583−1.横田基地の出入りについて



 杉作 
 コラムno.572の中でTakahashi Kさんは次のように仰っていました
。
>アメリカ人の知人に「成田は時間が掛かって大変」と言ったら 
>「横田に直接入るから通関もなく極めて快適」と言われた。 
>国境の管理も出来ない独立国とは何ぞや。 

 横田基地の飛行場に勤めていた米軍白人女性と個人的に以前知り
合いであったため、私も横田基地に出入りしたことがあるのですが
、Takahashi Kさんが「国境の管理も出来ない独立国とは何ぞや」と
仰る気持ちも分かります。というのも、私の経験では1年半位前、福
生駅からその知人の女性の車で横田基地に入る時、私は身分証明書
を持っていなかったにもかかわらず、守衛の日本人らしきバイリン
ガルの人に、次回持ってくるように言われただけで、中に入れたか
らです。友達が米軍人だったせいもありますが、身分証明書(ID)な
しに入れることもあるんですねー。というのがその後の私の感想で
す。因みに、その女性は数ヶ月後サウジアラビアの米軍基地に転勤
となったため、個人的にはもう横田基地には入れませんが。 
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Re:横田基地の出入りについて ふる@鶴川  
   
 コラムno.572の中でTakahashi Kさんwrote 
>アメリカ人の知人に「成田は時間が掛かって大変」と言ったら 
>「横田に直接入るから通関もなく極めて快適」と言われた。 
>国境の管理も出来ない独立国とは何ぞや。 

 Takahashi Kさんの米国の知人の方は、米軍関係者(軍人・軍属
・家族)ではないでしょうか? その関係者だと横田入りが可能で
す。 
 一般米国人は成田等から通関してからでなければ日本に入国でき
ませんが、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保
障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍
隊の地位に関する協定」俗に言う「日米地位協定」の第9条に基づ
き、軍の構成員・軍属・軍人の家族(配偶者・21歳以下の子供・両
親)は出入国に対して、外国人の登録及び管理に関する日本国の法
令の適用から除外されますので通関がないのです。 
  
 一応、通関はなくても軍関係者の家族等は「合衆国の当局が発給
した適当な文書を携帯し、日本国への入国若しくは日本国からの出
国に当たつて又は日本国にある間その身分を日本国の当局が確認す
ることができるようにしなければならない。」と、ありますので、
「適当な文書」を発給する際に、日本へ「陸軍大尉○○のファミリ
ーが、0/0〜0/0/0まで日本に滞在するよ!」と、通知する
んじゃないかと推測します。 
  
 ご存じと思いますが、米軍は世界中に基地を保有しており、各基
地間を輸送ネットワークで結んでいます。そのネットワークの中に
は、物資だけでなく人の移動も行っていますので、通常、新しい任
地への転勤には、このネットワークで移動します。 
 横田のような空軍基地だと、旅客ターミナルみたいになっており
、「どこそこ行きのフライトは何時何分」とか一般の空港のような
案内があるのを何かのスペシャル番組で見たことがあります。 
 輸送機などを利用しているので、快適な空の旅とは行きませんが
、確か、無料だか、一般航空料金よりも破格の値段だかで海外旅行
が可能です。 
  
>横田基地の飛行場に勤めていた米軍白人女性と個人的に以前知り
>合いであったため、私も横田基地に出入りしたことがあるのです
>が、Takahashi Kさんが「国境の管理も出来ない独立国とは何ぞや
>」と仰る気持ちも分かります。 

 横田基地は、空軍のハブ的空港としての役割で、軍事面ではあま
り重要な基地ではありません。大空港だから外部からの出入りも頻
繁だし、厳しくすると混乱するので、出入り口の警備は甘いじゃな
いでしょうか。 
 相模原の補給基地は、入り口の警備は厳しかったですね。「特に
、シークレットゾーンは問答無用で打たれます。」と、注意されま
した。 
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Zama Camp(座間基地)の出入りについて    杉作 
   
  ふる@鶴川さんが下のBBSに次のように書かれました。 
>相模原の補給基地は、入り口の警備は厳しかったですね。 
>「特に、シークレットゾーンは問答無用で打たれます。」と、 
>注意されました。 

 個人的なことで再び恐縮ですが、今年71歳になった私の父が終戦
直後に Zama Camp(座間基地)<当時「第四補充部隊」とも言われ
たが、ふる@鶴川さんの仰る「相模原の補給基地」のこと>に1年間
勤めておりましたので、その当時の様子について書かせていただき
ます。 

 大正時代の祖父の代から私の実家は東京(戦時中「東京都」にな
ったがその当時はまだ「東京府」だった)で和菓子屋をやっており
、私の父は、東京大空襲を生き抜いた後、7月に神奈川県の秦野の方
へ疎開し、その1ヶ月後に終戦を迎えました。終戦直後の焼け野原の
東京では依然として不発弾が沢山残っているだけでなく、戦中の疎
開関連の法令がまだ残っていたため、東京に戻ってきて和菓子屋を
再開するのは3年後になりました(終戦時、米軍の荒くれ者の海兵隊
<当時刑務所から連れて来て軍服を着せた者も含む>が横浜から上
陸して東京を制圧する状況については別の機会に改めて書きます)。 
 終戦後東京で和菓子屋を再開するまでの3年間のうち約1年間、私
の父は秦野から列車で通いながら、Zama Camp(座間基地)の
 Officer Club(将校クラブ)で KP boy(台所担当) として働いて
おりました(因みに、英語の"wash"を「ウォシュ」ではなく「ワー
シ」と発音することは父から聞きました)。 
 私の父の場合、まず座間基地での仕事を開始するにあたり、身分
証明書の発行を受けました。通勤の際にそれをMP(門衛)に提示し
て基地の中に入ります。基地の中で働く日本人の部署は様々ですが
、基地の中に入った後、各部署の受付にその身分証明書を預けます
(これがいわゆる「タイムカード」の役割を果たしています)。
そして仕事が終わって帰る時、門衛のMPから身体検査を受けます。
父の話によると、この身体検査は基地の中に入る時はやらず出る時
のみ行われるようです。というのも基地の内部の物を外に持ち出さ
れないために行われるからです。 

 大雑把に言って以上のような感じですが、やはり横田基地より
座間基地の方が出入りが厳しいのかもしれません。というのも私が
下に書いた(少しおバカな?)アメリカ人女性と(というか私も人
のこと言えませんが)横田基地の中でデートした際、バーガーキン
グで昼食を取ったり、ディスカウントストアに行ったり、カフェテ
リアで hot chocolate を飲んだり、宿舎の彼女の部屋で一緒に過ご
したわけですが(彼女の話だと基地の中に映画館や教会もある模様
)、帰りも彼女の運転で車で基地を出る時、彼女と話しながら知ら
ず知らずのうちに福生駅に着いてしまったからです。というか彼女
は私に別のことを期待していたみたいです。ちょっと恥ずかしくて
言えませんが。
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Re:横田基地の出入りについて       ふる@鶴川 
   
自己レスです 
> コラムno.572の中でTakahashi Kさんwrote 
> >アメリカ人の知人に「成田は時間が掛かって大変」と言ったら 
> >「横田に直接入るから通関もなく極めて快適」と言われた。 
> >国境の管理も出来ない独立国とは何ぞや。 

 建前は、私が述べたとおりなんですが、実際は、つてで一般の人
も利用しているようです。 
 だいたい、日本で問題起こした軍人が拘束を逃れて帰国できるほ
ど、管理がずさんなんですから、可能でしょうね。ただ、米国の名
誉のために補足しますと、帰国しても逮捕されて日本に戻されてい
るケースもあります。 
 でも、米国もこの輸送ネットワークを利用されて、日本と同じこ
とになると思いますが・・・ 

横田基地周辺に住んでいる知人からメールが来たので、お知らせし
ます。 
 横田基地は、外国チャーター便が降りることがあるので、一般外
国人も利用することがあるため、一応税関はあるそうです。 


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