663−2.アジア外交と米国と宗教の基礎



ヤフーで「坪内隆彦」を検索して下さい。
ルック イースト
一般人
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その通りにすると、つぎのようなサイトに突き当たる。
日本のアジア外交をどうするか、戦争の推移を見ながら、考えてお
く必要があろう。特に、米国がイスラムに攻め込み、その協力をす
るのはいいが、それでは一体、アジアはどうすればいいのか、中国
・インドなどのプライド高き人たちと日本はどう付き合うかを考え
る必要がある。

(引用開始)
 1990年代半ばに、マハティール首相の東アジア経済協議体構想に
触発され、一時国内でもアジア主義的ムードが高まったが、「アジ
ア主義は日米関係を機軸とする日本外交に抵触する」として、まも
なくアジア主義の提唱は封じ込まれてしまった。
 しかし、西脇氏の論文ではインドなどの強烈な対等願望に潜む
アジア復権への願いを見事に読み取った上で、日露戦争の意味、
日本人の倫理性などを踏まえて、独自のアジア主義外交を提唱して
いるのである。
 インドの対等願望から書き起こし、中国、イスラーム諸国の対等
願望を分析した上で、「中国からインド、イランを経てトルコに至
る、ユーラシア大陸南縁に、強烈な『対等への願望』ベルトが立ち
現れている」と。
 この対等願望は、植民地支配において弱者の立場に置かれ続けて
きた国家群による「復権」への叫びであるという。かつて、アジア
諸国が宗教や思想のみならず、文化、科学などでも世界の先端を走
り、文字通り栄華を誇ってきた歴史を知るならば、まさにそれは「
復権」の叫びととらえることができる。
 筆者自身、1994年にマハティール首相に関する本を上梓したとき
、そのタイトルに『アジア復権の希望』と付けた。このアジア復権
の願望は、もはや無視できない国際政治の主要ファクターとなって
いる。
 さて、西脇氏はアジア復権の火付け役として、はじめて独自の近
代化に成功した日本の特別な意義へと議論を進める。植民地化の坂
を転げ落ち続けてきたアジアが、今日見られるような反転・上昇へ
のきっかけをつかんだのは、日露戦争勝利であったと指摘するのだ
。ここに、日本が果たすべき、そして果たしうる特別な役割が示さ
れる。
 西脇氏は、アジアを覚醒させた日本は、いまこそアジア人たちを
裏切ることなく、「アジア主要国が差し伸べている手をしっかり握
り返す時」だと述べる。これは、覇権を維持するアメリカの側では
なく、復権の目指すアジアの側に日本はつくべきことを意味する。
こうした主張は、多くの日本人にアピールする可能性がある。
 しかし、大東亜共栄圏という強烈な理念を外交に持ち込んだ過去
への反省から、戦後日本は、確たる理念によって外交政策を基礎づ
けることを放棄してきた。
 むろん、冷戦期には自由主義対共産主義というイデオロギー対立
によって、反共十字軍的な外交思潮も見られたが、いわゆる現実主
義路線が外交政策の主流を占めていたことは間違いない。それは、
正義、道義、使命といった価値を過剰に持ち込まず、国益重視の現
実的対処を旨とすべき、という路線である。
 その意味で、西脇氏が日本の庶民感情を踏まえていることは、大
きな意味を持つ。西脇氏は「『庶民の目線』を持ち続け、実行した
人物に対して、日本人が敬意を抱いてきたことに気付いた」と述べ
、日本庶民の心根に立脚した「倫理性」を大切にすべきと主張して
いるのである。外交エリートたちは、この庶民の心根を侮るべきで
はない。
 確かに、「アメリカと喧嘩してはならない」というのは、日本が
大きな犠牲によって得た教訓である。しかし筆者は、国家間で理念
の対立があるのは自然なことだと考えている。日本とアメリカの理
念が同じだと考える方が余程ばかげている。問題は、理念の対立が
軍事的衝突に至るような対立になることを、いかにして防ぐかであ
る。
 その難問が解決すれば、アジア主義外交の採用も決して夢ではな
いのではなかろうか。
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米国もイスラムと同様な宗教国家である。そして、この宗教の応援
を受けて、ブッシュは大統領になった。この宗教国家の現状。
(引用開始)
書評 キリスト教原理主義のアメリカ
 アメリカが先端工業国、大量消費国のよそおいの一方で、強固な
宗教国家であることは、つとに多くの識者の指摘するところだ。

 本書は、キリスト教原理主義といわれるものの動きを、主として
政治とのかかわりの中で、具体的に跡づけてゆく。キリスト教原理
主義とはキリスト教の一つの宗派ではない。南部バプテスト(洗礼派
)にも、エヴァンジェリカル(福音派)、ペンテコスタルにも宗派横断
的に見られる信仰態度(運動)で、一言でいうなら、聖書の教えを文
言どおりに信じ込んで、たとえば神の天地創造をそのまま疑おうと
せず、人間はサルから進化してきたという進化論を決して認めまい
とする態度である。 フリーセックスやサブカルチャー運動の六〇
年代リベラリズムへの反動として現れたということもあって、家族
の重視などアメリカ的諸価値の復権、エリート主義に対するポピュ
リズム(大衆主義)、政治的には保守、白人中心主義に傾きやすい一
種のレイシズム(人種主義)……と位置づけられる彼らは「宗教右翼
」とも呼ばれる。その動きを無視して、現代アメリカ政治は語れな
いといわれるほどだ。特にレーガン政権は、彼らを取り込み、彼ら
の主張とパラレルだったといわれる。

 その後、さしもの原理主義も下火になったかに見えたが、じつは
ソフト路線への転換にすぎず、大衆への影響力はむしろ増している
というのが著者の見方で、そのことを「キリスト教徒連合」などの
動きに即しながら論証する。「リベラル対保守、民主党対共和党」
などとは異なる新たな視線が、アメリカ政治を分析するのに必要と
なってきたようだ。
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件名:「宗教世界地図」  
世界中に あまり沢山の宗教があって、さっぱり分からない。
そこで、「宗教世界地図」−−石川純一著、新潮文庫ーーを読んで
みるが、ますます分からなくなってしまう。
今回の、同時多発テロ に関係していそうな、アフガニスタンの項を
開くと、タイトル 「イスラムでも統一できない、アフガニスタン」
ーーアフガニスタン情勢を語る上で 見逃せないのは、60年代にカブ
ール大学を中心に起った学生運動だ。
当時、貧富の差は拡大し、王制下での近代化の失敗が顕在化していた。
これを克服するために、イスラム原理主義による社会改革運動を展
開したのが、まだ学生だった マスード やヘクマチアルたちだ。
一方、新興勢力のタリバンは、この マスード やヘクマチアルをも
手ぬるいと非難。徹底した原理主義で、カブールをイスラム一色に
しようとしている。
女性の職場労働なども禁じられた。
分からないので、データを丸写ししただけで、やはり分からないも
のは わからない。
「民族の定義」などというものはないに等しく、存在するのは「民
族の不定義」だけというべきだろう。(p10)
民族集団の十分条件とはいえぬが、絶対に欠かせぬ条件の一つは「
気心の知れた関係」ではないか(p15)
約6500という数字が日本に存在する教派の数を示している
(p190)
人はアイデンティティを常に求めるものか。常に何かに帰属したい
と願うものか。本来、人はひとりひとり違うものだ。宗教も民族も
人が作りだしたものだ。
僕達は、集団としての違いではなく、個としての違いを認め合うこ
とから出発すべきではないか
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Kenzo Yamaoka


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