686−2.白鳥コラム



白鳥です。
このMLが「稔り」多きものとなるように願って、私の
考え方を二つばかりご紹介したいと思います。
場違いの意見でしたらお許し下さい。
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1 多くの議論がなぜ稔りをもたらさないのか考えました。
多くの議論がなぜ「稔り」をもたらさないのかと言えば、「稔り」
に対する「執着」が薄いからだと思います。
執着が強ければ、どうやったら稔りをもたらされるかを真剣に考え
るはずです。

人は全て、その人の生い立ちや、持って生まれた傾向性からその人
なりの価値観や考え方を持っています。
まず、相手の立場に立って、そう感じたり考えたりする「事実」を
「認め」てあげることが大事なのではないかと思います。

「切り捨て」たり、除外したりする態度は慎みたいものです。
論をする相手に対しての「愛情」を持ちつづけない限り、いくら
自分が理性的と自認している人でも、感情的にムカついたりします
。この「感情」が結果として「議論のための議論」に終ってしまう
のが、ほとんどの議論のようです。

感情論でやるなら、徹底的に感情論で応酬すればよく、理性論議を
やるなら、あくまで理性で応じるべきだと思います。
著名な哲学者や評論家と呼ばれる人々でさえ、多くがこの感情と理
性をごっちゃにした論議を展開している状況はまことに残念です。
これが議論が「稔り」をもたらさない原因だと思います。

「愛」がなければ一切は空しいーーーーー From 聖書
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2 バーバリ猿のはなし
バーバリザルというのがいるそうです。このサルの社会は完全な民
主主義だそうです。

誰かと誰かが喧嘩をします。すると他の多くのサルが寄ってきて
それぞれ、分があると思った方の味方をするようです。そして、
獲得した見方の数によって、実際の戦いを経ずして喧嘩は解決する
そうです。

何が何でも自分の理をごり押しし通そうとすれば、最後には暴力の
戦になります。

私は「革命」というものを否定する立場のものではありませんが、
一旦選挙制度が確立された文明国と呼ばれる国々においては、あく
まで選挙による戦いが戦いとなるべきだと思います。

たとえ、それが「利権」による歪んだ体制であったにしても、利権
を求める大衆がそのレベルである以上、致し方のないことだと言え
るでしょう。
また、単なる芸能的人気によるもので、政権が維持されていたにし
ても、大衆の意識レベルがそれだけである以上、これもまた致し方
ないことです。

私は、今の小泉政権が、虚妄の政権であると思っています。でも
今までの虚妄政権よりはましかなぁという感じで捉えています。
でも、今回のテロ事件に対する対応ぶりその他で見る限り、小泉さ
んは案の定、ぐらつき易い性格構造を持っていることが露呈した感
じです。以前に私は彼の精神レベルが高校生並だろうと書きました
が、私の予感は当たったという感じです。(ちなみに石原氏などは
大学生レベルだと書きました)

でも50%以上の支持率を確保している以上は、政権として認めざ
るを得ません。「かっこいい」から支持している若年層も多いでし
ょう。
ならば、彼よりもかっこいいのが出てこなければ、政権を覆すのは
難しいでしょう。

日本も早く、バーバリザル並に進化して、首相公選制に移行できる
ようになりたいものですね。
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白鳥です。
以下の原稿は他のMLに書いたものです。
どうか私の考え方の一端をご理解下さい。
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余りにもバカらしくなって一言言いたくなりました。

どこまでが(正当な)戦争でどこまでが(非合法な)テロかなどと
論議をしている人々がいます。

私は何度でも言いますが、私の頭上に爆弾が落とされて、手足をも
ぎ取られれば、有無を言うことなくこれを「テロ」と判断します。
戦争もテロもこれは明かな「喧嘩」であり、そこに[ルール]など
を設けようとすること事態がナンセンスではないでしょうか?

「勝てば官軍」という言葉があります。現代、「正当」と見なされ
ていることの多くも、買った側が打ち立てた論理による正当性であ
る場合が多いのではないでしょうか。戦争や喧嘩というのは、「論
」が無用だから戦争なのであって、そこにルールもへったくれもな
いのではないでしょうか。
非戦闘員の市民がまったく巻き添えにならない戦争というものがあ
るのかどうか私は知りません。

それに、正当な戦い(例えばスポーツなど)というのであれば、
そこには「審判」がいるはずです。一方だけの肩を持つような審判
でいるなら、審判がいない方がまだましです。

それに殺傷能力が同じだけの武器を持って戦うというなら話は分り
ます。体重百キロの体重の大人と体重十五キロの子供の戦いにいく
ら理由付けしようと「正当性」を見出すことは出来ないでしょう。

それに、私に言わせれば、飛び道具を使うこと事態が卑怯です。
そこに「正当性」をかこつけるのは止めてもらいたいものです。竹
やりと機関銃を持ったもの同士が同じ土俵で戦う戦に如何なる正当
性があるというのでしょうか。

バカな論議は早々に止めて、自分がされたくない殺生はすべて悪(
=非正当)なんだと皆が気づかないといけないのではないでしょう
か。
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白鳥です。一つの意見としてお聞きください。


テロが生まれる温床について

テロは非道です。その非道は何ゆえ生まれるのでしょうか。
一つに言えることは「恨み」「怨念」といったものがテロを行
なう者の意識の根底にあると思われます。

その恨みや怨念感情はどうして生まれるかと言えば、「疎外
された」という意識からだと思います。つまり被害者意識です。

アメリカは間違いなく、いくつかの国々から恨みを買っています。
それはなぜかといえば、彼らが貧しい国から「搾取」をしてきた
からです。もちろん、搾取をした利益の結果から世界にもたら
された恩恵というものはあります。

しかし、人は悲しいかな、受けた恩よりも受けたアダの方をよく
覚えているものです。それで、働けど働けど我が暮らし楽にな
らずということで、こんなシステムを作ったのは誰かと社会意識
に目覚めた貧しい国の憂国者は考えます。

そしてそれが、世界をアメリカナイズしようとするアメリカ政府や
アメリカ財界、またアメリカに追従しようとする国々の政府や財
界の意識だという風に捉えます。

また、それに無目的に追随する一般国民も同罪だという風に捉
えます。(「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という意識感情も同時に
働いているものと思われます)

さて、この上でどうすればよいかと考えて見なければいけないと
思います。

まず「搾取」をするという意識を無くすることではないかと思います。
同じ国内や会社内においても、国民や社員を「道具」として捉え、
自分の利をを得るために、一人の「人間」として国民や社員をみ
なさず、「人は石垣人は城」と言った武田信玄流の捉え方で、一人
の人間を捉えているのではないでしょうか。本当に松下幸之助さん
のような心をもった経営者は稀でしょう。

文明国であればあるほど、経済が豊かになればなるほど、「心」を
忘れていくのは、人間の悲しい嵯峨です。

今現在、一日で10万人の飢えで死ぬ子供たちが世界にいます。
一方の国では食料を世界中から輸入し、その三分の一がゴミ箱に
棄てられている状況です。
この現実に対し、わざと見ないのか、気づかないのか、また気づか
せようとしないのかは分りませんが、日々の贅沢三昧に現(うつつ)
を抜かしている人々がほとんどだということです。

「メシが食えない」という言い方は、文字どおり口に運ぶご飯がない
ということではなく、世間一般並みーーこんなものがあるのかどうか
は分りませんがーーの生活がままならないということを摩り替えて言
っているだけに過ぎません。

世界から「貧困」をなくさないと、テロはなくならないでしょう。
そのためには、利益配分のあるべき姿を皆で模索しないといけない
のではないかと思います。

とにかく自分の贅沢欲求を満たすために、犠牲となっておられる方々
が世界中に何百万といらっしゃるのだということを片時も忘れず、その
方々に感謝しながら生活をする姿勢を取り戻さないと、日本の繁栄も
今現在世界の文明国家が享受している繁栄も、完全に終わりを遂げ
てしまうでしょう。


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