-----総理の靖国参拝について 2001.9 秋好 総理に成る前から、「8月15日には靖国神社に参拝するぞ!」と、 言明してきた小泉さんも、中国と韓国のはんたーい!合唱に対して 、13日に参拝した。 中国首脳が「16日以降なら、騒がぬ」と、訪中した自民幹部に囁 いたらしい。言いなりでは余りに情けない、と前倒しての参拝だっ た。 彼は個人的信念と政治的妥協とのせめぎ合いから、「苦渋の選択だ った」と、告白した。彼が若い頃に特攻隊の本を読んで、以来、 靖国の英霊に深い関心を持ったことに、小生は全く共感する。 小生も二十歳の頃に見た“雲、流るる果てに”という、鶴田浩二 の映画を見て泣いてから、特攻隊に感心を持ったからだ。 叔父がフィリピン戦線で戦死していることもあり、現在では崇敬 奉賛会:会員であり、月刊“靖国”の定期購読者でもある。 ---靖国神社で会ひませう 陸軍少尉 瀬谷隆茂命 昭和20年5月28日 沖縄にて戦死 群馬県勢多郡出身 20歳 御父さん、お母さん、愈々隆茂は明日は敵艦目がけて玉砕します。 沖縄まで○○粁を翔破すべく、落下タンクを吊り○○○キロの爆弾 を抱いた機が緑の飛行場で武者振るいして、自分の乗って呉れるの を待って居ります。 ----- -----といった特攻戦士の遺書が毎号、載っている。 文面だけを読めば、恐ろしくもある。降伏を知らない日本兵に攻め 込まれた漢民族が「軍国主義の総本山!」と、思う気持ちも解らぬ でもない。 ましてや、帝国海軍の軍服を着た爺さまが行進している様をテレビ で見れば「軍国主義の復活」を目論んでる、などと誤解されても仕 方がない面もある。 (困った爺さま達だ! 自分たちは爺になるまで生きて、二十歳 そこらで死ななければならなかった特攻隊士の、深い悲しみを想い もしない鈍感さを-----) しかし、それらは小さな出来事。いまや、日本国民の寄付で運営さ れている、いわば民営の靖国はアメリカの国営アーリントン墓地よ り民主的とも云えよう。 いずれにせよ、中国市場を失わんが為の総理の妥協は理解できる 、としても身内に戦死者をもつ国民多数は静かに靖国を支え続け、 特攻などどいった悲惨な戦いは二度としないことを、英霊に誓うの だ。そうでなくては、英霊たちは浮かばれない。 ♪ 海ゆかば---―(大伴家持作詞)を鎌倉のスナックで歌った夜 擱筆