592−2.「ある」ものではなく、「作り出す」ものとしての歴史



得丸です。
「ある」ものではなく、「作り出す」ものとしての歴史
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1 右でもなく、左でもなく
7月8日の毎日新聞朝刊読書欄「今週の本棚」は、「市販本 新し
い歴史教科書」(西尾幹二ほか著、扶桑社)について、山内昌之さん
と三浦雅士さんの批評を載せている。

両方の書評を比べるならば、山内氏のほうが比較的ていねいにテキ
ストに目を通しておられるように感じられる一方で、三浦氏は中身
よりもその存在自体を敵視しておられるように感じられる。ただ、
どちらも、本を楽しく読んだようには見受けられない。本と批評子
の間に発生すべき知的緊張感や恋愛感情を感じさせない、やや心の
こもらない書評になったのではないだろうか。せっかく複数の書評
を取り上げる以上、もっと本そのものへの愛を感じさせる人に書評
を書いてもらってもよかったのではないかと思う。

僕は、10日前に、いきつけの蕎麦屋の店主が購入したばかりの本書
をはじめて手にして、20分ほど、ぺらぺらめくって眺めただけなの
で、きちんとした書評はできない。しかし、僕の好きな吉田松陰の
記述や、著者が用意した本書中の設問からは、「なかなかがんばっ
て書いたな、子供たちに考えさせようとしているな」とむしろ好意
的な感想が浮かんだ。

書評子と僕のどちらが正しいかなどという議論をするつもりはない
。何かを評価するときに、加点評価にするのか、減点評価にするの
かという立場の違いかもしれない。伝統的に日本では減点主義が取
られてきた。書評子たちも減点主義に従ったのかもしれない。

ただ、私が感じたのは、本の内容がどうであれ、否定的に判断する
ことが編集部なり書評子たちの頭の中であらかじめ結論づけられて
いたのではないかということだ。歴史解釈や歴史評価は、政治的、
イデオロギー的になりがちであるので、仮に本を丁寧に通読してい
たとしても、否定的な結論を変えるわけにはいかなかったのかもし
れない。

水掛け論に終ってしまうので、この本の評価をめぐって多言を費や
すつもりはない。だが、ひとつだけ指摘しておきたいのは、戦後教
育を受けた我々は、そもそも無心に教科書を読んで批判することが
できないということだ。

私たちの、ものの見方・感じ方・考え方は、これまで使われてきた
歴史教科書や、教育指導要領や、戦後民主主義という風潮や、マス
メディアの報道姿勢などによって、かたちづくられていて、その思
考の枠組みから逃れることは実に難しいのだ。

「何をえらそうに、お前は何者だ」と言われるかもしれないが、私
は20代後半から30代後半の10年間のうち半分以上を海外で生活し、
それまで身に付けていた戦後民主主義的な思い込みや思考枠組をほ
ぼ完全に打ち破られ、なくしてしまった。おかげで世の中のことを
、戦後民主主義的な思考枠組みから自由に見ることができるように
なった。

日本の世論を、右と左に分けることができるとすれば、この「新し
い歴史教科書」をめぐって、拒否している中道および左派、受け入
れている右派という構図があるかもしれない。悲しいことに、私は
右でも左でもない、ましてや中道でもない、一般の世論のカテゴリ
ーに含まれない立場にいる。

たとえば、右派の意見は、これまでの戦後民主主義路線の否定であ
るかもしれないが、それはえてして「アンチ巨人は巨人ファン」的
で、戦後民主主義と共通の思考枠組の上で展開されていることが多
い。右派と左派はいつも背中あわせで対立しているので、いつまで
たっても対話の機運は生まれないし、お互い不毛な対立を続ている
。私の立場は右派とも違っている。だから、話が合う相手がいなく
て困っている。

2 歴史とは、語りである。熱く語れ!
1) 歴史とは言葉である
そもそも、歴史とは何だろうか。

人類の歴史の中で、誰かがどこかで何かをする(あるいは何かをし
ない、何もしない)。または、自然現象がおきる。

それら行為(不作為)や自然現象の結果、人が死んだり、作物が豊
作になったり不作になったり。あるいは、武器や船や羅針盤が発明
されて、交易ルートが変わったり、人類の行動パタンが変わったり。

それらの事象や事象の流れを、後世の誰かが、後世を生きるその人
なりの歴史観をもって、後世を生きるその人の言葉で記述する、そ
れが歴史である。

歴史において、事実そのものの記述は自分史以外は不可能であり、
事実はこうだっただろうという誰かの推論や主張、誰かの見方なの
である。

フランス語で「歴史」はhistoireというが、これはまさに「お話」
という意味でもある。英語だって、historyはstoryによって構築さ
れているのだ。

語られた言葉ではなく、語る者を問え、そうすれば歴史表現に翻弄
されなくなるのではないだろうか。

2) 著者の顔が見えることの意味
いったん印刷された言葉は、何が正しくて何が正しくないのか、
簡単には見分けられない。どうすれば、そこに書かれていることが
、真実なのか嘘なのか見分けられるのだろうか。一般読者にできる
ことは、著者の人物評価くらいしかない。つまり著者の日ごろの言
動を見ること、著者と対話すること、それ以外にない。

今回の「新しい歴史教科書」の著者代表の西尾幹二氏は全国を飛び
まわって、草の根集会で説明を続けておられるようだが、教科書が
市販されることもさることながら、教科書の著者が全国を回って講
演をしていることは、実にすばらしいことだと思う。

歴史とは言葉である。私たちは、「新しい歴史教科書」は西尾幹二
氏の言葉であるということを知っている。内容の当否以前に、まず
西尾氏の歴史観はどうなっているのだろうかと、素直な気持ちであ
の教科書を読んでみるのが読書するものの本来取るべき行動であり
、著者への礼儀なのである。

この点で、毎日新聞の書評子たちは、初歩的な過ちを犯しているの
かもしれない。だが、彼らがそのような過ちを犯したとしたら、
それは「心の戦後処理」が終っていない戦後日本社会に生まれ育っ
た人間ならば誰でも犯したであろう過ちなのだ。

ほかの教科書では、著者の顔が見えない。無色透明なようなそぶり
で歴史は私たちの目の前に提示される。だが、実際に私たちが読む
(読まされる)のは、ある特定の歴史学者の歴史観にすぎないのだ。

ほかの教科書の著者たちも、公開の場に登場して、それぞれの歴史
観に対する批判を受けるようにするといいのではないか。

3) 徳川光圀「大日本史」のパワー
たとえば、私たちは、戦前の皇国史観は間違っていたと習う。日本
の皇室の歴史が2600年以上あるというのはおかしいと聞かされる。
初期の何人かの天皇は、実在していなかったと教えられる。

しかし、いったい誰が皇国史観の教科書を自分の目で読んで確かめ
ただろうか。ほとんど誰も読んでいないのではないだろうか。にも
かかわらず、私たちは人から言われたことを真に受けている。

こんなことを言うのは、実は私は最近徳川光圀が1657年に編纂をは
じめ、約250年かかって1906年に完成をみた「大日本史」の最初の部
分を読んでみたからだ。まだ巻1から神武天皇から、巻9の斎明天皇
までの部分だが、これがなかなか面白いのだ。

日本書紀や古事記やその他日本全国にあったさまざまな文献をもと
にして書かれた「大日本史」は、初期の天皇の年齢が100歳以上にな
ったりして、不自然なところも多々あるのだが、それなりに専門家
が時間と労力をかけて集めた文献をもとにして整理しているので、
実に読みやすく、わかりやすい歴史である。

天皇の年齢にしても、本によって違った記述がある場合には、「こ
の本ではこう書かれているが、こちらの本はこうなっていて、本書
としてはこちらを採用する」といったことが小さな字で書き込まれ
ている。なんたる「明朗会計」。

「史記」や「十八史略」を読んで影響され、そのような歴史を日本
のために書き残そうとした徳川光圀の偉業には頭が下がる。日本の
歴史を「史記」と同じ手法で書き残したものはほかにあるだろうか
。およそ日本の歴史を論じる場合、信じようと信じまいと、「大日
本史」を一読してからでないと議論するのは恥ずかしいというくら
いのスタンダードになる価値のある本だと思う。

光圀は、徳川家康の孫であった。にもかかわらず彼は、徳川家が
征夷大将軍として朝廷より与えられたのは武権のみであり、政権は
朝廷に奉還すべきであるという信念を持っていた。この信念が、
水戸学派によって脈々と受け継がれ、明治維新へとつながったこと
は、付言しておくべきであろう。光圀の先見の明を感じないだろう
か。

4)戦後教育が覆い隠してきたもの
私たちは、戦後教育によって、「戦前は暗黒時代だった。戦後は明
るいすばらしい民主主義の時代がやってきた」と教え込まれてきた
。私自身そのように教え込まれたから、そのように信じてきたが、
本当にそうなのだろうか。

桶谷秀昭「昭和精神史 戦後篇」(文芸春秋社、2000年)を読むと
、戦前の検閲は事後検閲であり、好ましくない文字を伏せ字にした
ので、検閲が行われたことが明示的であったが、戦後の検閲は事前
検閲だったので、当局が好ましくないと思った文言はその存在の跡
形もなく消されてしまったという指摘があった。

事後検閲と事前検閲では、事前検閲のほうが悪質である。
原爆報道に関するGHQの検閲は、モニカ・ブラウ「検閲 1945-1949
ー禁じられた原爆報道ー」(時事通信社、1988年)が指摘している。
どうして日本人によって書かれなかったのかと思うと残念だったが
、実はGHQの占領が終った後も、事前検閲が実質上行われ続けている
からではないかと思い至った。

大東亜戦争や靖国問題や旧植民地について誰かが何か発言すると、
マスメディアは、それこそ理性も知性も感じさせない騒ぎ方をして
、発言を封じる。戦後の日本こそ、極端な思想統制が行われている
といえないだろうか。

「新しい歴史教科書」は、戦後生まれの日本人にとって、歴史とは
作り出すものであるということをはじめて実感させてくれる本では
ないだろうか。
どのような歴史を作り出して、語り継いでいけばよいのか、虚心坦
懐な議論を行うといいと思う。

得丸久文(2001.07.09)
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山岡さんのコメント:

>サラリーマン時代のある人の言葉「我慢に我慢を重ねて、辛抱に辛
>抱を重ねて、妥協に妥協を重ねて、最後に諦められるようになって
>、、、やっと、一人前」一人前になれたと思ったら、気がついたら
>何にも無くなってた。

>男が自信を失ったら魅力も無ければ、生活力も無い。ゾンビだよ、。
>食欲と、性欲だけは残る。達が悪いね、、、。

なかなか重たい言葉ですが、自嘲的にそう言っても何も変わらない。

そもそもなぜ我慢してきたかというと、給料をもらえなくなったり、
上司ににらまれないようにという守りの姿勢からですよね。金や
出世のために、自分を曲げてはいけないのですね。

我慢しているときに、勉強していれば、そんなに生活力もなくなる
まで落ちることはなかったかもしれない。遊びで気を紛らわすこと
を覚えると、もうだめですね。

でもね、死んだつもりになれば、何でもできるはず。どんなに安い
給料だって、なんとか食事くらいできるはず。プライドをすべて捨て
て、ただただ自分を誤魔化さないこと、自分を裏切らないことを行
えば、数年のうちに絶対に道は開けてくるはず。

仮に道が開けなくても、前向きな気分で、積極的な気分で、死ん
でいくことができる。

「朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり」です。

得丸久文(2001.07.12)
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   フランスのイスラムについて       得丸久文   

 フランス人の気持ちをどこまで理解しきれているか自分でもわかり
ませんが、僕なりに感じたことを書かせていただきます。 

<フランスにおけるムスリムの意識の高まりについて> 
フランスにおけるムスリムといえば、旧植民地系のマグレブ諸国や
西アフリカからの移民が中心だと思います。彼らの間でムスリムと
しての意識が高まっているのかどうか、正直いって知りません。 

イスラム教とキリスト教は、ともに唯一絶対神をいだく点で、共通
性があり、宗教的な軋轢は、騒がれているほどのことはないのでは
ないかと、個人的には思っております。 

<カルト・セジュールのこと> 
1986-7年のころ、語学研修で南フランスに滞在していたときに、
アラブ人2世のロックバンド「滞在許可証 Carte de Sejur」が、
フランスの古い歌「優しいフランス Douce France」をライ(アルジ
ェリア風ロック)調に歌ってヒットしたことがあります。このバンド
のリーダーはたしかRacid Tahiという名前でした。今でも彼の名前
でCDが買えると思います。 
(外国人に対して要求される「滞在許可証」をグループ名にすると
ころが挑発的ですね。アルバムタイトルは「21/2」というものでし
た、これも彼らの気持ちをよく表していたと思います。) 

フランスで生まれ育ったにも関わらず、つまり国籍法で出生地主義
をとるフランスにおいて彼らアルジェリア人2世は、フランス人で
あるにも関わらず、失業率も高く、社会から阻害されている、そん
な状況にある彼らの気持ちが、とても自然に歌われていた気がして
、とても印象に残った歌です。 

ちなみにマグレブ出身の2世たちを、フランス語ではbeurと呼びま
すが、これはarabを反対から発音する隠語が発展したものだそうで
す。 

数年後に、パリだかトゥールーズだかのFNAC(CDや本を売っている全
国チェーン店)で、カルト・セジュールのCDを探したところ、本来
は「Variete Francaise(フランスの音楽あれこれ)」に入っていて
しかるべきものが、「Music de Monde(世界の音楽)」の棚に陳列し
てあったのを見て、がっくりきました。売り場の棚でも排除されて
いた。もちろんたまたまそうなっていたのかもしれませんが。僕に
はとても寂しかった。 

<そうじ婦のこと> 
日本でも、中華料理店や居酒屋の店員、洗い場などに外国人労働力
が目だちますが、フランスの場合には、そうじ婦にポルトガル人や
モロッコ人が多い。 

仕事でフランス企業と打ち合わせに行きますよね、すると日中に出
会う人は、いわゆる白人ばかりです。ところが、打ち合わせが夕方
までかかって、門を出るのが7時くらいになると、掃除のおじさん
おばさんたちが入ってくるところに出くわしたりします。彼らは守
衛のところに身分証明書を置いて入場しますので、机の上を見ると
国籍が一目瞭然なのですが、ポルトガル(ムスリムではありません
が)やモロッコが多い。 

<クスクス料理とミントティーのこと> 
パリで僕の住んでいたアパートの並びに、とてもおいしいクスクス
料理屋があって、足しげく通っていました。アルジェリア人のおじ
さんがやっている店でした。 

クスクスとは、デュラムセモリナの小麦粉で作った粒状のパスタ(
みかけは鳥のえさの粟のよう)に、野菜のスープをかけて、羊や鳥
のグリル、メルゲスという牛と羊の合挽ソーセージのグリルといっ
しょに食べるマグレブ地方のお祭り料理です。 

食後には、お砂糖をたくさん入れたミントティーを飲みます。生の
ミントを使います。 

こうして、料理や料理素材という点では、市内にもたくさんあるし
、スーパーで食材が簡単に買えますから、マグレブの文化は取り入
れられていますが、ひとつのエスニック料理という範疇を超えるも
のではありません。 

<結論> 
日本に比べると、外国人(国籍はフランス人であることが多いので
すが)の比率が高いフランスでは、オリジナルな宗教や文化を保っ
て生活しているグループが多く目につきますが、彼らはけっして
社会に統合されているわけではなく、かといって対抗勢力として育
ってもいない。社会的に低いところで「生かさず殺さず」存在を認
められているのではないでしょうか。 

ムスリム意識の高まりもなければ、フランス人側からの脅威や連帯
もないという気がします。 

先日見た「おさななじみ」という映画は、マルセイユの貧しい地域
を舞台にしていましたが、ここには貧しいもの同士の連帯(地域共
同体としての)が感じられた。登場してくるのは、フランス人(あ
るいはヨーロッパ系の移民の子孫)が多かったですが、そこにムス
リムがいても受け入れられていただろうと感じました。 

移民や外国人労働者をどうするかということについていえば、地域
共同体の中での近所づきあいができるかどうかが大切なのだと思い
ます。それがなければ、彼らは(我々も)まったくの根無し草とな
ってしまい、社会に適合する機会はないですから。 

近所づきあいがないと、つまり日常的に異文化と接触していないと
、マスコミや政治勢力が意図的に敵対意識をあおる情報を流したと
きに、まんまと騙されてしまう恐れがあります。 
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得丸さん

ポプラの新芽に関する和歌に、とても感動しました。
特に、
 「 新緑を冠にしてほこらしく 」
と言う上の句に、新芽に降り注ぐ夏の光が、きらきらしている様が
眼前に飛び込んできたような錯覚を覚えました。

まずは、この感動にお礼申します。    矢羽田


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