701−2.(続)読書量と思考力の関係



読書量と思考力の関係              東 知世子
得丸さんのご意見を拝見していて、思い当たることがありました。
ちょっと個人的な意見になるかもしれませんが、発言させてくださ
い。

これは、私自身の反省も含めてなのですが、(ただ、ロシアに来て
読書が面白くなってきましたが)最近の日本人は、若者だけでなく
、中高年でも読書量が減っているのは事実でしょう。
しかも読んでいても、堅くない読みやすい雑誌や本、流行しては
すぐに廃れる類のベストセラー程度。

もちろん、これは日本だけの問題ではありませんが、この夏に帰国
したとき、私としてはしばらく日本を離れていて、いろいろなメデ
ィアを通して伝わってきて、まだ実際に読んでいなかった「新しい
教科書」や、「国民の歴史」だけはせめても読んでおこうと、帰国
中にかなり夢中になって、読んだのですが、私の周りの人で、それ
らを読んでいる人は残念ながら、ほとんどいなかったのです。

もちろん、そういうことに全く関心がないという層もいるのは世の
中、当然の話ですが、あれだけ話題になっていて、韓国や中国では
ほとんど過激というしかない行動で、そこまでして、制止しようと
するほどの内容が、一体どういうものか?

私は正直言って、これに関しては、単なるベストセラーとして、
無視できないものがあると思っていました。
読んでみて、やはり、マスコミや一部の正統派ぶっている意見がい
かに嘘臭いものであって、実に面白い本だし、まったく、そこまで
偏向した国粋主義を感じるものでもない、という私なりの結論が出
せました。

それに、できれば全部が正しいかどうかはともかくとして、このよ
うに新しい歴史の分析を、もっと多くの人が関心を持つようになっ
たら、明らかに今までの常識が覆せる部分がたしかにあると感じま
した。

しかしながら、このようなのが、一般の意見なのかどうか知りませ
んが、私の周囲の人で、自称インテリの連中は、それを読みもしな
いで、朝日新聞や他のメディアを鵜呑みにして、私に対して堂々と
意見する(当然、「そんなものを信じるのは国粋主義、右翼だ!」
というような全共闘世代の方々)その態度には、かなり憮然とした
ものです。

正直言って、彼らのレベルが低かったのかもしれませんが、大体、
読まずして他人の意見やコメントだけを、読んで、「それでよし」
とする態度は、怠慢以外の何者でもない気がしたのです。
反論するにしても、読んでから反論すべきです。

新聞に出てくる論者が、権威あるどこかの大学の教授だとか、何か
の分野の有名な専門家だとかいうだけで、信用してしまうのは、
まさに「疑うことを忘れた人間」としての、哲学的な後退現象、
でしかないような気がしたのです。

そういう意味でも、書物に書いてあることを疑ってみて、さらに古
典に遡ったり、自分の関心事について、突き詰める態度を失ってし
まうことに関して、私はかなり危機感を感じました。おそらく、
そういう意味では日本に本物のインテリというのは非常に少なくな
っている、(ロシアもそうですが)残念ながら、そう思います。

モスクワより    東 知世子
==============================

> そういう意味でも、書物に書いてあることを疑ってみて、
> さらに古典に遡ったり、自分の関心事について、
> 突き詰める態度を失ってしまうことに関して、私はかなり
> 危機感を感じました。おそらく、そういう意味では日本に
> 本物のインテリというのは非常に少なくなっている、
> (ロシアもそうですが)残念ながら、そう思います。

グーテンベルク、が現われて以後の、流行語でいえばIT時代の一般
的現象でしょう。
どこかに、書いてある、あの書物に書いてある。。ということで
安心しています。
文字が一部の人間の独占物であった昔は、書き物は、すべて口承、
に頼っていたといいます。
便利は不便、不便は便利、ということでしょう。
inoue
==============================
東さん、

僕は長い長居ロシア文学が、読む者を少しも飽きさせないところが
好きです。
とくにすきなのは、ソルジェニーツィンの「収容所群島」なのです
が、これは本当に読まれていない。日本人に限らず、フランス人も
イギリス人も、、、。ロシア人はどうですか? あの本は、ソ連の
圧政を描いた本ですが、読むと勇気のわいてくるすばらしい本です。

ソ連邦が崩壊する直前に発禁処分を解かれたはずですが、でも実際
に書店で手に入るのか、みんなが読んでいるのかは、また別の問題
ですね。

日本では昨年秋にソルジェニーツィンの「廃墟のなかのロシア」
(草思社、1900円)が翻訳出版されましたが、これはロシアで
は読まれていますか? そもそもソルジェニーツィンは元気?

あなたのコメントには全く同感です。自分でページを繰って読む以
外に、本の読み方はありません。

得丸久文
==============================
kishizukaです。

得丸氏の論文をよく読んでいないので、例によって要旨がずれてし
まっているかもしれませんが、いわゆる最近は「活字離れ」してい
ると言う内容であるのならば、完全な幻想でしょう。

例えば、昭和初期ごろの太宰の本は初版で3千部くらいしか売れなか
ったようですよ。今ならば芥川賞の純文学作家だって、出版社の注
文に応じられないくらいに忙しいと言うのに、ある程度の本が3千部
以下とか現代が活字離れしているなんてことはありえないでしょう。
明らかにそれはマスコミの作った幻想です。

戦後の一貫した、「大衆化」という流れの中で本の質が低俗化して
いるというのなら、分かりますが。

これらの現実と違った「デマ情報」が訂正されないで、国民に行き
渡ってしまうと言うところのほうが、掘り下げていかなければいけ
ない日本の、特にマスコミの課題に思うのですが・・・
==============================
21世紀のサミズダード(地下出版)
ロシアに住んでおられる東さんと、読書や出版、ひいては人間の知
識活動についてメーリングリスト上で意見交換しているうちに、「
21世紀はサミズダード(地下出版)の時代かもしれない」と思った。

1 良識ある作家の本が出版されない時代
 10月号の「新潮45」という雑誌を読んでいたら、ある作家が「図
書館で本を借りるのではなく、きちんと買ってくれないと作家は食
えなくなる」といった趣旨で記事を書いておられた。

 彼は自分の本が、図書館ではリクエストで順番待ちの状態にあり
、手あかがついて擦り切れるまで読まれているにもかかわらず、本
そのものは全然売れていない状況を嘆いていた。

 しかし、狭い家の中に、本立てを置く場所もない人が多いのでは
ないか。図書館に本がある時に、誰がわざわざその本を購入して、
読み終えるなりすぐに捨てるか古本屋(買い取り価格はべらぼうに安
い)に持っていくだろう。多少順番待ちしてでも図書館で借りて読む
というのが、人情というものではないか。

 こうして現代日本は作家がものを書いて暮らしていけなくなった
。それに、出版界も軽佻浮薄な世間に追随する傾向がより強まり、
いい本を少しではなく、売れ筋の本を粗製濫造する傾向にある。

 真実を描こうとする作家たちは、ソ連時代の良識ある作家たちと
同じ状態におかれるようになった。ソ連時代には、政治的理由で
出版されなかったものが、今は社会的経済的理由で出版されなくな
ったという違いはあるが。

2 どうやって真実性を証明するのか
 私は人工衛星による地球観測のシステム解析を生業としている。
数年前から、いくつかのアメリカの民間企業が、高い解像度の衛星
データを商業的に販売するという営業活動を行っているのだが、
そのような試みには疑問を持っている。

 その最大の疑問とは、「買ってきたデータの真実性を、どうやっ
て確認するのか」ということだ。人からもらう情報が、本当のこと
なのか、嘘なのかを、見破る手立てがなければ、安易にもらわない
ほうがいいというのが私の意見だ。

 これは、情報活動に限らず、インターネットの世界にも共通だ。
そこに書いてあることが真実であるということを、どうすれば確認
することができるのか。ネット社会におけるオフ会の意義は、ここ
にあると私は思っている。

 現代社会は、情報洪水の状態にある。テレビ、新聞、インターネ
ット、、、。そして、そのどれをとっても、送られてくる情報が
真実であるかどうか確かめる手段がない。

 ソ連共産党の機関紙「プラウダ」の意味は、「真実」だというこ
とを聞いたことがある。実に皮肉な話だ。しかし、おかげでソ連の
民衆は、何が真実で何が真実でないかを、タテマエではなくホンネ
の次元で、概念ではなく実存の次元で、常に確かめようとする意識
構造を身につけたのではないか。概念にとらわれない思考法を身に
つけたというべきか。

 サミズダード(地下出版)は、当局の目をくぐって出版あるいは
タイプ打ちされたものが、個人から個人へと回し読みされたものだ
。それを持っているだけで、犯罪になる場合もあったから、地下出
版物を人からもらうのにも危険が伴うし、誰かに渡す場合でも危険
が伴う。だから、当時のソ連に生きた人々は、生き延びる必要に迫
られて、相手が信用できる人間かどうか瞬時のうちに判断する技も
身につけたのではなかろうか。

3 真実のルールを身につける
 アゴタ・クリストフの小説「悪童日記」が、ソルジェニーツィン
の「収容所群島」が伝えようとした生き残りの知恵を簡潔にまとめ
直した作品であるという評価は、5年前に「国境のない惑星1」で書
き、国際戦略コラムにも転載ずみだ。もちろんこれはあくまで私の
個人的評価であって、作家本人に確認したわけではないが。

 本書は「真実のルール」にしたがって書かれてある。真実のルー
ルとは、(1) 自分が見ること、(2) 自分が聞くこと、(3) 自分が
すること、(4) そこにあるもの、だけを書くというものだ。私は、
本書に秘められたメッセージを読みといて、さらに(5) まごころ(心
の上の真実)も真実のルールに加えるべきだと思う。

 要は、これから私たちが意見交換し、情報交換するときに、内容
が真実のルールに合致しているかどうかを常に確かめるべきだと、
私はいいたいのだ。

 マスコミから一方的に送られてくる情報にそれを求めることはで
きないが、個人が参加しているメーリングリストや掲示板の場合に
は、個々の人間が常に自分で自分の書いていることが真実のルール
に沿っていることを確かめるべきだ。

 あるいは、誰かが書いたことを読む場合でも、それは書き手が自
分で見たことか、自分で聞いたことか、自分でしたことか、あるが
ままの存在か、あるいは書き手の心情を素直に吐露したものか、と
いうことを確認しながら読むべきだ。

 遠い外国の情報が欲しければ、それを外電から得るのではなく、
誰か信頼できる人をその地に見つけて、その人からもらえばいい。
ロイターやAPだから信用できると思っていると、必ず裏切られる。

 なぜならば、すべての記事は、誰か特定の人間が書いているのだ
。その人が真実のルールを守ったかどうかで、記事の真実性は保証
される。新聞記者や通信社記者は、これまでずっと長い間、真実の
ルールをないがしろにしてきた張本人なのだ。

「プラウダ」が真実を伝えなかったソ連の収容所社会は、ソ連邦崩
壊によって、地球規模に拡大したのかもしれない。

得丸久文(2001.10.26)
==============================
>  真実を描こうとする作家たちは、ソ連時代の良識ある作家たち
> と同じ状態におかれるようになった。ソ連時代には、政治的理由
> で出版されなかったものが、今は社会的経済的理由で出版されな
> くなったという違いはあるが。

図書館は大いに活用すべきです。
北欧のある国では、図書館で購入あるいは借りた本、の度数に応じ
て著作者団体に一定の金額を与えて、最終的に著者を保護している。
いくらでもやり方はあります。

日本も、図書館ネットをもっと拡大して欲しい。
私は有料でいいから自宅配達引取り、をやって欲しいと思う。
図書館が近くにない自営業者にとっては大助かり。

> 現代社会は、情報洪水の状態にある。テレビ、新聞、インターネ
> ット、、、。そして、そのどれをとっても、送られてくる情報が
> 真実であるかどうか確かめる手段がない。

ケインズ、のいう 美人投票でしょう。
美人、というのはいない。
大勢のひとが美人と思う、かどうかが、重要。

> サミズダード(地下出版)は、当局の目をくぐって出版あるいはタ
> イプ打ちされたものが、個人から個人へと回し読みされたものだ。

タルコフスキーの 鏡、では、出版社が誤植すると、意図的ないや
がらせ=反体制運動とみなされ処分される、という話がありますね。

> 本書は「真実のルール」にしたがって書かれてある。真実のルー
> ルとは、(1)自分が見ること、(2) 自分が聞くこと、(3) 自分が
> すること、(4) そこにあるもの、だけを書くというものだ。私は
> 、本書に秘められたメッセージを読みといて、さらに(5) まごこ
> ろ(心の上の真実)も真実のルールに加えるべきだと思う。

真実、と、事実は分離したい、とおもいます。
人間の目、ほど信用ならない、ものもありません。
とくに新聞記者の見たもの。。は、与えられたもの。。事実全体の
ホンの一部、ということがあります。ホンの一部、は真実でないこ
ともありうる。

> なぜならば、すべての記事は、誰か特定の人間が書いているのだ
> 。その人が真実のルールを守ったかどうかで、記事の真実性は保
> 証される。新聞記者や通信社記者は、これまでずっと長い間、
> 真実のルールをないがしろにしてきた張本人なのだ。

なかなか、困難ですね。一般の人間には。
事実を見るには、眼が要ります。眼は一朝一夕に仕上がらない。

> 「プラウダ」が真実を伝えなかったソ連の収容所社会は、ソ連邦
> 崩壊によって、地球規模に拡大したのかもしれない。

収容所列島の実態は、誰も把握していないと思います。
すくなくとも、日本については、報道が事実でない、という点につ
いて、ソ連より先輩、でしょう。15年戦争の始まる頃から、報道
はすべてfake。
inoue
==============================
得丸さん
ソルジェニーツィン自身は、一応健在みたいですよ。
ただ小説の方は、どうもぱっとしないような。
しかし、最近はほとんど彼の新しい作品なんて、わざわざ買って読
もうという人もいないくらい、人気はすっかりなくなったようです。

あまりにも、彼自身が政治的な立場を利用して、かなり欲の張った
ところが出てきてしまって、なんだか、有名ではあるけれど、好意
を持たれている感じはほとんどしません。

その点、驚くべきことですが、三島由紀夫がけっこう密かなブーム
で、その翻訳を手掛けている推理小説作家がボリス・アクーニン
(悪人)というペンネームで(本名はグルジア系なので、かなり難
しいらしい)出す小説全部と言っていいほどベストセラーになって
、しかもチェーホフ「かもめ」をテーマにした推理小説風の戯曲ま
で書いています。

日本の小説の翻訳も進んできて、「源氏物語」から「枕草子」、
果ては村上春樹、戯曲では安部公房、三谷幸喜に至るまで、かなり
関心を持たれているようです。

また、ロシア人のサムライ研究家みたいな人もかなりいて、日本料
理店には、そういう格好のおじさんがいたり、かなり本格的な歴史
研究書も出ていたり、日本好きのはまり方は相当本格的ですね。
読んでみて、内容もさることながら、サムライに対する、その熱意
と愛情に感動しました。

これを面白い現象というべきなのかどうか分かりませんが、不思議
なくらいに、日本に関心が集まっているのを感じます。
日本贔屓な若者たちが、夜の自動車ラリーでなぜか日の丸を振って
いたりして、それには驚かされました。
一種のブームというんでしょうか・・・

東 知世子
==============================
東さん、
パステルナークのドクトルジバゴにしても、収容所群島にしても、
ロシアへの愛を感じさせてくれました。
ソルジェニーツィンが、いまこの時に人気を失っているというのは
、彼が変わったのか、民衆が変わったのか、さびしいことですね。

> あまりにも、彼自身が政治的な立場を利用して、
> かなり欲の張ったところが出てきてしまって、

その噂が本当だとしたら、さびしいです。あるいは、それくらい彼
自身も追い込まれているのか。

> 三島由紀夫がけっこう密かなブームで、

どんな作品が人気を集めているのですか。おもしろいですね。
三島の「豊穣の海」4部作は読みましたが、けっして日本的な作家
ではないと思います。
舞台は日本なのに、手法は西洋風な構築で、やっぱり東大法学部か
ら大蔵官僚になっただけのことはある、なんて思いました。

> 日本の小説の翻訳も進んできて、
> 日本好きのはまり方は相当本格的ですね。

おもしろいですね。それはいったい何故なのでしょう、日本のどこ
が好きなのでしょう。
興味深いです。いつかロシア人に聞くことができたら、教えてくだ
さい。
それと、最近のアネクドートに、何かいいやつはありませんか。

10年前に英字新聞(IHT)で読んだのは、母が子供に「ぼうや、大
きくなったら何になりたい」と聞いたところ、子供が「ママ、僕外
国人になりたい」というやつでした。もっと新鮮で、ロシア人の心
を感じさせてくれるものがあれば、ご紹介ください。

得丸久文

コラム目次に戻る
トップページに戻る