696−3.約束のさざれ石



                                鈴鹿国際大学教授 久保憲一

 平成十二年一月五日、私にとってとても大事な人を失った。岐阜
県揖斐郡揖斐川町の小林文治翁。一月、突然私に訃報が入った。
物欲なく「公」に奉ずるという典型的な旧「日本人」、最後の日本
人であった。翁の葬儀には、私は当然参列したが、翁からさざれ石
の寄贈を受けたわが鈴鹿国際大学学長・勝田吉太郎先生、また海外
では台湾東方工商専科学校校長の許国雄先生からも献花されていた。

 前後するが、その前年の春四月にもパラオ共和国大統領特別顧問
のイナボ・イナボ閣下の訃報を聞いた。この小林文治翁と共に岐阜
県春日村産の「さざれ石」をパラオへ寄贈するため、現地でいろい
ろとお世話をいただいている最中であった。会議中、突然倒れられ
たまま不帰の客になられたのだという。靖国神社と大和桜の大好き
な方で、靖国神社のことを語れば、日本人の亡き戦友・部下のこと
を想い、いつも涙ぐまれていた。イナボさんと靖国神社について、
私も大学の教室で話すと、ついつい涙ぐんでしまい。以来、不本意
にも「泣きの久保」と学生にからかわれた。イナボさんは「日本人
は靖国神社をあまりにも粗末に扱いすぎる」と常々言っておられた
。やはりこの方も最後まで大和魂を貫かれた旧「日本人」であった
と思う。次の一文はイナボさんへの弔辞である。

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痛恨
 友人の電話で知りました。あまりの衝撃のために頭が数日間ボー
ッとしていました。 こうしてようやく筆をとった次第です。

 先月、三月五日から九日までのゼミ学生のパラオ研修旅行では何
から何までお世話になりました。クニオ・ナカムラ大統領への表敬
訪問、オキヤマ・トヨミさんご夫妻へのご紹介、また他州の知事さ
ん、その他の重要な方々にもご紹介くださいました。そしてどなた
も皆「イナボさんのお客だから、この人(私のこと)はとても大切
な方なのだろうと」言うんだよと、車中、苦笑されていた事を思い
出します。帰国当日の朝、空港まで見送れないからと、ホテルの部
屋までわさわざ丁寧なお別れの挨拶のお電話をいただき、また五月
には来日されると聞き、わが大学での再会を大変楽しみにしていま
したのに。それが最後でした。

 あれほど御元気だったのに、丁度一ヵ月後の全く信じがたい知ら
せです。
 それとなく現地の方々から風評をお聞きしましたが、イナボさん
の高潔なお人柄をみなさんが称賛されていました。私もイナボさん
の立派なご容貌に接し、驚嘆した一人です。このような立派な方に
巡りあえたことを一生の「宝」だと思いました。イナボさんには多
くのご示唆、お導きをこれからも頂くはずでした。とても残念です。

 まず、岐阜の小林文治様らと日本国歌「君が代」に詠まれている
「さざれ石」をペリリュー島に寄贈させていただく手筈を整えてい
る最中でした。

 またパラオとわが大学、学園との交流計画をすすめようとする矢
先でした。
 私事ですが、今夏、私の甥をイナボさんの御姉上のお宅にホーム
ステイさせていただく予定でした。

 今から想うと、イナボさんは一ヵ月前、何だかあまりにも急いて
いらっしゃったように思います。以上の事柄についても、猛烈なス
ピードで各方面に連絡をとられておられたように思います。それに
充分お応えできないまま急逝されたことは、慙愧に耐えません。
突然の悲報に暗澹たる気持ちです。

 ただ、さざれ石は、多くの方々のお力を拝借しつつ、イナボさん
のご遺志を必ず実現させていただきます。お約束いたします。都合
上、お葬式には参列できませんが、知人にご伝言いただきます。「
日本軍人・イナボさんどうか、どうか安らかにお眠りください。
そして天上よりいつまでも我々をお見守りください」。

鈴鹿国際大学助教授・水屋神社宮司 久保 憲一
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 平成十一年と十二年の春、立て続けに生涯忘れ得ぬ、二人の尊敬
すべき師に去られ、私は悲しい桜を眺めることになった。しかし
このお二人の遺志を継ぎ、いつかかならずパラオに「君が代のさざ
れ石」をお届けしなければならないと思っている。

平成 13/10/25 (木) 
Internet Times 
インターネットタイムズより
http://www.internet-times.co.jp/


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