558.憲法論議など(読者)



525-1未来のにおいがしない「憲法改正」論議 について

 アムステルダム在住の読者です。ノイズ情報ばかり飛び交う
昨今、大事に拝読させていただいております。
 最近の「憲法改正」論議におよそ希望がもてないことについ
ては、得丸兄や野蛮としての某さんにまったく同感します。自
衛隊の合法化にしたところで、改憲派もちゃんとその費用対効
果は計算しているんだろうか?官僚に立法プロセスを任せっき
りにしてきたツケで、政治家はムードでしか物が言えなくなっ
ている、そんな危うさを感じます。

 ただ、天皇を元首、国賓、現人神として位置付けることに関
して、それが日本になじんでいるかは一考を要します。。今の
天皇制度は明治維新/クーデターの産物であって、日本版カイ
ゼルとして、同じく日本版ビスマルクたらんと欲した伊藤博文
が、自由民権派の「自主憲法」への反動である明治憲法ととも
に、自国に押し付けたものであるからです。その意味では、現
人神も神社統合と関連した発明品ですね。

 そうした議論抜きになんとなく改憲してしまうことは、けっ
きょく「なんとなく改憲」の続きのような気がします。
 どうも近代の日本人は、「自らの手で国家をつくる」希望を
明治維新、55年体制と二重に奪われて来たのではないでしょう
か。しかし「押し付けられた日本」でない日本の可能性は鮮明
ではない、そういう意味では、まだ皇国史観からさほど自由で
はないのかもしれません。拝
Santi
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国際戦略コラム 様        山崎と申します。

 下記の文章が静岡新聞H13.5.28(月)の朝刊にありましたので、
送付します。
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「論壇」   
 憲法改正論の上滑り 
                  来栖弘臣   軍事評論家
−社会の動きに即応できず−

 一昔前までは、憲法改正を口にするだけで、マスコミから叩かれ
閣僚の地位も危うくなったものだが、今や公然と憲法改正論議が行
われ、衆参両院にも調査会が設置されて検討を重ねる時代となった。

世論調査でも改正賛成が過半数に達した。かつて自衛隊の問題点を
陳情すると、理解のある議員でも、「よう分かっとる、だが憲法改
正が先だ」と言って論点をかわした。筆者などは、例の問題の先送
りだと諦めたものだった。

憲法論議と現実=現在は与野党を問わず憲法論をぶつ。改正論者は
、現憲法の生い立ちから始まって日本語としての不的確、文章の不
備まで挙げて、現実社会との乖離を説く。

護憲論者は、改正は不可だとの前提で、理想主義、世界に先駆けて
の役割、壮大な実験国家に執着する。だが、かかる論戦の最中にも
現実社会とわが国の現状とはますます離れて行く。

両院調査会の結論が予定通り五年で出るとしても、さらに改正案を
得るための手続きや所要期間は見当も付かぬ。
国民投票の根拠法も無い。とすると、今後十年ぐらいは今の状況が
続くであろう。しかし問題は今日明日、この一〜二年の勝負であっ
て、十年先の話ではない。

例えば集団的自衛権行使の問題をとっても、極東の不穏な情勢、特
に台湾海峡や朝鮮半島の状況が動き出す前に、理不尽な要求を阻止
し、米国と結んだ抑止力を生かす手段なのである。十年は到底待て
ない相談だ。

護憲論者の頑迷ぶりは言わずもがな、改正論者も、憲法は改正され
るものとして事態を安易に考えているように見える。

−憲法の柔軟な運用が肝要−

 改正より先に柔軟解釈を=国家の基本法たる憲法は、将来の理想
像を謳うものでもなければ、一言一句厳密に解釈すべきものでもな
い。政治の大枠を決めるものである。その中でも比較的外界とのズ
レを気にする国は、ドイツの如く頻繁に改正する。

反対に英国やイスラエルの如く成文憲法を持たない国は、歴史、伝
統を基礎に現実社会に即応するように政治が動く。半世紀以上も前
の異常な状況を前提とした憲法を、外界の変化をよそに墨守してい
る国はあるまい。

にもかかわらず、政府は、憲法の精神によって集団的自衛権の行使
は禁止される、との、当時の政治情勢から発した古い解釈を繰り返
している。一方では、自衛隊の存在や私学への補助金制度を、現憲
法の条文から見て是認し難いにもかかわらず当然視する。

それは国家社会の現実から見て必要だから、憲法の条文上疑義があ
るのに正当視されて来たのに外ならぬ。

つまり国家の生存のため必要不可欠な条件は、憲法が禁止するはず
が無いとの思想であり、換言すれば成文憲法の柔軟解釈である。

 有事法制然り、領域警備然り,不審船然り。憲法が明確に禁止し
ている場合を除き、情勢に応ずる政治判断をあらかじめ縛るような
狭い解釈をすることは、千変万化の世界に伍して国家の安全を守る
道を塞ぐ自縄自縛の愚挙と言う外はない。

 憲法改正は願望であってもその目処は立っていない。しかし現実
社会は絶えず動いている。国家としてのこの動きに合わせるのが
政治外交であり、安全保障策であって、世界の一員としての勤めで
もある。

従って憲法改正への努力はしつつも、具体的な政策としては憲法の
柔軟な運用こそ肝要であり、単に改正待ちでは何事も解決しないの
である。
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初めまして。nohohon0424
私は,今年,二年生になった,女子高生です

憲法についての意見を,読ませていただきました。
私は,学校では,日本国憲法は,戦争を反省する世界中の様々な国
の願いが込められたすばらしい憲法だと教えられ,また,そう思っ
ていました。
しかし,世界中の願いが込められているということは、必ずしも,
日本人にあっているということでは,なかったのですね

私は,戦争を知りません。そして,私の周りに戦争を知る人は,
祖父と,祖母だけになってしまいました。
日本人が,受け継いできた意志は,戦後,失われたとおっしゃって
いました。
私は,そういった,受け継がれる意志をしらないまま大人になり,
親となって,子供を育てるのでしょうか?
恐ろしいことですね
一人の,日本人として、私は,一体何をするべきなのでしょう?
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(Fのコメント)
世界の願いではなく、GHQの民生局の理想が込められた憲法にな
っているようです。日本の願いも、その他諸国の願いも聞いていな
い。当時のGHQは。日本の現実は、大陸と海洋の狭間にいるため
海洋国家米国と陸軍国家の中国、ロシアの対立に翻弄される国家構
造にあります。このため、日本は現実的な政策や戦略を構築する必
要があると思います。そして、今は米国と同盟関係にあるのですか
ら、そのように行動するべきでしょうね。疑問を持つなら、国家全
体で議論するべきです。

日本は、植物文明としての欲望制御技術を持っていました。自己の
コントロール方法ですが、この技術を次世代に伝承する必要がある
のでしょうね。「利他の精神」。そして、世界の環境をこのまま
米国のような大きいことはいいこと、消費することはいいこととい
う文化では持たないようです。このような思想を日本も戦後米国文
化を取り入れたので、大きく侵入しています。しかし、昔の日本、
江戸時代までの日本は違いました。この江戸時代の文化や思想が重
要になっていると思います。
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kishizuka
民主主義の議論や憲法改正の議論が出ているので、この場を借りて
国の統治システムを自分なりに論じたいと思います。

まず、統治の考え方に主権在民つまり、現在先進国の多くで行って
いる民主主義があります。
また民主主義の対比して考える為に、独裁制を例としてあげます。

独裁者の例としてナポレオン、ヒトラー、毛沢東などを例とすれば
ナポレオンは、初期には徴兵によってヨーロッパの全軍をやぶり、
ナポレオンはその軍人としての評価より、むしろナポレオンの法典
などによる政治家としての業績が晩年は過労と過食がたたり、正常
な判断が行えなくなったようです。

また、ヒトラーもケインズ以前のケインズ主義者としてアウトバー
ンの建設や労働者に休暇を与えるなどして、その活動の初期には大
変な成果をあげたのに、やはり晩年は猜疑心が高まり、過労と過食
で正常な状態が保てなかった。
毛沢東もその初期には中国を歴史上初めて統一し、また初期の共産
党の活動内容も非常に優れていたものの、大躍進以来、まともなこ
とは一つも出来なくなっていた。

天才政治家の活動の初期には、それこそノーベル賞学者よりも進歩
した目覚しい精神によって、その国の歴史を変えるのでしょうが、
晩年は過労、過食、そして権力の魔性とも言うべき長年権力につい
ていたためにおこる対立者への猜疑心から、正常な精神状態が保て
なくなることは歴史が証明しています。

ただし、その危険性を含んでいても独裁制も仕方がないというべき
その国の歴史的発展段階があります。
というのは、民主主義が成立する前提には、その国の国民の教育レ
ベルが高く、選挙や投票の際に情実や買収が出来ないとか、あるい
は財政や、経済、外交、安全保障などの国政レベルの政策面で少な
くともある程度正しいかどうか国民が自分で判断できる段階になっ
ていることです。
(これらが日本の政治が近代化できない最大の原因でしょう。
この段階に日本の主婦が達しているとは誰も思わない。
その原因は主婦向けのワイドショーなどレベルの低いマスコミにな
ると思います)
欧米では昼に政治討論番組をやっていて、主婦がそれを見ているの
で、主婦や肉体労働者でも政策討論が出来る場合が多いそうです。

昼間のワイドショーで芸能人の離婚話で気晴らしするのもいいので
すが、政治討論などで憂さ晴らしをするのが日本の民主主義の発達
にとってはいいことだと思うのですが・・・・

一歴史信者としては、日本人は統治しやすい民族であるが、日本の
民主主義は日本の歴史が2000年であるにかかわらず、戦後わずか50
年しか有りません。
1000年前からヨーロッパのベネチアでは、太守の世襲を禁じ、情実
や買収を防ぐ為に複雑な選挙を行っていたという伝統の差が有りま
す。
民主主義の観点から言えば、日本はまだまだ、経験不足、とくにマ
スコミのレベルの低さが問題になっているのではないでしょうか。
ワイドショー的なあほなタレントの色恋話で憂さを晴らすより、政
治討論で憂さ晴らしをするようになれば、民主主義としては進歩し
たことになるんでしょう。

それと国の統治機関は議会がいいのか、内閣(大統領府)が良いの
かという問題があります。
議会が国の最高機関ではだめなのは歴史が証明していると感じます。

フランス革命中の共和制とかドゴール以前の共和国の状態とか今の
イタリアとか、議会が内閣より強いのでは、党人によって国政を分裂
をさせるだけです。
日本の政治状況は外国に住んでいる私が指摘するまでもなく、皆さ
んがご存知です。
まあ、憲法論議から言えば「国権の最高機関」というのは政治的美
称にすぎないのでしょうが。あくまで国民の代表権を議会が持って
いるというだけで、この前の国会決議で議会はまともな文章一つ掛
けないことをアジアに証明して日本国民に恥じをかかせましたから、
今後も議会は統治機関にはなりえないでしょう。

アメリカはそういった歴史哲学を重視して、大統領府が議会に優先
して、大統領を議会より上に置き国を運営する。
大統領を3選させない。10年以上は権力を持たせない。
あるいは、大人数では運営はさせない、10年以上はどんなに優れた
天才政治家でも権力を持たせないという点で先進国のなかで、歴史
から抽出したもっとも優れた政治システムを持っているのではない
でしょうか?
あるいは選挙のやり方も100%大衆の選挙にはしないなどの点で衆愚
制を避け優れているように思います。

日本は天皇制がありますから、大統領という元首は作れませんが、
やはり、人気だけのテレビタレントが当選したりしないように、
衆愚制にならないような枠をつくった上で、国民投票で首相を選ぶ。
(天皇の首相任命をどうするか、問題はありますが)
憲法上内閣を国会の上に置く。国会は国権の最高機関という表現は
憲法から削除する。
さらに首相の任期を4年ないし5年で3期はやらせないように枠を
作る。(1,2年でころころ首相が変るのでは絶対に誰がやっても
だめです。また、一期だけだと韓国の大統領制のように任期の後半
はだれも言うことを聞かなくなるので、これもだめでしょう)
さらに首相は議会に対して、アメリカの大統領のように拒否権をもつ。
というあたりが、現実的な日本の統治の関する改善策ではないでし
ょうか。(もちろん、憲法を改正しなければいけませんが)

また、統治のシステムとして天皇制についてですが、私は支持して
います。たとえば、大東亜戦争の末期に内閣が敗戦を決められなか
ったときに天皇が決めるとか、この前の阪神大震災のときに、当時
の村山首相がいくと石を投げられるが、天皇と皇后がいって「がん
ばってください」と言っただけで、被災民のかたがある程度秩序の
意識を取り戻すとか。
百年に1回、50年に一回のいわば三権が機能しなくなったときの
保険として税金をはらって天皇を養って戦乱や天変地異などにそな
えておくのは、歴史の智恵だとおもいます。
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「大臣や議員や官僚は国民の上に立つ者なのか、それとも国民の使
用人なのか」について
わかりにくい質問で申し訳ありません。
テレビを見ていて、「外相は官僚を使用人扱いしている」という表
現があったのでこの疑問が頭に浮かびました。
また、自分なりに考えているうちに、大臣や議員や官僚=政治的指
導者国民=その他の人々という意味で使った言葉だと気がつきまし
た。
まだ、知識も浅く、未熟者ですが、自分の考えたことをまとめてお
きたいと思います。

(まとめ)
大臣や議員や官僚(政治的指導者)は国民(その他の人々)の上に
立つ者(1)大臣や議員や官僚(政治的指導者)は国民(その他の人々
)の使用人(2)
(1)と(2)は対立する考えなのか、それとも同時に成り立つ可能性の
ある考えなのか。
この疑問を解決することは今の僕には難しいので、ここでは(1)と(2)
は対立する考えであり、どちらか一方が成り立つとして、考える。

結論
(1)と(2)の考え方は、思想によって異なる。
(A)イスラムや哲人王思想や儒教の立場を採る人は「大臣や議員や
官僚は国民の上に立つ者(1)」という考えになりやすい。
(B)民主主義の立場を採る人は「大臣や議員や官僚は国民の使用人(2)
」という考えになりやすい。
日本国は民主主義国家なので、(2)の考えになる。
(1)と(2)のどちらの考えが優れているかは、ここでは考察されていな
い。

考察
イスラムについて(現代のイスラム国家についてはよく知らないの
で、ここではひとつのモデルとして考えてください。それもスンニ
派。)神(アッラー)との契約においては、ムスリム同士は平等と
いうことになっている。
しかし、ウラマーという人がいる。ウラマーとは「コーラン」とそ
れに関連する学問を専門に研究する人のことであります。
 (井筒俊彦 イスラーム文化 岩波文庫 P.48)
そして、政教不分離(聖俗不分離)であるので、宗教研究の権威者
ともなりますと、狭い意味での宗教や信仰に関することだけでなく
て社会問題、政治問題、法律問題、風俗問題、道徳問題など、人事
百般について、「コーラン」の名において判定を下すことのできる
権威者となります。
 (同)
これは三権でいうならば、司法権と行政権を持った権威者というこ
とである。(立法に関しては、イジュティハードの門の閉鎖が関係
している。イスラーム文化 P.162 を参照してください。)
この権威者にその他の人々は逆らえない。つまり、「上に立つ者」
である。

哲人王思想 プラトン、古代ギリシアのポリスでは市民(奴隷を除
く成人男子)による話し合いによる政治が行われていた。
しかし、悪政を見、師であるソクラテスが毒殺刑にあったことから
、この政治体制にプラトンは反発を抱くようになった。彼の考える
国家は、優秀な人間が支配する階級社会である。
(参考 白鳥春彦 この「一冊」で哲学がわかる 知的生き方文庫
    慶應義塾大学法学部萩原研究会ホームページ 99年春学期
の「政治思想基礎」)

儒教
 子曰く、大衆からは、その政治に対する信頼を贏ちえることはで
きるが、そのひとりひとりに政治の内容を知ってもらうことはむつ
かしい。 (宮崎市定 論語 岩波現代文庫 P.128)
 子曰く、所管以外の政治には、傍から口出しをしない。
 (宮崎市定 論語 岩波現代文庫 P.130)
 先生がいわれた。
 「人民を従わせることはできるが、なぜ従うのか、その理由をわ
からせることはむつかしい」
 *このことばは、人民は時の政府の法律によって、思いのままに
動かせるかもしれないが、法律を読めない一般市民に、じゅうぶん
に法令の出された理由を納得させることはなかなかむつかしいこと
をいっただけである。人民に、法令の内容やその発布の理由につい
てよくわからせれば、それにこしたことはないが、それがたいへん
困難だといっているだけなのである。孔子は、法令の理由なぞ人民
に教えることは不必要で、ただ一方的に法令で束縛したらよいとい
う、専制主義的な思想を説いているのではない。このことばによっ
て、孔子が封建思想、または専制主義を一法的におしつけることを
政策の根本にしたと解釈するのは誤りである。
 (貝塚茂樹訳注 論語 中公文庫 P.220)
 先生がいわれた。
「責任ある地位にいない場合、政治のことを論議してはいけない」
    (1)憲問篇第二十七章と同文。
 *このことばを文字道りにとると、在野の政治家と政治評論家の
議論が全部否定される。しかし、孔子の真意は弟子たちに無責任な
放言をつつしみ、責任ある地位に立ったとき、実行できる政策を考
えるようにというのではなかろうか。
 (貝塚茂樹訳注 論語 中公文庫 P.225)
貝塚氏が指摘するように、「孔子が封建思想、または専制主義を一
方的におしつけることを政策の根本にしたと解釈する」人はいる。
また、そうは考えなくても、孔子は聖人による政治を理想としてい
たことは、間違いないと思われる。
(宮崎市定 論語 岩波現代文庫 章の通し番号 213 312 313 314
 377)
(貝塚茂樹訳注 論語 中公文庫 子罕篇九 子路篇十、十一、
十二 憲問篇四四)

民主主義の立場を採る人
民主主義に状態としての定義はないようだ。
 民主主義とは、実は、過程であって状態ではない。たとえて言え
ば、それは、フローであってストックではない。丸山真男教授は、
「民主主義をめざして日々の努力のなかにはじめて民主主義は見い
だされる」と言った。
 (小室直樹 悪の民主主義 青春出版社 P.18)
デモクラシーとは制度よりも、制度を求める運動の中にある(杉田
敦 デモクラシーの論じ方 ちくま新書 P.012)
しかし、あえて言うならば、自由主義とは、人びとの権利を国家権
力から守ることをいう。民主主義とは、人びとが国家権力に参加す
ることをいう。 (小室直樹 悪の民主主義 青春出版社 P.51)
ということらしい。
ここで(1)と(2)の考えの人を想像してみる。
(1)大臣や議員や官僚(政治的指導者)は国民(その他の人々)の
上に立つ者指導者:傲慢になりその他の人々をかえりみなくなる
 その他:指導者にまかせきりになる
(2)大臣や議員や官僚(政治的指導者)は国民(その他の人々)の
使用人 指導者:謙虚な気持ちで奉仕する
 その他:指導者を監視する
貧弱な想像であり、すべての人がこう考えるとは思わないが、多く
の人がこのように考えるのではないだろうか。
「人びとが国家権力に参加する」のは(2)のほうである。

日本国について
ロックの思想の影響の後、
 国家は契約によってつくられる。(小室直樹 悪の民主主義 
青春出版社 P.149)ようにもなった。
現代の日本国の場合、その契約を記したもの第一は、日本国憲法で
ある。それには、ポツダム宣言が影響している。
 日本国憲法制定の直接の原因となったものは、ポツダム宣言の受
諾です。(杉原泰雄著 憲法読本 岩波ジュニア新書 P.68)
そして、ポツダム宣言には将来の日本の政治が、基本的人権の尊重
、民主主義、平和主義および責任政治という四つを原則としなけれ
ばならない(同 P.69)が含まれていた。ということは、現代の日
本国は民主主義国家である。民主主義の部品のようなものは、日本
国憲法で確認することができる。

(まとめおわり)

・二世議員
イギリスでは二世議員はほとんどいない、と聞きました。アメリカ
や日本では二世議員はめずらしくありません。二世議員の長所や短
所が知りたっかたのです。

・三権分立
三権分立が、司法、行政、立法の牽制と均衡らしいということはわ
かるのですが、日本の政治制度を見ると、立法と行政のさかいが
はっきりわからないのです。どちらも議員が担っているように見え
ます。

・WTOとセーフガード
セーフガードはWTOで認められているのですね。ところで、中国は
WTOに加盟していないですよね。質問を変えてもよろしいでしょうか
。中国との約束ではセーフガードはどうなっているのでしょうか。

・議会内言論の議会外無責任の大原則
日本における間接民主政の実現の方法のひとつは
1.候補者が公約を表明する
2.選挙により、議員を選出する
3.選ばれた議員が公約を実現するように努力する
ですが、この3をおこなっているところが議会です。
議会での自由討議がなくなると議会政治はうまく機能しない。
(小室直樹 悪の民主主義より要約)
自由討議を保証するために、議会内言論の議会外無責任の大原則が
ある。(同 より要約)ところで、最近のマスコミの報道は、外相
をやめさせようと圧力をかけているように見えます。
これは議会内言論の議会外無責任の大原則に反するものなのでしょ
うか。それとも報道の自由なのでしょうか。

ロレンス
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(Tのコメント)
読者の皆さんの意見、御願いします。


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