695−1.テロリストの成立ち



イスラムのテロリストの成立ちを検討しよう。  Fより

「イスラムのテロリスト」黒井文太郎は、なかなかいい。
現代イスラム・テロリストには、3つの母体があった。
1.殉教思想が強いシーア派イスラムで、1979年に誕生した
  イランのイスラム革命政権
2.エジプト中南部「上ナイル地方」と呼ばれる地域。「モスレム
  同胞団」から派生したさまざさなイスラム原理主義運動
3.多数派ヒンズー教徒と昔から戦っていたインド亜大陸のイスラ
  ム聖職者集団

この3つの水脈を結びつけたのがアフガニスタンの戦場であった。
その後シーア派とスンニ派を結んだのはイランである。詳しく見る。

1.エジプト
イスラム・テロリズムの源流は、1928年にエジプトで誕生した
「モスレム同胞団」に行き着く。現在でもエジプト社会に隠然とし
た影響力を持っている。モスレム同胞団は、「アラブの復権」とい
う民族主義的な要素もあって急成長して、1932年にはカイロに
進出している。1948年にイスラエル建国にともなう第1次中東
戦争にメンバー多数を義勇軍として参戦した。これにより、100
万人の組織になっていた。しかし、48年12月当時の首相を政治
路線の違いから暗殺したため、大弾圧の対象となった。その後持ち
返したが、54年10月にナセルを銃撃して、徹底的な弾圧を受け、
メンバー数千人がサウジなどの諸外国に逃亡した。エジプトに残っ
たメンバーも地下に潜り、「ジハード」などの組織を作っていた。
そして、次に大きく取り上げられたのが1981年サダト暗殺で、
テロ組織「ジハード」が関与していた。

2.イラン
1979年ホメイニが「革命の輸出」を提唱し、すべてのイスラム
教徒に蜂起を促したことが萌芽。このため、各地のシーア派に不穏
な動きとして現れた。79年11月米国大使館占拠、81年1月に
決着を見たが、イスラム原理主義という言葉を世界に定着させた。
そして、ホメイニ学校を作り、その人脈で「革命の輸出」を行った。
レバノンのシーア派を組織化して、ゲリラ「ビスボラ」と作った。
レバノンのベッカー高原にイラン革命防衛隊3000人が送り込ま
れ、それにレバノンのシーア派民兵を加えて構成されていた。この
ため、ビスボラはイラン別働隊と今も見られている。シーア派イス
ラムには殉教思想があり、自爆テロを行う思想的基盤がある。イラ
クとイランの戦いでも、イラクの戦車にイランの兵士は自爆する覚
悟で突っ込むため、イラクの最新鋭戦車でも戦況の膠着を突破でき
なかった。そして、この時、イランはサダム・フセインを「イスラ
ムの敵」とした。このため、湾岸戦争でもサダム・フセインが聖戦
と呼ぶ掛けても、イスラム社会は反応しなかった。

3.アフガン
イスラムの敵は、イスラエルであったのが、ホメイニによって、「
イスラム対欧米」という図式ができた。しかし、その時点では、
あくまでもシーア派内部のことであった。米国とスンニ派の関係は
それほどではなかった。ソ連のアフガン侵攻により「イスラムの敵」
ソ連の敵は味方となり、米国と共闘する関係になった。CIAとサ
ウジが金を出している。そして、このアフガンでの戦争を「ジハー
ド」と宣言されたために、全アラブから義勇兵が集まってきた。
モスレム同胞団も積極的に義勇兵を出した。
ウサマ・ビン・ラディンもこの時参加した。彼はその財力が飛び抜
けていたためと、ラーディン建設会社の各地の事務所で義勇兵の受
け付けをしたため、義勇兵人脈の顔役の1人となったようだ。そし
て、もともとここには、インド亜大陸との闘争で鍛えられたイスラ
ムゲリラ集団がいたため、3つの源流の世界のテロ集団の大連合が
できてしまった。

4.シーア派とスンニ派の提携
サウジアラビアがスンニ派原理主義者、イランがシーア派テロリス
トと支援を住み分けていたが、サウジに米軍が駐留したことにより
、スンニ派原理主義者が、サウジを批判した。このため、スンニ派
原理主義者への支援をサウジは停止してしまう。これにより、イラ
ンがスンニ派原理主義者にも、支援開始して提携が確立した。
イランはスンニ派原理主義国家スーダンへの支援を行っている。
スーダン国内にはテロリストのキャンプが17ケ所ある。イラン国
内にも11ケ所のテロ訓練所がある。その後、シリアがPLOとビ
スボラの庇護を買って出る展開となっている。

5.自爆テロ
本来は自爆テロはシーア派の殉教思想から出たのであるが、モスレ
ム同胞団がイスラエル闘争のための組織「ハマス」がサウジからの
潤沢な資金で闘争の主導権を獲得していた。しかし、湾岸戦争後、
支援が途切れた時イランが接近し、ビスボラとの連携ができること
になる。ビスボラの訓練所で殉教思想をハマスも植え付けられた。

6・最後に
このようにテロの歴史を見ると、イラクよりイランの影響の方が、
非常に大きいことが分かる。イラク攻撃よりイラン攻撃の方がテロ
支援国家という意味では、効果が大きい。しかし、米国はイスラム
の敵であるイラクを攻撃すると言う。イラクはテロ支援をしている
と言うが、歴史を知っているかと疑問である。先に結論があるよう
な感じがする。また、イランのテロ支援に米国は言及しないのも
おかしい。
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      ラデン戦略         2001.10.20 秋好 修

 米日の報道陣が名づけた「同時多発テロ」には、違和感がある。
 テロと言えば、暗殺や爆弾トラックなどを連想し、被害も数人か
ら数十人だからである。
 そこで、「9.11事件」を考えたが、事件というには5千人の被害は
大き過ぎ、ブッシュの言う「戦争」は宣戦布告もなければ、兵士も
居ないので、不適当。
 事変ではどうか、という結論になった----盧溝橋や柳条湖など、
地名からの命名法に従って、「マッハッタン事変」、略して「M事変
」となる。

 さて、犯行声明こそ出さなかったが、ラデンが黒幕であることは
半島局(アルジャジーラ)の衛星放送で確定した。 
「神は米国を破壊した回教徒(ムスリム)の尖兵たちを祝福し、彼
らを天国に招いた」と、声明を発表したからだ。この神の名は無論
、回教(イスラム)のアラー神である。
「預言者ムハンマド(マホメット)の地、アラビア半島から悪魔を
追放する風が吹いている」とも、言っている。 この「悪魔」は駐
留米軍を指している----「鬼畜米英」と、似たような言い方である。

 ラデンの戦略目標は明確である。 
1.パレスチナに平和を(イスラエルはこの地を明渡せ)
2.異教徒の軍隊は駐留するな(米軍はアラビアから出て行け)
3.そうしない限り、米国に平和は訪れない(米国社会へ次々と、テ
ロをしかけるぞ)
----金融機関のつぎは報道機関らしい。初めは航空特攻、つぎは細
菌送りつけだ。 
彼の目には、米国の金融と報道はユダヤ人の手に握られている、と
見えるようだ。

 そして、その戦術はきわめて独創的である。
M事変では、ハイジャックと特攻とを結び付けたし、今度は細菌と郵
便とを組み合わせている。何という恐るべき狡猾さだろう?   
無論、狡猾でなければ弱者は強者と戦うことが出来ない。
 毛澤東戦略も、強力な日本軍と戦うために、人民の中から銃を撃
つ、という遊撃戦法で、戦士と住民とを見分けることが出来ないよ
うにして、日本軍を翻弄した。
 
 いま、米国の治安機関は回教戦士と穏健な回教徒とを見分けるこ
とが出来ずに困惑しており、短気な住民は回教徒(アラブ人)とみ
れば、迫害している。迫害は穏健を過激へ追いやる結果になり易い
のだが-----。
 さて、ラデンの潜伏先であるが、前に本コラムのF氏が推察された
ように、朝鮮半島と思われる。朝鮮労働党はアフガン神学党と同様
に、タイで韓国閣僚を爆殺するやら、日本列島の頭越しにミサイル
実験をするやら、やることが常軌を逸している。
 金正日が訪ロした時、わざわざ時間のかかる列車を使った。
アフガンを脱出したラデンを拾って帰るには便利であった筈だ。
やがては潰されることが目にみえている岩山の国の洞穴に隠れてい
る、とは思えないのである。
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国際戦略コラム 様           山崎と申します。

 多くのひとびとはご存じかとは思いますが、
視点が鋭いなと思った次第です。もちろん、僭越ですが。

増田俊男の時事直言のHP
http://www.luvnet.com/~sunraworld2/

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湾岸諸国、対米批判強める・米中東外交揺るがす 
 ペルシャ湾岸諸国の間で米国のアフガン攻撃に対する批判が強ま
っている。連日の空爆がタリバン軍だけでなく一般市民を巻き込み
、犠牲者を出しているためだ。米軍駐留を認める親米国家でも「米
国はイスラム社会全体を敵に回す」と警告する声があり、批判がさ
らに強まれば、対テロ作戦を進める米ブッシュ政権の中東外交の足
場が揺らぐ可能性を指摘する声もある。 
 カタールのハマド外相は23日、「罪もないアフガン国民を犠牲に
する米国の空爆は許せない」と発言。実業家として知られるサウジ
アラビアのワリド・ビンタラール王子は「バランスを欠いた米国の
姿勢をアラブ諸国は注視している」と述べるなど湾岸諸国では要人
の対米批判が相次いでいる。ワリド王子が先にニューヨークを訪問
した際、米同時テロ被害者のためジュリアーニ市長に贈った小切手
を、同王子のパレスチナ問題を巡る発言を気にかけた市長が返却。
米・サウジ関係がきしみを増す一因となった。
(バーレーン=小林明) 


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