566.日本の精神とは



求道すなわち道なり − 「作り出す」ものとしての人間

得丸です、高校生からとても素直な気持ちをぶつけていただいてう
れしく思います。

僕も学校で同じように習いましたし、社会人になった後もずいぶん
長い間そのように思っていました。つまり、戦後民主主義の中で生
まれ育ちそれに対して疑問を感じることなく、30代を迎えたので
した。

戦後民主主義について疑問を感じるようになった一番の契機は、
海外在住です。日本の中にいると、自分たちの使っているオペレー
ショナル・ソフトウエア(WINDOWSやMacOSのような基本ソフト)の
バグに気付かないものです。海外で、僕は自分自身の意識が空っぽ
であることに気付いたのでした。

戦後民主主義という「思想」の驚くべき点は、戦争をしてはいけな
い、武道はいけない、民族主義はいけない、靖国神社はいけない、
自衛隊はいけない、日の丸君が代はいけない、国家官僚はいけない
、、、とあれするなこれするな、が多い。ないないづくしなのです。

その反対に、これをしなさい、あれをしなさい、こうなりなさい、
という命令が少なすぎる。そこが問題なのですね。つまり、戦後民
主主義を50年以上続けてきたために、日本人の意識の空洞化、心
の空洞化がおきてしまったのです。何もしない人間になってしまっ
たのです。

>日本人が,受け継いできた意志は,戦後,失われたとおっしゃって
>いました。
>私は,そういった,受け継がれる意志をしらないまま大人になり,
>親となって,子供を育てるのでしょうか?
>恐ろしいことですね
>一人の,日本人として、私は,一体何をするべきなのでしょう?

nohohon0424さん、でもご心配は無用です。「一体何をするべきか」
という問題意識をもっただけで、すでに答を得たに等しいのです。

あなたの住んでおられる町内で、地域で、市で、県で、この日本で
、さらに東アジアで、地球上で、いったいどのように生きることが
求められているのかを考えましょう。

いったいどのように生きること、どう振る舞うこと、どのような心
がけをもつことが望ましいのか、考えましょう。どういった関係を
、親兄弟と、親戚と、隣人と、地域社会の人と、職場の人と、外国
人労働者と、外国に住んでいる人と、つくりだすべきなのか、考え
ましょう。

50年の間に継承されなくなったこと、途絶えたこともたくさんあ
ります。しかし、今まだ生きている戦前世代の人たちからの聞き取
りや彼らとの対話を行うことによって、失われたものを取り戻すこ
ともできます。

命に対する考え方、人の死に臨んでの振舞い方、礼節や仁義など学
ばなければならないことはたくさんあります。それらも多くは、
「論語」や「孟子」に書いてあります。二宮金次郎や吉田松陰やそ
の他多くの偉人たちの生きかたも参考になります。偉人伝を読みま
しょう。(最近は本屋で売っている偉人伝が減りましたので、図書
館で探してみるのも手です。

「論語」が難しいと思えば、下村湖人「論語物語」もおすすめです
。儒教は古臭いと思わないでください。人間の死をどう受けとめる
か、自分の命をどう考えるか、学ぶということ、礼を実践すること
、そういった人間にとってもっとも基本となることが書かれていて
、実に新鮮に読めます。

加地 伸行著 「儒教とは何か」(中公新書)、 「沈黙の宗教 儒教
」(ちくま書房)もお勧めです。インターネット上で論語や儒教の
ホームページもたくさんあります。

すべての基本となるのは、命の大切さへの畏敬の念をもつこと、
そして仁や礼を学ぶことによって自分の人間性を高めることです。
学習を通じて人間をつくりだすことが、儒教の本質です。ぜひおた
めしください。
(2001.06.12)


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