701−1.イスラエルとユダヤ人に対する誤解につ いて



☆国際戦略コラムで「ユダヤ人国家イスラエル」の正当性を疑問視
(敵視)する向きがある。歴史的事実から誤解を解消して正当性を
確認(主張)したい。

@「ユダヤ人がパレスチナへ来て、元からいる住民を追い出して 
第二次大戦後戦後(1948年)イスラエルを建国した。」
★ NO.
 イスラエルは紀元132年にローマに滅ぼされて「離散(ディアス
ポラ)」の時代に入りますが、事実は少なからぬユダヤ人は故郷に
踏みとどまりました。(考古学的、歴史学的な証拠の裏付け<例>
5世紀に編纂されたパレスチナの「ティベリア版タルムード」など)
ローマ以降はパレスチナは、ビザンチン、ペルシャ、アラブ、十字
軍、トルコと支配者が次々と変わりましたがパレスチナからユダヤ
人の「共同体」は絶えることはありませんでした。宗教上の理由で
祖国帰還は大昔(紀元前538年には「バビロンの捕囚」になったユダ
ヤ人がパレスチナの地に帰ってきた。)から続いていました。(大
規模になったのは19世紀の「シオニズム」から。)
ユダヤ人は近代になってからでもパレスチナに130年以上の国造り
の歴史を持っています。アラブ人も住んでいましたが(主に貧農、
半遊牧民、ベドウィン)パレスチナがアラブ人の単独国家だったこ
とは歴史上一度もないです。
現在のイスラエルの国土の70%以上は英国委任統治政府管理の公用
地で1948年国際法に従ってイスラエル国に移管されました。アラブ
人大地主が所有していた貧農小作人「フェラヒン」が住む<荒地>
もユダヤ人が主に19世紀から法外な高値で購入して<開拓>したも
のです。
現在、パレスチナに住む何万人ものアラブ系住民は、ユダヤ人の大
規模な開拓事業が始まってから仕事を得ようとヨルダン、シリア、
イラクなどからパレスチナに労働力として流入してきた人たちです。
 アラブ難民の発生は、ユダヤ人の入植ではなく第一次中東戦争時
にアラブ軍の煽動によって脱出を強要されたことに原因があります。
エジプトなどを除くの多くのアラブ側諸国は「イスラエルは国連に
よって人工的に作られた国家で生存の権利がない。」と主張してい
ます。独立の翌年(1949年)、国連に加入を認められ国際社会の多
くの国々から承認された国家が国際機関による一片の宣言で誕生す
る訳がなく、前述などの歴史と実績が国際社会に根拠として認めら
れています。

@「イスラエルは欧米の植民地主義の手先である。」
 ★ NO.
「事実はヨーロッパの国は全て(イギリスを含む)反シオニズムで
あり、特に外務省、国防省、大企業に顕著であった。」
(イギリスの歴史家 ポール・ジョンソン [モダンタイムス]1983)
イギリスの「マクドナルド白書(1939)」は「パレスチナをユダヤ国
家にすべきとするのは大英帝国政府の政策ではない。」という反ユ
ダヤ政策の頂点であり、ユダヤ人移民や土地の購入を厳しく制限し
て、ユダヤ人社会から反英独立地下抵抗組織(イルグンなど)を生
む原因になりました。イギリス軍は、イスラエルの独立前夜パレス
チナから撤収しましたが、武器や戦略要衝地点はアラブ人に引き渡
していきました。

@「西側諸国は、ナチスのユダヤ人虐殺に同情してパレスチナをユ
ダヤ人に与えた。」
 ★ NO.
パレスチナのユダヤ民族国家建設を認める欧米の意向は1917年のバ
ルフォア宣言などヒットラー台頭以前からありました。

<なぜ、アラブの独裁者はイスラエルに攻撃的なのか?>
 *日本の隣国の政府首脳たちが日本政府に見せる理解不能な非論
理的言動に似ていると思います。非論理的感情的自己中心的態度は
大陸(半島含む)アジア人の共通項なのか。日本政府も隣国政府に
妥協しはじめるとキリがありません。現職の首相と外相は歴史的視
点のなさ、国益追求のなさ、鳥瞰的視野のなさ、教養のなさ、論理
性のなさでは明治以降最低レベルなのではないのでしょうか。彼ら
は本当に政治家なのでしょうか?現在の政治家の仕事は単に選挙に
当選する事なのか。政治家の国際的競争力はどうなっているのか?
まあ、与野党ともア○面が揃ってるんでもしかしたら世界最低水準
なのかな。

MONTANA
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(Fのコメント)
現時点のイスラエルとパレスチナの紛争は、イスラエルの存続では
なく、ヨルダン川西岸のほとんどを、故郷を失ったパレスチナ人に
与えたらといいではないか??という議論をしている。それに対し
て、イスラエルが拒否していることですよ。

それに対してはどう、お考えなのでしょうか??
現在時点の紛争焦点をぼかしているように思うが??


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