641−2.仁知勇と生煮えの選択



おはようございます。8月31日、富山市は雨です。明日から3日
間行われる越中八尾の風の盆は、雨が降ると台なしですが、天気は
どうなるのか気にかかります。

ー1ー 立山止観の会の報告と次回案内
8月30日、立山止観の会は論語の231-235を読みました。
次回は9月20日(木)、第10章・郷党冒頭からです。

232 歳寒くして、然る後に松柏の遅れて彫(しぼ)むを知るなり。
夏の間は、針葉樹も広葉樹も常緑樹も落葉樹もみな緑に輝いている
。すべての木が、夏の太陽の光を受けて、一生懸命に光合成して生
きている。
秋になると、落葉広葉樹は紅葉し、五色の輝きで人目を楽しませる
。松や柏は、とくに変わることなく、目立つことなく、普段のまま
の姿でいる。
だが、厳しい冬になると、落葉樹は裸木になり、存在感がなくなる
。常に緑色をしているのは、松や柏のような常緑樹だけだ。このよ
うなときにこそ、常に変わらぬ姿でいる松や柏の存在が目立つので
ある。

これは、松や柏が逆境においても、変わらないでいることを讃えた
もの。どんな厳しい状況にあっても、自分を失わないでいることが
大切なのだ。

233 知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず
知とは、正しい判断を選び取る力、仁とは、正しい行動を求める心
、勇とは、正しい行動を実行に移す決断。
仁、知、勇の三つの徳を兼ね備えることが大切である。憲問362でも
、人間の理想として仁、知、勇の三つの徳が語られているが、子貢
は「それは先生がご自身のことをおっしゃっているのですね」と
フォローしている。

私の無い明鏡止水の心でいれば、誰かの善言や善行が素直に目に入
る。そうしたら、そのアイデアや行為を自分でも採用して断固実行
する。実にシンプルであるが、力強い行動基準である。

これを現実のレベルで考えてみよう。

およそものごとの決断は、それをするかしないかの0か1のデジタ
ル処理が可能である。もちろん、ウナギを食べるのか、寿司を食べ
るのか、ラーメンを食べるのかといった同等なものの複数並列選択
もありえる。この場合も、今まで食べたことがあるかないか、その
店はおいしいという評判がたっているかいないか、といった条件に
よって絞り込みを行って何を食べるかを決定することがおおい。
あるいは、勉強会や会議の日程のように、同じ条件でいくつかの
選択が可能な場合もある。私の場合は、もし同じ条件で複数の日程
があったら、一番早い日を選択するというルールがあるので、迷う
ことがない。

大切な問題はうまく切り分けすれば、あることをするかしないか
(0か1か)に切り分けられる。目の前にある現金を取るか取らな
いか、本当のことをいうかいわないか、自分をごまかすかごまかさ
ないか、心のレベルで0か1かに切り分けることができるのである。

だとすれば、決断をするのに必要な時間というのは、1秒もいらな
い。ながながと時間をかけて決断をしている人の中には、もちろん
優柔不断でものごとをきめられない人もいるのだろうが、実は最初
から結論を決めているのだが、なるべく自然にその結論にみんなを
丸め込むための技であったりする。だが問題は、その結論が正しい
か正しくないかであり、みんなが丸め込まれるかどうかではないの
だ。世の中にはずるい大人が多すぎる。

仁、知、勇の三つの徳を身につけるということは、仁によって無私
になり、知によって何が正しいかがわかるので、あとは実行を決断
するだけになり、何も迷うことなく実行に移ることができる。大変
な時間の節約である。心に迷いがなくなるのだ。必要な聞き取りや
情報さえ入手すれば、後は何も考えずに決断するだけ。とても簡単
な行動基準である。

ー2ー 小泉首相の靖国参拝の「生煮え」な決断
これを小泉総理の靖国参拝に関連づければ、もともと、8月15日
に靖国神社に参拝するかどうかが問われていたのに、無理矢理8月
13日に参拝するという「生煮え」な選択に置き換えた。これは、
ことを荒立てない、問題をぼかすことを狙ったものだと思う。0か
1かの選択が求められていたのに、あちらに0.2の顔を立てて、こち
らに0.3の顔を立てて、結局煮え切らない選択をしたことになると思
う。

行くか行かないか、どっちにしなければならなかった。行くなら礼
に従って二礼二拍でなければならない。行くなら、誰がなんといお
うと8月15日に行かなければならなかった。それでもし外国から
文句を言いにきたら、実際に会って聞けばよい。「あなたの国では
、戦争のためになくなった方をどのように祀っているのですか」と。

なぜ、8月13日参拝のような選択をしたのか。ズバリ、自分が
可愛いからだ。自分の言葉や行動に責任を持てないからだ。誰が何
と言おうと、正しいと思ったらやり遂げなければならない。そして
自分の行動に責任をもたなければならない。その覚悟がないのだ。
(もちろんマスコミが騒ぎ過ぎるということもある。彼らは自制す
べきだ)

0か1であるべき選択において、どっちつかずの中途半端な選択肢
をむりやりつくり出して、ごまかすというのは、男らしい態度では
ない。ずるい。このような態度こそ、敗戦国日本にはびこっている
、優柔不断な、煮え切らない、自分自身を確立していない、去勢さ
れた者の態度である。まさに諸悪の根源である。

こんなことを一国を代表する人間がやると世の中はますます混乱し
、何が正しいのか、何が間違っているのか、といったことが見えに
くくなる。ますます犯罪は増え、社会はよってたつ価値を見失って
混乱するだろう。子供にも示しがつかない。

今回の「8月13日靖国参拝」の判断は、国民の心をこれからも引
き続き敗戦後の去勢された心の状態にとどめおきかねない中途半端
で生煮えの選択である。結局、それは小泉首相あるいは小泉政権が
、大切な決断から逃避して自己防衛に走った、ひよわな政権でしか
ないということを物語っているのではないか。

魚だって、生で食べるか、煮たり焼いたりして食べるかのどっちか
だ。生煮えの魚を食べるとお腹をこわす。
(得丸久文、2001.08.31)
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> そうでしょうか。孔子は30歳で一人前で、40歳で迷わない、との
>ことですが、それは昔のことで、今の若い人は10歳は幼いのです。
>日本人全体が、世界のどの国の人よりも幼いからです。

孔子は自分の人生を振り返ってそうだったと言ってるだけではない
のでしょうか?
だから孔子よりもっと早くに而立や不惑を迎える人はいますよ。
孔子より後に生まれ、孔子の教えに触れることの出来た人は、孔子
の年齢より早く迎えることが孔子の教えを生かすことになると思い
ます。

それと日本人すべてを知りもしないのに日本人全体などと言わない
ようにしていただきたい。
「日本人の多くは・・・」くらいにしておいてね。

>思想のことで討論していますが、思想とは、自分の考え方を決める
>ことで、誰からも何も、言わさないことです。それには日ごろから
>、ものを考える性質(くせ)になるようにするしかありません。

それはどういうことですか?
人の意見を聞かないということですか?
思想は人の影響を受けて変わるものだと思いますし、互いに変わる
ために討論を行うのではないでしょうか?

>年長者でも何も考えずに人生を過ぎた人は、(つまり楽しく生きよ
>うとした人)は、思想はないでしょう。

何も考えずに人生を過ごせると思いますか。
何も考えないのではなく、誰かがその人の考えを理解しようとしな
いだけなのではないでしょうか?

得丸さん曰く
>さあ、しっかり勉強してくれたまえ。いい年してテレビゲームなん
>てやってはダメだよ。一人前の人間として勉強しておかねばならな
>いことはいっぱいある。それをまず学んで身につけてからの話だ。

ま、TVゲームに一生懸命やってる人にも思想はあるんでしょうね。
僕はそういう人の思想や生き方も理解はします。けして認めはしませ
んけど。

元 龍貴
日本をむすび世界をむすぶ ”むすぶ会”
http://www5.ocn.ne.jp/~aikijuku/musubukai-top.htm


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