674−1.ビンラディンはどこに??



ビンラディンはどこにいつか推測しよう。   Fより

ズハリ、北朝鮮にいる。なぜか??まず、ソマリアやチェチェンで
は安全ではない。イラクも米国から睨まれている。米国の視野外で
ないと、世界的なテロの指揮ができない。とすると、予想外な所の
可能性が高い。そして、テロ後の写真として、アフガンと思われる
地域での式典に出席しているオサマ・ビンラディンの姿が出たが、
これは、完全な騙しであろう。これが出たことで、もうアフガンに
はいないことが判明した。米国軍特殊部隊がいくら、探索しても
ビンラディンはアフガンにはいない。

イランのジャーナリスト、イルファン・パルビズ氏は、ラディンは
イラク亡命と言っている。しかし、イラクのアジス外相はラディン
とは一切、関係していないと声明している。それは米国のイラク攻
撃をされたくないためで、もし、ラディンを亡命させたら、いい口
実を与えることになる。よって、イラクはラディンの亡命という
冒険をしないと思う。

予想外の所にそして、ある程度自由に行動できる所に隠れたはず。
そうすると、北朝鮮しかない。

また、モサド関与とこのコラムで予測したが、その予測がいろいろ
な方面に影響して、大きな世論の方向になっているようだ。
GWRの記事を紹介する。
予測したコラム
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/1309152.htm
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10/05 16:16 イラク亡命か自殺の可能性 ビンラディン氏逮捕は困

 【テヘラン5日共同】米中枢同時テロへの米軍の報復攻撃でウサ
マ・ビンラディン氏とアフガニスタンの今後はどうなるのか。地域
情勢に詳しいイランのジャーナリスト、イルファン・パルビズ氏に
聞いた。(テヘラン共同=福田泰教)             
 ―ビンラディン氏が逮捕あるいは殺害される可能性をどうみるか
。                             
 「米国はクリントン政権時代から必死で同氏を追いかけ暗殺まで
計画したが、結局何もできなかった。逮捕も殺害も難しい。同氏は

唯一の逃げ場であるイラクにひそかに亡命し、しばらく身を隠す可
能性が高い。追い詰められれば自殺するかもしれない」     
 ―周辺国は国境を封鎖し逃亡は困難な状況だが。       
 「パキスタンとアフガニスタン国境を完全に封鎖するのは無理だ
。同氏の組織力を見る限り、変装した上で支持者の多いパキスタン
のカラチなどに逃れ、船でペルシャ湾を経由してイラクに入る方法
を見つけることはできる」                  
 「世界にとって最も危険なシナリオだが、イラク側が協力すれば
可能性はさらに高まる。フセイン大統領は力を信奉する人間。同氏
の国際的なテロネットワークを手に入れれば国際社会に力を誇示で
きるし、米国とその同盟国への脅しにも使える」        
 ―アフガニスタンの将来は。                
 「米国が将来的に中央アジアからの石油、ガスパイプラインの通
過地にしようと考えているのは間違いない。既にカフカス地域では
アゼルバイジャンを影響下に置いた。うまくいけばイランに圧力を
かけ続ける材料にできる」                  
 ―米国はザヒル・シャー元国王の復帰を計画しているが。   
 「多民族国家アフガニスタンの統治に多数派のパシュトゥン人が
不可欠なことは米国も知っている。元国王はパシュトゥン人の指導
者だ。ただ元国王は高齢で病弱。反タリバン勢力との連合政権にな
ると思う。革命で王政を倒したイランの現体制は隣国の王政復古に
は絶対反対するだろうが、連合政権なら認めざるを得まい」   

 イルファン・パルビズ 1930年7月、インド中部ボパール出
身。69年イランに移住し英字紙記者。79年のイラン革命後に英
字紙「テヘラン・タイムズ」を設立。革命体制下で同紙を政府系機
関に接収され、現在は同「イラン・ニューズ」の編集幹部として活
躍している。                        
(了)  011005 1615              
[2001-10-05-16:16] 
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5)敵の敵の敵   GWR
 ヒズボラ・グループ作成と推測される文書が出回っている。内容
は「9月11日早朝、世界貿易センター・ビルに出勤する予定であっ
たユダヤ系のほとんどに相当する4000人が欠勤していた」というも
の。ここから議論は、「11日の旅客機ハイジャック、両ビルへの激
突破壊行為はイスラエルの諜報機関『モサド』の演出であった」と
の主張に発展する。さすがに「実行」とは書かれていないのだが、
「実はアラブ系過激派個人をそれぞれリクルートし、組織化してそ
れに資金供給していた黒幕は、イスラエルの『右翼』『強硬派』『
モサド』だ」という論理構成になっている。
 もちろんこの文書には証拠・証人は添付されていない。だが、
これの否定は理論的に難しい。1967年の中東戦争に出張っていた
アメリカの駆逐艦が攻撃を受けた折、米政府は直ちにアラブを非難
し、「報復」をちらつかせたものだが、日ならずして、これが実は
イスラエルによる「やらせ」であったことが判明している。また、
アメリカは60年代にトンキン湾に侵入させた海軍艦艇が、「北ベト
ナムに砲撃された」と世界に広報し、北爆を開始させたが、これも
「やらせであった」というのが歴史的な定説となっている。
 上記の噂の否定が難しい所以であり、またアラブ諸国から見れば
「当人が否定しており、庇護国のアフガニスタン政府も否定してい
るオサマ・ビン・ラディンの犯行」説よりは余程信頼に値する解釈
である。
 「対テロ戦争」を呼号するアメリカ外交戦略の枠組みにあっては
、「敵・味方の組み替え」が三転、四転する。「敵の敵は味方」と
いうことで、朝鮮戦争で不倶戴天の敵となった共産・中国を、わざ
わざキッシンジャーやニクソンがお百度踏んで訪問し、国交を開い
たのも、キッシンジャー博士の学位論文にある「バランス・オブ・
パワー」理論に基づき、当時超大国としてアメリカと屋台を二分し
ていたソ連の足を引きずるためであった。タリバンも「ソ連を敵」
としていた冷戦時代のアメリカが、ソ連がアフガニスタン戦争には
まったのを奇貨として資金を注ぎ込んで編成した「対ソ尖兵ゲリラ
部隊」であり、若きオサマ・ビン・ラディンはサウジアラビアでの
裕福な生活を捨てて、対ソ連ゲリラ戦士として参加したものである
。若き戦士の捨て身の努力は、ベトナム戦争におけるアメリカ同様
、ソ連を泥濘に陥れ、国力を消費したソ連がここを撤退した。これ
が主因の1つとなり、ソ連邦瓦解・冷戦終結となったはずだ。
 ビン・ラディンたちの血と汗で、アメリカはその後、敵がなく、
地球開闢(かいびゃく)以来最強最富の覇権国を成立させた。ハー
バード大学のハンチントン教授流に言えば、その後のアメリカは
文明的な要因を軸にアラブ諸国との対立を深めている。だがここで
は、アラブが半独占状態にする石油資源と、イギリスとつるんで
強引に誕生させたイスラエルを巡る政治的確執がより現実的な要因
である。ビン・ラディンはアフガニスタンに残り、覇権国との対立
・抵抗・反対派の支援にますますのめり込んで今日に至るのだが、
9.11事件の主犯か否かの証明は至難であろう。


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