんなるむき出しの現在を、過去を背
負い可能な未来をはらんだ『歴史的現在』に転化させることである。

そのように語ることが不可能なとき、我々は人間の基本的な徳であ
り能力である政治的能動性を失って無力感に打ちひしがれ、人間と
して荒廃する。だから現代のような時代には、我々は未知の現実に
つけるべき正しい名を求めて語り合い、論争しなければならない」

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あまりに長くなるので、今回の報告は前半だけで一回送信します。

筑摩書房の世界古典文学全集の「論語」(吉川幸次郎注)は、索引
がなんと80ページもあり、また吉川博士の博覧強記ぶりと論語へ
の愛着が随所で感じられる本です。
古本屋で見つけたら絶対買うべき一冊としてお勧めします。世は十
の字が三つという説明も、吉川博士の記述からです。

次回の論語の会は、11月12日月曜日、第14-16章で仁に関連する章句
と心に残った章句を飛ばし読みします。

得丸久文、2001.11.03
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31日は開始時刻も遅れたこともあったが、なんだかいつもより熱
が入って、結局夜11時までかけて、第13章の章句について読み
続けた。

307
古代中国では、官僚は300ある詩経の詩を覚えていて、外交交渉のと
きなどTPOに応じた適切な詩を読み上げて意思表示したそうだ。
だから、外交官にとって詩は絶対に必要な教養だった。(これも
吉川幸次郎先生からの受け売り)

この章では、「詩三百を誦す」ることができても、政治をうまく運
営できない、外交交渉をまとめきれないようでは、たくさん覚えた
意味がない、ということを言っている。これは、詩を覚えるのは、
表面的な丸覚えではだめで、詩の心に通じなさいということだと思
う。

「論語読みの論語知らず」という言葉があるように「論語」につい
ても同じことが言える。論語の精神をよく理解して、自分の意識に
よくよく刷り込み必要なときに自分の意識の奥底から論語の精神が
ほとばしり出るようにしなければならない。

312の「期日のみにして可ならん、三年にして成るあらん」、314の
「必ず世にして後に仁たらん」、319の「小利を見れば大事ならず」
については前半で言及した。

320
吉川幸次郎先生によれば、葉公は孔子の晩年の友人だった。だから
、孔子も率直に議論することができたのだと思う。

ちなみに、葉公が他に出てくる章句としては、165(述而第七)の「葉
公、孔子を子路に問う。」がある。子路が答えなかったのに対して
、孔子は今度聞かれたら「発憤しては食を忘れ、楽しんでは以て憂
えを忘れ、老いのまさに至らんとするを知らずというのみ」と答え
なさいと指導する。この孔子の自己描写は、孔子の心ののびのびと
した有り様を実にうまく表現できている。相手が気心の知れた葉公
だったからだろう。

その葉公が、我が国に正直者がいて、自分の父が羊を騙し取ったと
きに、その事実を証言したと言った。これに対して、孔子は、それ
は間違っていることを説くのだった。「私の町内の正直者はそれと
は全く違います。子に悪い点があれば父が隠してやり、父に悪い点
があれば子が隠してやります。それが自然の性質に正直に従った行
為ではありませんか」と。

吉川博士によれば、この章句が、法家と儒家の違いを鮮明にしてい
る。法家は法を優先するのに対して、儒家は自然な感情(人情)を
尊重する。

「孟子」勝文公・上5で孟子は、墨子の博愛説を否定し、身近な肉
親への愛情が厚いことは、人間として当たり前の感情であると説く
。吉田松陰は、「講孟冊記」の該当箇所で、「蓋し情の至極は理も
亦至極せる者なり。余常におもへらく、凡百の事、皆情の至極を行
へば、仁用ふるに勝ふべからず。(略)葬祭は皆人情なり。人情は
愚を貴ぶ。益々愚にして益々至れるなり」というコメントをしてい
る。

321
はん遅に対してということもあって、仁とは何かを具体的にわかり
やすく説いている。

休憩中でも気を抜かずに慎み深く、仕事しているときは緊張し、人
に対して誠実をつくすことが仁であり、それができれば外国人と付
き合うにもそのまま通用する。

ときどき相手が外国人だから日本の事情をよくわからないだろうと
思って、いいかげんな説明をしている人を見かけるが、このような
態度ではけっして心を打ち解け合わせることができない。相手が、
先進国の人間であろうと、発展途上国の人間であろうと、相手の立
場にたって、誠実に付き合うことが大切なのである。そうすれば、
21世紀のボーダーレス時代でも、生き延びていくことができる。

326
人物評価についてである。どのような人が立派な人かというと、「
町内の善い人が誉め、悪い人がけなす」人だという。みんなが誉め
るのもよくなければ、みんながけなすのもよくない。要するに人の
評判はあてにならないということか。誰かの評価を鵜呑みにして、
別の人物を判断してはならない。

みんな自分の評価というものが気になるが、それらにとらわれるこ
となく、ひたすら自分をみがけということになるのだろう。

329
「剛毅朴訥なるは仁に近し」というが、この四文字をひとかたまり
と捉えてもよければ、二文字ずつの熟語が並んでいると捉えてもい
いし、あるいは一文字ずつの意味を拾ってもいいだろう。

吉川幸次郎先生は、これは、「巧言令色鮮いかな仁」を反対から言
ったのだと説明されるが、そのすっきりとしていて鋭い説明には、
完全に脱帽。見事としかいいようがない。それくらい「論語」を自
分のものにしておられたということだろう。

得丸久文(2001.11.04)


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