587−2.アメリカ人の対日感情について(2)



RE:アメリカの対日感情について         杉作 

  まず、YSさん、返答遅れて申し訳ございませんでした。以下の内
容についてレスさせて頂きます。 

>杉作さんへ 
> 
>第二次大戦は「石油に始まり石油に終わった」とも言われてい 
>ます。 
> 
>この石油からみた第二次世界大戦の視点は重要です。 
>十数年間、この関連での文献を探してきたのですが、あまりいいも 
>のがみつからない。 
>ご存じでしたらぜひ教えてください。 

先日書いた石油についての内容は、「大東亜戦争の本質」(編集・
奥村房夫、発行・同台経済懇話会、製作・東京堂出版、発売元・紀
伊国屋書店)の243〜244頁に書いてありますが、この部分は、この
本の第二章「第三節 戦争指導に及ぼした海軍の態度」と題して、
実際に市ヶ谷での東京裁判を傍聴し、愛知工業大学教授・日本軍事
史学会顧問でもある野村実氏が執筆したものです。 
因みに、この本の243〜244頁には、「日本は大海軍国であった。艦
艇が必要とする石油は、航空燃料や戦車・自動車燃料よりも圧倒的
に多量である。」 
 「日本はかなりの産炭国であった。日露戦争時代には、イギリス
本国から輸入するカージフ炭(無煙炭)など特殊なものを除き、艦
艇燃料の自給自足が可能であった。ところが、艦艇燃料が石炭から
石油に切り替わると、石油のほとんどを産出しない日本では、石油
問題は国家の命運にかかわる大問題として浮上する。もっとも関係
の深い当事者は、海軍ということになる。」 
 「海軍は、明治時代から自身の石油備蓄政策を進め、昭和に入る
と国家機関を動かし、民需を主とする国家備蓄政策にも努力したが
(陸軍は支那事変進展後に備蓄政策を始める)、結局のところ日本
では限界があった。」 
 「大東亜戦争は「石油に始まり石油に終わる」と、適切に表現さ
れている。日本はアメリカ・イギリス・オランダの全面的な経済制
裁に陥って、石油備蓄の減少に苦悩して開戦を決意し、首尾よく蘭
領東インドの石油地域を占領したけれども、戦争後半には石油を日
本内地に運ぶことができず、敗戦に至ったということである。」と
も書かれています。 
 また、上記の内容は、防衛庁防衛研修所戦史室・戦史叢書第九一
巻「大本営海軍部・連合艦隊」第一巻(朝雲新聞社、昭和五十年)
五三三〜五三五頁、及び、野村実「太平洋戦争と日本軍部」(山川
出版社、1983年)309〜319頁、さらに、同「歴史のなかの日本海軍
」(原書房、1980年)93〜102頁、にも書かれているようです。 
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Re:RE:ついでに                   YS 

 第2回 遅すぎた日本の計画 2000年12月13日号 
米国爆撃調査団の見たもの 米独の密約 
http://www.gas-enenews.co.jp/series/gtl/001213/gt001213.htm 

 「IGファルベン社の水素添加法成功の知らせは日本でも知られ
ていたが、なぜかドイツは同盟国日本に特許実施権を与えず、何も
教えなかった。このため日本の戦時人造石油計画は中途半端に終わ
り、計画の一割しか生産できなかった。ドイツが特許実施権を認め
たのは、終戦の年45年1月。このナゾは戦後明らかとなった。 
 当時世界一の化学会社IGファルベン社と世界一の石油会社米国
スタンダード石油は国際的な密約を結び、周辺の技術を含めて独占
的技術交換契約を結んでいたのだ。両社はリヒテンシュタイン公国
に合弁会社「インターナショナル・ハイドロジネイション・パテン
ト」を設立し、この会社を通さないと特許実施権を与えなかった。
米国企業とドイツ企業が戦時中も協力し合ったという驚くべき事実
は、ニュールンベルグ裁判で暴露され、米国議会でもスキャンダル
として追及された。」 

実際に人造石油がどの程度まで使えたのか疑問が残りますが、スタ
ンダード石油側は、安価な石油の流通を阻止するために契約をして
いたようです。 
当時スタンダード石油は、石油に関連する数多くの特許権を所有し
ていました。1924年にGMと共同で「エチル・ガソリン・コー
ポレーション」を設立し、耐ノッキング性能に優れたガソリンの研
究を開始しています。そして、産出地域の違いによって性能が異な
ることが明らかになります。米国産原油と比較して、『インドネシ
ア産』やルーマニア産原油をベースとしたガソリンの方がオクタン 
価が優れていたようです。 

当時の日本は財政的には高橋是清−クーン・ロブ商会=ロスチャイ
ルド、井上準之助−トマス・ラモント=JPモルガンのネットワー
クに頼っていました。ただし、これに固執するあまり、米国内でス
タンダード石油率いるロックフェラー勢力が金融界でも急速に台頭
していることがわからなかったのかもしれません。 
現在全く逆のことが起ころうとしていますが、どこまで気付いてい
るか結構心配しています。 

パテントから見た歴史も参考になるかもしれませんね。 
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沖縄戦について                  杉作

  ふる@鶴川さんの下記のBBSの内容につき返答させて頂きます。

> 杉作さんwrote 
>>  また、沖縄戦でアメリカの日系人が住民の中に潜り込み、
>背後から日本軍を攻撃したそうなので、 
>> 日本軍が沖縄住民を信用していなかったというのも無理もない話
>です 

> 杉作さん、このネタは初耳です。戦史や当時の状況を考えれば、
>あり得ない話なので、ぜひ、ネタ元をお教えください。 

 まず、最初に「背後から日本軍を攻撃した」というのは私の勘違
いなのかもしれません。 
 この沖縄戦について書く際に元にしたのは下記の通り、佐治芳彦
著「[太平洋戦争]の真実」(日本文芸社)ですが、その255頁以降に
は次のように書いてあります<因みに、この本は三世代家族の対話
形式になっています>。 
 「昭和20年3月23日、まだ硫黄島で残り少なくなった関東軍の精鋭
が海兵隊と最後の死闘を続けていたころ、米機動部隊の艦載機延べ
1000機が沖縄と南大東島を空襲しました。そして戦艦10隻を含む艦
艇40隻が沖縄本島30キロの沖まで接近、艦砲射撃を開始しました。
これが沖縄決戦の前触れでした。」〜中略〜 
 「司令官の牛島満中将は兵力の不足をカバーするため、17歳から
45歳までの県民約2万5000人を動員しました。そのなかに男子中等学
校上級生よりなる鉄血勤皇隊(1685人)、女子中等学校上級生の白
百合隊(約600人)が含まれていました」 
 「そこが問題なのだな。戦闘員と非戦闘員の区別が曖昧になるだ
けでなく、非戦闘員の犠牲の増加をもたらす・・・・・」 
(息子・竜太)「お祖父ちゃん、それが沖縄の悲劇の原点?」 
(父・龍一郎)「いや、それだけじゃない。日本兵による沖縄県民
の殺害という問題もある」 
(祖父・龍之輔)「龍一郎の言った問題も確かに起こった。だが、
その原因にはアメリカ軍のスパイ活動も関与していたと言われてい
る。すなわち、米軍は沖縄出身者の二世をひそかに上陸させ、日本
軍の動静をスパイさせた。そのことを日本軍は当初気づかなかった
・・・・・当然、疑心暗鬼だね。そこから軍と沖縄県民との信頼関
係が揺らぐ。加えて米軍に追われて統制を失い血迷った日本兵の小
部隊が、自分達の隠れ潜んでいる場所を米軍に通報されるのでは、
ということから非戦闘員の同行を拒否し、結果的に非戦闘員が犠牲
になるケース、あるいは自分が助かりたいために手近かの非戦闘員
を殺害するといった軍人の風上にも置けない卑劣な兵士も出てきた
・・・・・だが、このような状況(悲劇)は本土決戦がおこなわれ
たら沖縄戦の100倍規模で起こっただろうな」 
(ママ)「それが戦争なのね。人間性のすべてがさらけ出される・
・・・・」 
(娘・美咲)「ママ、とすれば、沖縄の人々は本土の人々のいわば
身代わりになった」というわけね。確かに申し訳ないな。白百合隊
は私と同じ年輩の人々だもんね・・・・・」 
 
遅れて申し訳ありませんが、先ほどの続きです。同じく佐治芳彦著
「[太平洋戦争]の真実」の259頁には次のように書かれています<や
はり家族の対話形式になっています>。 
  
 「沖縄の戦闘の詳細は軍事史的に重要だろうが、それよりも当時
の日本の戦争指導部の沖縄戦に対する判断がより重要ではないだろ
うか? それが現在まで尾を引いている・・・・・」 
 「お父さん、具体的におっしゃって下さいよ」 
 「まず戦争指導部(大本営)は、アメリカ軍の上陸は沖縄ではな
く台湾と誤認していた。そのことは沖縄守備の第三二軍(三個師団
編成)から一個師団を台湾に引き抜いたことからも明らかだ。 
 つぎに沖縄戦闘を本土決戦のスチール・モデルと考えたのは良し
としても、本土決戦のための「時間稼ぎ」と考えていたフシがある。
すなわち「本土を中核とする要域における全般作戦を容易ならしめ
る」ための、いわば前哨戦といえば聞こえはいいが、本音は沖縄切
り捨て論が大本営の考えだったのではないか・・・・・」 
 「お祖父ちゃん、それならば海軍はなぜ虎の子の大和を送り込む
ようなことをしたのかな?」 
 「それに大量の特攻機の投入も」 
 「お父さん、いまの竜太とカツ君の疑問に関連するのですが、そ
れを大本営の戦争指導の分裂といえばそれまでです。しかし、私は
海軍の自殺的な水上特攻ともいうべき菊水作戦の狙いは、沖縄の
アメリカ軍に対する攻撃というよりは、陸軍本土決戦構想に対する
アンチテーゼではなかったかと考えています」 
 「貴方、海軍の終戦工作についてはこれまでいろいろ書かれてき
ましたが、そのような荒技をするような度胸など、とうてい彼ら、
つまり海軍の良識派(終戦工作グループ)にあるとはちょっとしん
じられませんけれど・・・・・」 
 「まずお父さんにお答えしましょう。三行半かどうかはともかく
、私は海軍がタオルを投入する意志を陸軍に伝えたものと思ってい
ます。次に瑶子、じゃ君は軍令部の菊水作戦の起草者が言う「国民
総特攻の前衛になれ」という精神論があの大和の無謀な出撃につな
がったとでも解釈するのかね?」 
 〜中略〜 
 「ただ、これはサイパンなど自国民の非戦闘員を多数抱える戦場
で見られたことだが、日本軍はそのような地域での作戦行動に「不
慣れ」だった。そのサイパンの悲劇を拡大増幅したのが沖縄戦だと
言える」 
 「私たち非戦闘員はそのことを内心心配していました。貴方、
戦争末期の一般市民がどれほど軍隊、つまり兵隊さんを羨ましがっ
ていたかご存知ないでしょうね。それは彼らはいかに旧式のものだ
ろうと武器を持っていたからです。本土決戦でどうせ死ぬなら武器
をもっていたほうがいい。なぜなら武器をもっていたら沖縄の非戦
闘員のようなみじめな殺され方はしないだろうと思っていたからで
すよ。」 


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