627−1.カシミール紛争について



カシミール紛争について、調べています。詳しい情報をお知りの方
、いろいろと教えて下さいませ。
kisho
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カシミール紛争の調査をkishoさんからの依頼により、行うことにし
よう。カシミール関連リンクをリンク集1の地域サイトに入れまし
たので、そちらも参考にしてください。もう1つ、紀伊国屋の書店
で、カシミール関係の本を探しましたが、ありませんでした。
                           Fより

日本では、カシミール紛争は忘れ去られたようですね。8月にも、
イスラム武装組織がジャンム駅を襲撃して、11人死亡し、30名
以上が負傷しているし、7月のアグラでのインド・パキスタン会談
から今までに250人以上が死亡している。ゲリラ133名と市民
94名であるが日本の新聞には出てこない。しかし、ダライ・ラマ
の発言はこの同じ時期にあったが、こちらは報道している。
カシミール紛争は完全無視するがダライ・ラマ発言は取り上げる。
しかし、日本では、このダライ・ラマ発言のキッカケは分からない
はず。日本の報道は片輪ですね。いつもながら。

カシミール紛争のキッカケは、1947年のインド独立で、カシミ
ールの帰属をインドもパキスタンも確定せずにいたために起こった
のです。パキスタンは、イスラム多数派地域を押さえようと、カシ
ミールに軍隊を投入するが、この時のカシミール藩王であるハリ・
シンはこのパキスタン軍を見て、インドに軍事的支援を頼んでしま
う。本当は、カシミールを独立させたかったが、パキスタン軍の前
では、その望みはムリと悟った。

この地域は、イスラム教徒が60%を占めているが、1847年ま
でシク王国があった関係からシク教徒やヒンズー教徒と、チベット
亡命政権がある関係から仏教徒も多い。

1947年から48年に掛け、第1次印パ戦争になる。
1948年1月安保理は決議39により紛争終結のため、国連印パ
委員会を設立する。(UNCIP)
同年4月にUNCIPを拡大して、印パ軍事監視団(UNMOGI
P)とする。現在46名、今までに9名が紛争で死亡。1949年
7月カラチ協定により停戦ラインを確立。
1965年に第2次印パ戦争、11月停戦。71年第3次印パ戦争
。この71年はパキスタンからバングラディシュが独立したが、
その時、インドはバングラディシュの独立を助けるため、参戦した。
72年7月シムラ協定で停戦ラインがコントロール線となる。準国
境となった。1989年にインド・カシミールで大規模な暴動が起
こっている。1999年7月にはカーギル紛争が起き、インドサイ
ドで、ゲリラの活動が活発化した。このようにまだ、カシミール
紛争は解決していないのです。

カシミールの約2/3はインドが、1/3がパキスタン支配地にな
っている。また、ラダック地方にはチベット亡命政権のダライ・ラマ
がいる。中心都市はレーやカラツェです。もう1つ、この地域では
中国との国境線も確立していない。チベットとカシミールともに、
ヒマラヤ山脈にあり、昔はあいまいでもよかったのですが、近代国
家である中国とインドは、カシミールでも紛争を起こしていた。
今は、中印関係は一時ほどには緊張していたいが。

カシミールの南東部をインド、北西部をパキスタンとなっている。
インドはジャンム・カシミールと言っているし、パキスタンはアザ
ッド・カミールと言う。アザッドとは自由という意味だそうだ。
この地域の中心都市はインドの夏の州都スルナガルと冬の州都ジャ
ンムです。パキスタンサイドの中心都市はギルギットであるが大き
な都市ではない。

そして、3つのインスラム・ゲリラがインドのカシミールに展開し
ている。1つが、ヒズブルでパキスタンやカシミール人が中心。
ラシカレ・トイェバはスンニ派ゲリラ。ハーカット・ウルはアフガ
ン・ゲリラを中心としたアラブ全域から来たゲリラというように、
アラブ全体から派遣されている。このため、パキスタンの意志を反
映していない。パキスタンは外交面とモラル面のサポートをしてい
ると表明しているが、ゲリラの基地がパキスタンにある。資金面は
スンニ派の盟主であるサウジやスンニ地域のアラブからだと思うが
、ヒズブルはイランからの可能性もある。

これに対するインドは軍を撤退させているため、特別警察が警備し
ている。12万5千人。しかし、非公式部隊も含めると、それ以上
になるようだ。そして、インドはカシミールを特別州として
1950年より他州以上の自治権を与えている。

インドの立場は、カシミールは固有の領土である。72年のシムラ
協定で確定したとのこと。
パキスタンは、カシミール住民による選択をする必要があるという
立場である。両国共にカシミール独立は認めなていない。

2001年7月にバジャイ・インド首相とムシャラフ・パキスタン
大統領がアグラにおいてカシミール問題で会談したが、共同声明も
発表できずに、物分れに終わっている。
もう1つ、インドもパキスタンも核を持つ国家になり、無闇に戦争
ができない。このため、交渉を気長に実施するしかない。このため
、アグラ会議で物分かれになっても、スリランカやニューヨークで
会談する予定になっている。今後の展開はどうか注視する必要があ
る。
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ダライ・ラマ:カシミール問題での発言でインド国内で波風立つ 
2001.08.07 
【イスラマバード春日孝之】インド亡命中のチベット仏教最高指導
者ダライ・ラマ14世が、インドとパキスタンが領有を争うカシミ
ール問題についてパキスタンの立場を支持するような発言をしたと
して、インド国内で波風が立っている。
 インドのPTI通信によると、ダライ・ラマは5日、同国南部
チェンナイで開催された南アジア宗教者平和会議の席上、チベット
が中国に求めている「真の自治」を引き合いに、カシミール問題解
決に向けて、印パは「(カシミールの)自治権」を考慮べきだと述
べた。

 インドはカシミールを「固有の領土」と主張、「カシミール人の
自決権」を求めるパキスタンと真っ向から対立している。このため
、ダライ・ラマ発言について、政権与党のインド人民党、最大野党
・国民会議派ともに「不適切だ」と不快感を表明した。

 インド外務省も「発言全文を検証した上で対応する」と述べる一
方、「(ダライ・ラマは)インドで政治活動はできない」とクギを
刺した。

 これに対し、インド北部ダラムサラのチベット亡命政府は「内輪
の会議での不正確な発言報道により、不必要な論争に引きずりこま
れた」と困惑気味だ。
[毎日新聞8月7日] ( 2001-08-07-22:01 )
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印パ首脳会談:会談は決裂 共同声明の発表も合意できず 
2001.07.17 
【アグラ(インド北部)春日孝之】インドのバジパイ首相とパキス
タンのムシャラフ大統領は16日夜、インド北部の古都アグラでの
首脳会談を終えた。両国は、緊張緩和と信頼醸成を目指す「アグラ
宣言」の調印だけでなく、共同声明の発表でも合意できず、会談は
決裂した。
 会談は初日の15日は一定の成果を得た。バジパイ首相がムシャ
ラフ大統領のパキスタン招請を受諾し、「対話継続」を確認したか
らだ。

 だが、最大の焦点となったカシミール領有問題をめぐり双方の主
張は真っ向から対立した。16日の会談は予定を大幅に延長し、
会談終了後には外相レベルで調整が続けられたが、妥協点は得られ
なかった。

 会談の成果について、インド外務省のラオ報道官は17日未明、
「(対話の)プロセスは始まったが、共同声明の合意には至らなか
った」と発表、アグラ宣言に加え、共同声明の作成も断念したこと
を明らかにした。両首脳の共同記者会見も開催されなかった。

 首脳会談について、ある専門家は「会談は決裂に等しく、印パ関
係は『対話継続』という点で、首の皮一枚つながったにすぎない」
と指摘する。

 だが、インド・ネール大学のカンティ・バジパイ教授(国際政治
)は「今回の会談で印パ関係がわずかでも前進したことは間違いな
い。悲観論は両国にとってマイナスだ」と述べ、バジパイ首相の
パキスタン訪問決定や長時間の交渉プロセスなどを、過少評価すべ
きでないと強調した。

 会談では、カシミール領有問題について、ムシャラフ大統領が「
印パ対立の核心と認識すべきだ」と訴えたのに対し、バジパイ首相
は「いくつかの未解決問題のひとつだ」と反論、従来の印パの主張
を繰り返した。

 一方、バジパイ首相は、インドが「越境テロ」とみなすイスラム
武装勢力への活動支援を中止するよう要求したが、ムシャラフ大統
領はこれを拒否した。今回の会談は、カシミール問題解決の難しさ
を改めて浮き彫りにした形となった。
[毎日新聞7月17日] ( 2001-07-17-11:58 )
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カシミール:イスラム勢力の対インド闘争激化 印パ会談受け 
2001.07.16 
 【アグラ(インド北部)春日孝之】インド北部の古都アグラで
インドのバジパイ首相とパキスタンのムシャラフ大統領との首脳会
談が15日開幕したのを受け、インドとパキスタンが領有を争う
カシミール地方のインド支配地域で、イスラム武装勢力による対イ
ンド闘争が激化、この1週間で約50人が死亡する事態に発展して
いる。カシミール問題解決に向けインド側に譲歩を迫るためパキス
タン側が「圧力」を強めているとみられる。
 過去にも印パ会談が行われるたびに、カシミール情勢が悪化。パ
キスタンの支援を得て活動をしているイスラム武装勢力のサラウデ
ィン最高司令官は印パ会談を前に毎日新聞と会見した際、「会談で
何らかの成果が上がるよう(インド治安部隊への)攻撃を一層強化
する」と明言していた。インド治安部隊は会談最終日の16日に
予想される武装勢力の大規模作戦に警戒を強めている。

 今回、2年半ぶりに印パ首脳会談が開催され、カシミール問題が
主要議題に上っていることについて、パキスタン側は、これまでの
イスラム武装勢力の対インド闘争の成果だと認識。アグラ入りして
いるパキスタン代表団は15日夜、同日の首脳会談でムシャラフ・
パキスタン大統領がインドのバジパイ首相に「カシミール問題が
解決されない限り、両国の関係正常化は進展しないとはっきり伝え
た」と強調した。カシミール問題の解決策について、インドは実効
支配線(停戦ライン)の国境化案を受け入れる下地ができつつある
。だが、インド側支配地域はイスラム教徒が多数を占めており、
パキスタンは「カシミール人の意思を尊重する」との立場で、国境
化を拒否している。
[毎日新聞7月16日] ( 2001-07-16-10:46 )
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カシミール紛争:インドが段階的に完全撤退へ 
2001.01.25 
【イスラマバード25日春日孝之】インドとパキスタンが領有を争
うカシミール紛争にからみ、インド政府がインド支配地域(ジャム
・カシミール州)の軍部隊を向こう5年間で段階的に完全撤退させ
るとの計画を基本承認したと、25日付けパキスタン主要各紙が一
面トップで報じた。パキスタン政府もカシミールの実効支配線(事
実上の国境)配備の軍部隊を昨年末以来、部分撤退させており、
印パの対話再開に向けた環境は次第に整いつつある。
 インド民間テレビの報道として各紙が伝えたところでは、現在、
インド支配地域には軍兵士を含め約70万の治安部隊が駐留してい
るが、部隊のすべてを警察や予備役などに交替させる計画だという。

 パキスタンはインド治安部隊を「カシミール住民の人権と生活を
抑圧している」として、イスラム武装勢力を支援して攻撃してきた
。今回のインドの撤退案についても、パキスタン軍のラシッド・
クレシ報道官は25日、毎日新聞に「実行されるかどうか疑わしい
」と指摘。パキスタン人ジャーナリストのアタシャムル・ハク氏も
「国際社会に和平姿勢を示すポーズに過ぎず、軍が去っても治安部
隊がいる限り人権侵害はなくならない」と予測する。

 だが、インドは昨年11月末から、1989年のカシミール紛争
再燃以来、初めての一方的停戦に入った後、2度にわたる停戦延長
を決めている。


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