584−1.ポプラの新芽



得丸です。
今朝、窓からとなりの公園をみていたら、ポプラの切り株が新緑に
おおわれているのに気づいた。死んだものだと思っていたのに、
旺盛な生命力だ。

階段を走りおりて、公園に行ってみると、直径1m強、高さ50cmほど
の切り株の外周にそって切り株を覆い尽くすように何十本もの小枝
が生え出している。長さは50cmから1mほど。根っこのところからも
、少し枝が出ている。丸坊主だった頭が、急に長髪になったみたい
な不思議な感じだ。

昨年までわが富山の庵、野山房に隣接する公園には、樹高20mはあり
そうなポプラが2本あって、天に向かって大きく枝を広げた姿は、
心をなごませてくれていた。ポプラの葉が風に揺らいでいる様子は
、見ていて飽きなかった。

飛行機が富山空港に着陸する寸前にも、この2本の木はよく目につ
いて、野山房の在り処は一目瞭然だった。機中からポプラの木を見
つけることで、僕は安心していたような気がする。慣れない土地と
僕を結び付ける数少ない絆が、このポプラだった。

ところが今年のお正月明けの強風で、2本あるうちの南側の木がま
ん中あたりで折れてしまった。上半分が、行き倒れ者のように公園
に倒れていた。近くの低い木まで巻き添えにして。

地面に横たわっていた上半分はすぐに片付けられ、残った下半分も
切り株だけ残してきれいに伐られてしまった。薪として風呂屋にで
も貰われていったのだろうか。

4月下旬に友人があそびにきてくれたときに、切り株を見せて、
写真をとった。直径1m以上、高さ50cmほどの切り株には、往時を
しのばせるものがあった。

僕が勝手に、いつまでも切り株のままでいるものと思っていたのだ
けど、今朝緑に包まれている切り株を発見して、とてもうれしくな
ったのだった。この後どのように成長するのだろうか、楽しみだ。

新緑を冠にしてほこらしくポプラの株は命絶やさず

大地より汲み上げられし生命は新枝となり切り株包む
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夏至がすぎて            得丸久文   
 いつのまにか夏至がすぎていた。 
フランスでは、この10数年のことだが、夏至の日に、音楽の祭典
という催しがあって、町中の広場という広場で、素人演奏家たちが
一晩じゅう音楽を演奏している。ラジオも特別番組を流す。 
一神教のフランス人が、夏至を祝い、太陽神をいただく日本人が夏
至を祝わないというのも、面白い。 
それにしても、この国では祝祭というものが、どこかに消えてしま
ったような気がする。盆踊りで毒カレーが振舞われた和歌山カレー
事件はまだわずか3年前のことだったっけ。 
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(Fのコメント)
このコラムは政治系の話が多いが、たまにはこのようなエッセイも
いいものですね。


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