568.日本の中世



「日本の歴史をよみなおす」網野善彦著は、日本の中世史や天皇の
有り方を問うことになっているようだ。  Fより

1.文字について
日本の遺跡から発掘する古文書や13世紀ごろの文書は、日本全国
の文書が読めるのです。しかし、その頃の日本の方言は、ほとんど
藩が違うと、聞き取れないほど違っていたはずなのです。
しかし、文字は同一。15世紀の室町時代では50%が平仮名の文
書になり、日本津々浦々まで、文書で伝達できていたし、国の指示
伺いは文書で行っていた。13世紀後半には、ほとんど全国が律令
制の基本である文書での指示、報告、伺いができていたのです。
国家体系は中国の律令制国家体系と同じになっていたようなのです。

国の役人になるためには、文書を読み書きできる必要があるが、
日本には平仮名があったために、多くの日本人が13世紀後半から
文字を読み書きできるようになっていたようなのです。
カタカナは、宗教家の文字と、現地の方言を書く時に使用した。

2.天皇と非人について
非人とは、「身分外の身分」で、本来的に社会から完全に疎外され
た存在である。そして、その集団は職能集団として10世紀に出現
している。この非人の仕事は、ケガレの部分や、律令制の外にいる
芸能、遊女などの人で神や神社や宗教との関係あった。そして、
市場の位置付けも、神との関係があり、非人の仕事であった。
よって、非人は、神仏に直属していた。工芸も神との関係があった
ため、非人である。聖俗の存在であった非人が卑賤視されるのが、
13世紀後半、鎌倉時代に入ってからである。しかし、それまでは
、非人は聖俗的存在であり、非人であり現人神である天皇との関係
があった集団であると、認知されていた。

3.日本の国号
日本の国号を使用したのは、701年の遣唐使が中国に行く時から
です。律令制度の確立した天武・持統天皇のころで、天皇の称号と
セットで定まったと考えられる。この時より前には「日本」[日本
人」は存在しない。この「日本」は畿内を中心とした地域のみで、
東北や南九州、沖縄は入っていない。平将門の乱で簡単に独立した
ように、12世紀末までは、東北や関東は別の国と考えていた方が
いいのでしょう。安部氏、清原氏、奥州藤原氏は独立国家であった
可能性が高い。鎌倉幕府がなぜ関東か?なぜ、京都の朝廷が二重政
権を容認できたか?この疑問の答えではないかと思う。


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