584−2.環境倫理学とは



「環境倫理学のすすめ」加藤尚武さんの本が面白いので、その紹介
とその論旨の発展を論じよう。  Fより

環境問題に起因して、環境倫理学ができた。
この倫理の基本は、人間だけでなく、自然の生存権も認める。
未来世代の生存権に対しても責任を持つ。地球の生態系は閉じた世
界と認識して、その閉鎖世界で共存する方法を思考することである。

1.自然の生存権
 歴史の方向は権利の拡大であったと言えるが、その権利を人間を
超えて自然の生物にも拡大することになる。しかし、これは人間の
権利の縮小になるため、抵抗があると思う。

しかし、「一木一草に仏性あり」という仏教の立場では、生命を持
つあらゆる個体に掛け替えのない尊厳があるという。このような東
洋思想がある地域では受け入れやすいのかもしれない。

実際問題としては、1絶滅の可能性のある動植物、2知能の高い動
物個体、3快苦を感じる動物個体、4生命を持つすべての個体、と
すると、1の場合は人間の義務であるという考え方は世界の主流に
なるでしょう。しかし、2から先は、自然中心主義か人間中心主義
によって大きく考え方が変わることになる。

2.世代間倫理
未来世代の生存権を保証するという考え方が、環境倫理にはある。
今の世代が石油資源とムダに使えば、有限資源であるために、未来
世代はその資源を使えなくなる。今までは、地球資源は無限にある
という前提であったが、とうとう人類は有限というまで地球資源と
知るようになった。

もう1つ、封建的システムは世代間のバトンタッチを倫理に取り込
んだ結婚制度等があって、それなりに機能していた。しかし、近代
化によって、「過去世代には遠慮しませんよ」という文化を作り上
げたが、これは「未来世代にも責任を負いません」という反面も持
っている。現在、未来世代に放射能廃棄物を残し、地球の生態系を
乱している。未来世代にはそれと阻止すべく運動も出来ない。これ
は日本国家の財務破綻も同様であるが??

今は現在いる人間間の関係と指定する法律はあるが、未来世代との
関係を規定する法律がない。決定構造論の問題としては、通時的決
定が共時的決定に転換した近代に、環境倫理はその通時的な概念を
導入する試みである。その範囲は1知識・技術・生産の不可逆的な
増大に対して、2未来は常に「よりよい」という楽天観への疑問、
3進歩主義対保守主義の政治的選択肢を提供:未来に対する姿勢。

3.地球全体主義、地球鎖国主義
有限資源という観点からは、その資源に依存しない環境を構築する
ことが人類の生存条件となることは自明の理であろう。そうすると
太陽エネルギーを用いた資源の循環的な使用ということになる。
もしも、世界の人口が将来、定常化するとするなら、その時は循環
的な資源利用の構造になる必要がある。その時の文化は進歩から循
環へと歴史の構造は変化する。

自由主義、進歩主義は無限の空間が存在しないと成り立たない。
自由は、他人の権利を奪い取ることになる。例えば、ある草を摘み
取ると、他人はその草を摘むことができない。「無限空間の中で自
由に資源を消費し、自由に廃棄する」という意味での自由は制限さ
れざるを得ない。このため、近代の商業・産業は変化せざるを得な
いことになる。

地球全体主義は、地球こそがすべての価値判断に優先して尊重され
なければならない「絶対的なもの」となる。個人が優先ではない。
欲望の世界の総量を制限する必要がある。欲望を制限するというこ
とは、個人の自由も制限することになる。

4.日本の使命
世界のCO2排出は、52億トンで、欧州は14%、北米26%、
アジア25%(日本4.7%)、ロシア19%、その他16%
環境問題の外交では日本が指導的役割を果たせるのであるが??
1エネルギー消費の効率化の先進国であること。2石油・石炭への
依存率が低い。3森林の保有率が大きいこと

しかし、日本は米国に遠慮して、その指導性を放棄するようだ。
誠に残念である。


コラム目次に戻る
トップページに戻る