657−1.科学の過信と教育



                     とら丸
20世紀は科学万能と考えられた世界であった。たしかに科学技術
の発達は、社会を豊かにし、人類の幸せに貢献したであろう。
しかし、教育学や自然科学においては、現在の科学手法による限界
も垣間見える。このことは現在科学もまた不完全な人類の文化的構
築物であることを示しており、当然多くの欠点を持ったものである
のだ。

問題は、このような不完全な現代科学を丸暗記で覚えることである
。児童が丸暗記式の現代の学校教育は科学する芽を摘み取っている
。教えるということは逆に目隠しをすることにもつながることを
理解しなければならない。考えてみれば教育とはは恐ろしいもので
ある。

本来教育はその国の文化に深く根差したものであった。民族として
多くの失敗や成功の事例から、知識・技術を教えたのが、教育の始
まりであったであろう。

そのためにさまざまな場所でさまざまな教育がなされ、多様な人間
群が自然に形成された。しかし現在の教育は一様であり、みな同じ
色眼鏡をかけているようなものである。これでは問題点が見えにく
く、国家として変化に対応しにくくなる。

さてどうすればよいか。

科学技術を過信しない。学校教育を過信しないことである。学業の
みで人を判断しないこと。国はキャリヤと呼ばれるエリート主義を
止めることである。

民間もこれに習うだろう。そうなると無理して大学にいかなくても
よくなる。受験戦争はなくなる。子どもの教育は実生活訓練を基本
とする。これが教育の基本ではなかろうか。

子どもが真似をするので親も手抜きができない。子どもは仕事の
大変さがわかり、社会が少し分かる。そうすると勉強の必要性も自
ずと分かることになる。学習の効率が上がる。
先生も余裕ができる。教科よりも大切なことを教えられるかもしれ
ない。

勉強が好きな人は大学に行けば良い。働きたい人は早くからでも働
く。どんな仕事でも一生懸命に働けば尊敬される世の中である。
このような社会では経験が尊重される。年寄りの出る幕がある。
大家族からなる生活共同体が復活する。小組織自立型の安定した社
会が形成される。育児・家事・家業・老後等の問題が緩和される。
小社会のなかで子どもは成長する。けんかをしてもいい。その方が
利口になる。多様な人を理解し人は要領を覚える。

仕事も勉強も人間関係も国際外交も要領である。

そうすると面白い人間がいっぱいでてくる。自由な空気のなかで、
学問はより発達する。
子どもは自然に育つ。親の負担は軽減される。社会が活性化し個人
消費が増える。会社の利益が増大し、失業率は低下する。

このようにして社会が安定し、個人の資産は消費に向かう。経済は
力強く循環し、日本は再び望ましい社会へと再生する。ただし、
環境・エネルギー問題との整合が必要であるが。
 とら丸
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(Fのコメント)
危険な思想ですね。世界的に理系教育をして、理論的人間を多く作
り、新しい技術を開発しようとしている。日本はゆとり教育と称し
て、何も教えない、自由にしている時間を作っているだけ。

特に小学校ではまた、脳が充分発達していないため、暗記中心に、
読み書き、計算を教える必要がある。大学生で読み書きや計算が
できないでは、教育にならない。このような現実がある。その現実
を無視して、より自由にすることがいいと言うのはおかしい。
日本を破滅させたいのかなあと思ってしまうが。

それと、科学過信とあるが技術的な面はどうかですか。製品を作る
時、科学より技術が必要なのですが、この頃の若い人は、物を触ろ
うとしない。自分で物をつくろうとしない。これでは、物の原理が
分からない。このようなことが日本の物作りを衰退させているよう
に思うが。

理系教育、特に物を触らない教育により、物がどう動くか実感でき
ないのではないかと思う。理系教育も論理も教えられていない人に
論理的説明をしても理解されない。しっかとした論理を組み立てら
れる頭を大学で作るべきだと思う。大学でルーズな教育をしている
から日本はダメになると米国のMBAを見るとつくづく思う。


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