633−1.どのように生きるか、それが思想だよ



あのね、思想ってそんなに難しく考える必要はないと思うよ。人間
がどのように生きるか、それが思想だよ。

日々の生活をどう送るか、自分が何かを選択できる場面において何
を判断基準にして選択するか、自分の利益を後回しにして考えるこ
とができるか、それが思想だよ。

思想雑誌なんかに書いてあるやたら難しい文章や、偉そうな評論家
が誰かの言ったことを引用するのをありがたがって読んだり聞いた
りする必要はないんだ。あれは思想ではない、頭の中で言葉をもて
遊んでいるだけじゃないかな。

思想とは、どう行動するかだ。ある行動を取るか取らないか、ゼロ
(0)か1かの選択肢を頭の中でとっているのだ。だから、自分の
行動に結びつかない難しい表現や堅苦しい定義の概念は、全部忘れ
ていい。ある場面で特定の行動に結びつく具体的な言葉、自分を律
する言葉、心の中をある状態に導く言葉、そういった具体的な言葉
だけを、自分の意識の上に焼き付け、それらを実践すること、その
ために思想を学ぶのだ。

思想は、生まれた後に、後天的に身につけるものだ。アニマルとし
てのヒトが、尊厳のある人間になるために、思想を学び身につける
のだ。
「論語」を読むことによって、家庭教育を通じて親や祖父母から、
あるいは近所の恐いおじさんから、学校で、私たちはひとつずつ行
動基準を習い身につけていく。ひとつひとつの行動基準はちっぽけ
なことかもしれないけれど、毎日毎日そのような行動基準を学んで
いけば、かならず立派な思想を身に着けられる。だんだんと誰に相
談しなくても、自分自身の判断で正しい選択ができるようになる。

人生は短い。しなくてはならないことだけをきちんとやりとげて、
しなくてもいいことはできるだけしないで、してはいけないことは
断じてしないようにして、はじめて私たちの人生は充実するのだ。

思想とは、志操である。志をしっかりしなくてはならない。
ぐずぐず迷ったり、あれこれ考えたりする時間だって、もったいな
いくらいだ。するかしないか、選択肢は常に二つ、0か1か。それ
しかないと覚悟を決めて、どちらか正しい方をすばやく選ぶ。それ
以外に何も余計なことは考えなくていい。今だけを考えればいい。
常に現在形で、0,1,0,0,1,0,1と心の中で行動を選択
していく。

ひとつひとつの選択を間違えないために、余計なことを考えてはい
けない。君に影響を与えて間違った判断を引き起こさせようとして
いる人もいるのだから、安易に人の言葉を信じてはいけない。君の
耳に痛いことを言ってくれる人こそが、君のためを思っているんだ
よ。耳に痛い言葉に会ったら、耳をふさぐのではなく、できるだけ
自分自身で反省してみることだ。

人生は短い。大人になるまでに一人前にならなければならない。
孔子は15歳で志を立て、30歳で一人立ちし、40歳で惑わなく
なったという。平均寿命が長くなったから、それぞれ10年くらい
足してもいいなんてことを言う人がいるけど、それは違っているん
じゃないか。平均寿命が伸びたのは、幼児死亡率が下がったからだ
。昔だって長生きする人は80歳くらいまで生きていた。大人とし
て振る舞わなければならない年齢が上がったと思うのは間違いじゃ
ないかな。

さあ、しっかり勉強してくれたまえ。いい年してテレビゲームなん
てやってはダメだよ。一人前の人間として勉強しておかねばならな
いことはいっぱいある。それをまず学んで身につけてからの話だ。
(得丸久文、2001.08.24)
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そうでしょうか。孔子は30歳で一人前で、40歳で迷わない、とのこ
とですが、それは昔のことで、今の若い人は10歳は幼いのです。
日本人全体が、世界のどの国の人よりも幼いからです。
それはそのくらい日本人は、平和にどっぷり浸かっているからです。
思想のことで討論していますが、思想とは、自分の考え方を決める
ことで、誰からも何も、言わさないことです。それには日ごろから
、ものを考える性質(くせ)になるようにするしかありません。 
年長者でも何も考えずに人生を過ぎた人は、(つまり楽しく生きよ
うとした人)は、思想はないでしょう。
dy7h-art
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コメントありがとうございます。

> 昔のことで、今の若い人は10歳は幼いのです。日本人全体が、
>世界のどの国の人よりも幼いからです。
> それはそのくらい日本人は、平和にどっぷり浸かっているからです。

このような状況は、なんとかしなければと思います。

> 思想のことで討論していますが、思想とは、自分の考え方を決め
>ることで、誰からも何も、言わさないことです。それには日ごろ
>から、ものを考える性質(くせ)になるようにするしかありません
>。年長者でも何も考えずに人生を過ぎた人は、(つまり楽しく生き
>ようとした人)は、思想はないでしょう。

至言ですね。思想の違いではなく、思想の有無が問題なのです。そ
のような無思想の世代によって育てられた次の世代は、思想の真空
状態で、自ら思想をもとめてあがくといいと思います。

> 思想とは、自分の考え方を決めることで、誰からも
> 何も、言わさないことです。

自分の考え方や身の振る舞い方を決めるにあたって、歴史上の人物
や古典に示されていることを参考にしないことには、独善に陥ると
思います。その意味でも論語や孟子などの古典を読む価値はあるで
しょう。

それから、人の言葉には、拒絶すべきものもあれば、耳が痛くても
受け入れなければならない性質のものがあります。どちらの言葉な
のかを見分けることもできなければなりません。だいたい耳の痛い
言葉ほど、いい言葉であることが多いようです。
得丸久文
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> 得丸氏の「得丸流:靖国参拝問題」は、余りに現実逃避的だと思い
> ます。いかにコラムの中の自由かつ夢想的な意見とはいえ、リアリ
> ティーや生産性の無い意見に一体価値があるのでしょうか。

売られた喧嘩というわけではありませんが、あえて反論、ひと言言
わせていただきます。

テレビの報道にどれだけのリアリティーがあるというのでしょうか
。テレビや新聞から送られてくる仮想現実に過ぎないメッセージを
真に受けている人がいるから、駄目なのだと言いたいのです。

ナンセンスなものに対して、ああだこうだと議論することもナンセ
ンスです。もっとほかに考えたり議論すべきこともあるでしょう。
馬鹿は相手にしない、といった冷めた態度でテレビや新聞を扱うく
らいでないと、駄目なのです。

得丸久文(2001.08.25)


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