得丸さんに質問します。 いつも楽しく拝見させて頂いています。 憲法の成立が日本人によって為されたのではなく、アメリカによっ て為されたという事情は理解できます。しかし、日本人の自主憲法 が成立したとして、一体どのような国になったのでしょうか。それ から明治維新によって否定された日本的なるものが、敗戦によって 再度否定された。と言われておりますが、日本的なものとは一体ど ういった定義なのでしょうか?戦後民主主義という名前の思想運動 は、日本的なものを否定し、アメリカから押し付けられた憲法体制 を、盲目的かつ後生大事に守り続けてきた。と言われておりますが 、本当に私たちは、守り続けていると思われるのでしょうか? 少なくとも、大事に守っているわけではないと思いますが。アメリ カが勝手に作りやがってと言って、むしろ、いい加減に扱ってはい ないでしょうか?それから、日本が第2次大戦に負けたことは事実 ですが、勝った方が良かったのでしょうか?私は過去の軍国主義が 世界を席巻したとしたら、きっとこうしたMLすら検閲の対象となっ て、自由に論議することすらできずに私たちの言いたいことすら、 言えない状況が続いたほうが本当の意味で良くなかったのではない かと感じます。 らいりーより ============================== らいりーさん、 具体的で私の論旨に沿ったご質問をいただきありがとうございます。 自分の良心の及ぶ範囲で質問にお答えいたします。 > しかし、日本人の自主憲法が成立したとして、一体どのような > 国になったのでしょうか。 松本案のことですか、自主憲法といっておられるのは。日本人にと って憲法というものは、そもそも不磨の大典で、少しも血肉化して いない概念ですから、何もよくはならなかったでしょう。ただ今み たいに悪くはならなかったかもしれませんね。 3発目の原爆が欲しいのかといわれて、押しつけられたという記憶 は、国民の中に植民地人の意識を植え付けたんですね。去勢、金玉 を抜かれたといえばいいでしょうか。 大日本帝国憲法の文体には、まだ日本語としての自主性が感じられ ますが、日本国憲法は日本語の美しさもない不自然な翻訳調です。 これが日本人の自信や自意識を押しつぶし、ガタガタにし、ふにゃ ふにゃな腑抜けにした効果をもったといえないでしょうか。 > それから明治維新によって否定された日本的なるものが、 > 敗戦によって再度否定された。と言われておりますが、日本的な >ものとは一体どういった定義なのでしょうか? いますぐ思い浮かぶのは、こんなものです。 1 武道の実践、武道の精神 2 寺子屋的大衆教育、 3 論語や孟子などの朱子学 4 神社を中心とした地域共同体、 5 町内会的共同体意識 6 親や目上を尊敬する心 > 戦後民主主義という名前の思想運動は、日本的なものを > 否定し、アメリカから押し付けられた憲法体制を、盲目的かつ >後生大事に守り続けてきた。と言われておりますが、本当に私た >ちは、守り続けていると思われるのでしょうか? >少なくとも、大事に守っているわけではないと思いますが。アメ >リカが勝手に作りやがってと言って、むしろ、いい加減に扱って >はいないでしょうか? 戦後民主主義は、思想運動とは呼べません。何も考えていませんから。 さまざまなレッテルを貼って、危ないものをアレルギー的に排除す るだけの条件反射的な反応です。どこにも思想性はありません。戦 後民主主義には、意識の深まりが感じられないのです。単なるナイ ーブな感受性だけで、意識が構築されるという契機がないのです。 意識的に憲法体制を守ってはいないというのは正しい指摘です。 日本人は、ものごとを真剣に考える伝統を失いましたので、憲法と いってもそれを逐条的に身体化する努力を怠ってきました。 かつての論語や孟子や小学の教育は、言葉を身体化・血肉化する、 意識の一部にとりこむことを目指していましたが、敗戦後は何も信 じないようになった。 ただ、アメリカににらまれることは恐いので、指一本触れないよう にしてきたと思いませんか。閣僚の靖国参拝や、さまざまな憲法関 連のタブーの存在は、否定できないと思います。 いい加減に扱っているかもしれませんが、憲法体制が日本人のトラ ウマとして今も機能していることは確かなことだと思います。 (ちなみに、最近の大リーグでの日本人野球選手の活躍に対する フィーバーぶりは、かつてのシャープ兄弟対力道山を彷彿とさせま す。日本人がいかにアメリカに対するコンプレックスを持ちつづけ ているかの証明ですね。) > それから、 > 日本が第2次大戦に負けたことは事実ですが、勝った方が良かっ >たのでしょうか?私は過去の軍国主義が世界を席巻したとしたら、 >きっとこうしたMLすら検閲の対象となって、自由に論議することす >らできずに私たちの言いたいことすら、言えない状況が続いたほう >が本当の意味で良くなかったのではないかと感じます。 > 戦いですから、勝てるものなら勝ったほうがいいに決まっています。 しかし勝つ見こみはなかった。でもだからといって、負けてよかっ たといえるでしょういか。 日本は負けるべくして戦争にひきづりこまれた。だから、もっとき ちんと敗北したことを自覚するべきだった。何が起きたのか理解し ないまま、占領政府のいいなりに、何も考えずに50年やってきた ことが問題だと思うのです。 MLが検閲の対象になっていないとは思いません。多分だれかが検閲 しているでしょう。今放任されているのは、まだ危険ではないから です。 ただ現実には国際戦略BBSの議論を見てもおわかりのように「自由 な」議論は、むしろ混乱を産んでいます。みんな好き勝手なことを しゃべっているだけでけっして収束しない。 収束しないかぎりは放任しているのでしょう。意見が収束を始めた ら、きっと何かが始まることと思います。 得丸久文(2001.05.22) ============================== 得丸さんへ 私が尋ねたかったのは、血肉化していない概念を得丸さんに聞き たかったので、サピオ等で語られているような今の憲法についての 上げ足取りを聞きたいのではありません。この日本をどのようにし たいのかを申し上げているのです。それから、今の憲法がすべて悪 いというような言説についてですが、具体的な箇所を提示してもう 少し分り易く教えてはいただけないでしょうか?文体が等々との曖 昧な精神論で片付けていただきたいとは思いません。 > > それから明治維新によって否定された日本的なるものが、 > > 敗戦によって再度否定された。と言われておりますが、日本的 >>なものとは一体どういった定義なのでしょうか? > > いますぐ思い浮かぶのは、こんなものです。 > 1 武道の実践、武道の精神 > 2 寺子屋的大衆教育、 > 3 論語や孟子などの朱子学 > 4 神社を中心とした地域共同体、 > 5 町内会的共同体意識 > 6 親や目上を尊敬する心 以上についても漠然として、良く分りませんので教えて下さい。 > > 戦後民主主義という名前の思想運動は、日本的なものを > > 否定し、アメリカから押し付けられた憲法体制を、盲目的かつ >>後生大事に守り続けてきた。と言われておりますが、本当に私た >>ちは、守り続けていると思われるのでしょうか?少なくとも、 >>大事に守っているわけではないと思いますが。アメリカが勝手に > > 作りやがってと言って、むしろ、いい加減に扱ってはいないで >>しょうか? > > 戦後民主主義は、思想運動とは呼べません。何も考えていません >から。 > さまざまなレッテルを貼って、危ないものをアレルギー的に排除 >するだけの条件反射的な反応です。どこにも思想性はありません。 >戦後民主主義には、意識の深まりが感じられないのです。契機が >ないのです。 > >意識的に憲法体制を守ってはいないというのは正しい指摘です。 >日本人は、ものごとを真剣に考える伝統を失いましたので、憲法 >といってもそれを逐条的に身体化する努力を怠ってきました。 > かつての論語や孟子や小学の教育は、言葉を身体化・血肉化する >、意識の一部にとりこむことを目指していましたが、敗戦後は何 >も信じないようになった。 戦後の日本人は敗戦後、今の憲法さえ信じようともせず、嘘ばかり ついてあたりさわりのない言葉で濁してきたというのは日本人のそ のものの欠点ではないでしょうか。 ですから、現憲法を身体化・血肉化することをせずに、合わないか らやめようというの調子良すぎはしないかと私は考えます。このよ うな国民性ですから、得丸さんがお考えになっているビジョン(私 には具体的にはよくわかりませんが。)をもとにした自主憲法が、 果たして日本国民にとって身体化・血肉化するかどうかは疑わしい のではないでしょうか。むしろ、物事を真剣に考えずに、強く言説 を主張する人々の圧力に対してなんら意見も持たず、反論すること もせずに従っていくような図式が目に浮かび恐ろしささえ感じます。 私は憲法の運用、改正云々ではないような気がしています。それは 日本人の精神性の問題だとはっきり申し上げます。どのような良い 法律が作られようとそれを用いる人間の人間性によって歪められて しまうのではないでしょうか?このことについては、日本人を問わ ず、全人間的に言えることですが。 > ただ、アメリカににらまれることは恐いので、指一本触れないよ >うにしてきたと思いませんか。閣僚の靖国参拝や、さまざまな憲法 >関連のタブーの存在は、否定できないと思います。 日本人の悪い習癖、弱さがそういうところに現れていると思います。 > (ちなみに、最近の大リーグでの日本人野球選手の活躍に対する >フィーバーぶりは、かつてのシャープ兄弟対力道山を彷彿とさせま >す。日本人がいかにアメリカに対するコンプレックスを持ちつづけ >ているかの証明ですね。) それは飛躍し過ぎではないでしょうか?日本人のコンプレックスで はなく、世界で活躍している日本人対する期待と憧れと自己実現の 延長であるように思うのですが。 > >>それから、日本が第2次大戦に負けたことは事実ですが、勝った方 >>が良かったのでしょうか?私は過去の軍国主義が世界を席巻した >>としたら、きっとこうしたMLすら検閲の対象となって、自由に論 >>議することすらできずに私たちの言いたいことすら、言えない状況 >>が続いたほうが本当の意味で良くなかったのではないかと感じます。 > >戦いですから、勝てるものなら勝ったほうがいいに決まっています。 >しかし勝つ見こみはなかった。でもだからといって、負けてよかっ >たといえるでしょういか。 日本人の兵士の約三分の一が餓死に放り込まれ、沖縄戦では20万 者民間人が殺され、原爆では、たしか、20万にもの人々が爆死し 、日本全国では100万単位の人々が死にました。その責任はアメ リカ側にもあるかもしれません。しかし、引きずり込まれというの はいかがなものでしょうか?富国強兵で大東亜戦争に導いたのは、 誰だったのでしょうか?世界の謀略で大東亜戦争に導かれたのです か?朝鮮併合にあたっては、併合されたのは朝鮮人のせいなのです か?中国2000万人の戦死者はこれも中国人が悪かったせいなの でしょうか? >日本は負けるべくして戦争にひきづりこまれた。だから、もっと >きちんと敗北したことを自覚するべきだった。何が起きたのか理解 >しないまま、占領政府のいいなりに、何も考えずに50年やって >きたことが問題だと思うのです。 自覚すべきは、やられた相手の悪い部分をあげつらうことではなく 、自分たちが何をしたのかを自覚すべきではないかと思うのです。 それから、戦後日本人は何も考えずにやってきたのではないと思い ます。戦後の荒廃を立ち上がらせようとして輸出立国としての地歩 を固めてきたではありませんか?その結果としての繁栄を私たちは 享受しているではないでしょうか?ただ言えることは今も昔も富を 第一とした歩みであることにかわりないと思うのです。つまり、 戦前も戦後もお金の獲得がその目的でありました。 何も考えないというよりは、むしろ、目的が間違っていたのではな いかと思います。 らいり ============================== はじめまして、らいりーさん。 得丸さん、横から口を挟んですみません。 1 武道の実践、武道の精神 については僕も意見がありますので、どうぞ当方のHPなりご参照 ください。 > 以上についても漠然として、良く分りませんので教えて下さい。 このようなメールのやり取りで教えられるようなものでもないと思 いますよ。通信上で少ない言葉でわかり合えるには双方のレベルが 接近している必要があると思います。 双方のレベルなり歴史認識なり価値観なりが大きく離れていた場合 、膨大な時間と労力が要るでしょう。 1から6まで何もかもと言うほうが漠然とした質問だと思います。 質問をするほうがもっと的を絞って、相手が答えやすいようにする のが礼儀と思いますし、ROMをしている者にとってもわかりやすい です。 > 富国強兵で大東亜戦争に導いたのは、誰だったのでしょうか? 誰だったと思いますか? >世界の謀略で大東亜戦争に導かれたのですか? 謀略はなかったのですか? >朝鮮併合にあたって は、併合されたのは朝鮮人のせいなのですか? 朝鮮側に非はありませんでしたか? >中国2000万人の戦死者はこれも中国人が悪かったせいなのでし >ょうか? 誰が2000万人も戦死させたのですか? こういうことはいまだ歴史的に決着を見ておりません。 また決着などというものがつくわけもない。 双方には双方の言い分があり、そのどちらもが双方にとっては正し い選択だったからでしょう。 > 自覚すべきは、やられた相手の悪い部分をあげつらうことではな >く、自分たちが何を したのかを自覚すべきではないかと思うのです。 そうですよ。自分たちが何をしたのかを正確に知ることが大切です。 と同時にどうしてしてしまったのかの原因を追求すること、してい ないことはちゃんとしていないと主張することが大切ですね。 >それから、戦後日本人は何も考えずにやってきたのではないと思い >ます。戦後の荒廃を立ち上がらせようとして輸出立国としての地歩 >を固めてきたではありませんか? >その結果としての繁栄を私たちは享受しているではないでしょうか? さあ、これもあなたと見解を異にする人はいくらでもいるでしょう。 何も考えずにというか、考えられないようにされてきたと言えるかも 知れませんしね。 そのために何が何でも金、金、の経済中心の国家が出来てしまったと 言えるかも知れません。 >ただ言えることは今も昔も富を第一とした歩みであることにかわり >ないと思うのです。つまり、戦前も戦後もお金の獲得がその目的で >ありました。 富を第一とした歩み? はて、富などを第一とするようになったのは、戦後日本が経済成長 することによって生まれた価値観であり、その前の世界にそんな価 値観はありませんでしたよ。 それまでは軍国主義・植民地主義が世界の価値観だったはずですが。 軍国主義や植民地主義が必ずしも富を目的として行われたいたわけ ではないでしょう? 特に日本の植民地経営は金儲けにはならなかったはずですが。 > 何も考えないというよりは、むしろ、目的が間違っていたのでは >ないかと思います。 あなたも何も考えられないようにされてきた一人なのかも知れませ んよ。 むすぶ会 元 龍貴 http://www5.ocn.ne.jp/~aikijuku/musubukai-top.htm ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 得丸です。 > 血肉化していない概念を得丸さんに聞きたかったので、サピオ等 >で語られているような今の憲法についての上げ足取りを聞きたい >のではありません。 すみませんが、私の書いたことと、サピオで語られていることが、 同じに見えますか? 「揚げ足とり」という言葉の意味がよくわかりませんが、私は本質 のみを語っているつもりです。 「血肉化していない概念」とは何ですか。 議論を噛み合わせるために、もう少しお互いにすり寄る必要がある ようですね。 初めてテレビゲームをするときに、すぐに思い通りにあそべませんね。 何回も何回もためして、やっと自分で仕組みがわかりますね。 憲法も同じです。100ある条文をひとつひとつ読み、自分の言葉で 説明し、自分がその条文とどのような関係にあるのかを確かめてみ てください。そのような作業を通過していただかないと、話がかみあ わないのではないかと思います。 あるいは、中川剛「憲法を読む」、「日本人の法感覚」ともに講談社 現代新書絶版ですので、図書館で探してきちんと読んでみてください。 この本は戦後日本のひとつの「禁書」でした。それだけのパワーと 情熱をもつ本です。 ============================== 得丸様へ > 議論を噛み合わせるために、もう少しお互いにすり寄る必要があ >るようですね。 > > 初めてテレビゲームをするときに、すぐに思い通りにあそべませんね。 > 何回も何回もためして、やっと自分で仕組みがわかりますね。 > 憲法も同じです。100ある条文をひとつひとつ読み、自分の言葉で > 説明し、自分がその条文とどのような関係にあるのかを確かめてみ > てください。そのような作業を通過していただかないと、話がかみあ > わないのではないかと思います。 > > あるいは、中川剛「憲法を読む」、「日本人の法感覚」ともに講談 >社現代新書絶版ですので、図書館で探してきちんと読んでみてくだ >さい。 > この本は戦後日本のひとつの「禁書」でした。それだけのパワーと >情熱をもつ本です。 腹の立つような内容でいつも申し訳ありません。腹の立つ内容なが ら、お答え下さり感謝いたします。 さて、推薦して下さった本を早速手に入れて読んでみたいと思います 。また、刺激のあるメッセージを期待してます。その度にご質問し たいと思いますので、これからもよろしくお願いします。 高木より ============================== 高木様、 中川剛さんの本、ぜひお読みください。戦後の憲法学者がことご とく嘘をついていたときに、孤軍奮闘して、自分の良心に従って書 いた本です。 あの2冊は、憲法学会からは黙殺あるいは否定されましたが、彼が 命がけで書いた本です。あの本を読むことが、故人の追悼になると 思います。 −1− 憲法を考えるときに、概念(知識、言葉)としての法律と実存(意識) としての法を分けて考えるべきでしょう。 たとえば、誰かが自宅に土足であがりこんできたら、相手が誰であ ろうとも、「ちょっと、くつくらい脱いでください」と叱るでしょ う。あるいは、本の上に足を置かないというのも、けっこう日本人 なら共通にもっている意識(法)ではないでしょうか。だから、 日本では他人の家にいっても、土足で上がりこむ人はいないはずで す。 ところが、自宅に土足で入っても平気な人は日本の外にはたくさん います。本の上に足をおいても平気な人もいっぱいいます。 これらの「法」は、書いたものではありませんが、私たちの意識の 上に常駐しており、私たちの行動を規定する法です。意識は実存で す。 これらの法は、私たちが覚醒している限り、機能しつづけます。 ところが、書いた法律というものがあります。憲法だけに限りませ んが。 憲法の各条文は、いったいわたしたちの意識とどう結びつくのかを みんなもっと真剣に考えるべきです。 法意識に結びついていない法律とはいったい何なのかも考えてみる べきです。 少しずつ、手探りで、「憲法とは何か」、「何のために憲法はある のか」を明かにすべきでしょう。 −2− 私の結論を先にいうと、明治憲法は、条約改正をよりやりやすくす るための道具程度の意味しかなかったのではないかと思っています。 神棚に飾った不磨の大典として50年以上も改正されませんでした。 日本国憲法も、アメリカの気持ちを鎮めるために受け入れたのでし ょうが、敗戦の記憶が表面上は薄れてしまって、はじめて「いった いこの憲法はどうしてこんなふうになっているのだろうか」という 疑問を持ち始めた人がいるのでしょう。 で、彼らは性急に、「9条が現実と違うから改正しなくては」と言 っているわけですね。でも、実はほかにもおかしいところがいっぱ いあるのです。 どうしてそれに気付かないかと言うと、憲法は神棚に飾るものだと いう明治以来の伝統があるからです。 僕は、短期的には、憲法改正は不要だと思います。その前に、戦争 に破れて失ったものを思い起こす作業を国民的にやってみてはいか がでしょう。 むすぶ会の元さんのHPもちょっと覗いてみましたが、戦後日本人が 心を失ったことに対する、心の取り戻しを考えておられるのでしょ うか。 まだ間に合う。80代以上の人間が死に絶えてしまう前に、戦前の 日本に残っていた美風や規律を、当時を知る人たちから聞いて、 21世紀の私たちが生きていく上で指針にするのです。 それと敗戦の重みを、日本人としてきちんと受けとめなくてはなり ません。戦争に負けて、食べていくだけでよしとした戦後のどさく さの時代のままに、日本人は生きています。これを改めなければな りません。 21世紀の地球に生きていく上で、美しい存在になる、美しい生き 方をする。それをまず第一に目指すべきではないでしょうか。憲法 改正はその後の作業です。(2001.05.23)