542−2.再び稲作農業蘇生への私案(2)



[再び 稲作農業蘇生への私案と、社会工学-文系的技術] ken

Ken→→ 科学肥料や農薬を無限に投入して反当収穫を増やし、それ
で、他の工業生産品と同じように、量産化で農業経営を成り立たせ
ようとしたところ根本的な誤謬があったのではないか。
ボクはここで方向を変えて、日本の稲作農業から「量産による生産
性向上」という現代的資本産業図式を真向から変更してしまったら
…

F氏説→→ 農業の自由化を進めて、都市生活者も農業が簡単にで
きるようにするべきである。そうすれば、そこで、いろいろなアイ
デアが出てくる。これから、遺伝子改造などの高度な技術も適用さ
れるため、農業の企業化も必要になるでしょうね。恐らく。しかし
農産物のセーフガードは必要であると思うが、市場経済化は進める
べきである…・。
 
T氏説→→ 理系の技術と文系的な分野である社会的な技術がある。
・・日本経済の低迷でも有効な対処案が出てこないというように社
会的な技術は停滞している。・・これからは、知識工学や金融工学
などと共に、要素技術の異分野への活用とか、要素技術の組み合せ
などと、需要の有りかを明確化して、進むしかないようだ。この新
分野への開拓がなく、コスト競争に陥り、デフレが蔓延している・
・・ 

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ken→→ 多収穫技術に偏った稲作技術の進歩とはうらはらに、わ
が国の稲作農企業の零細化は極限にまで進んでしまった。  
素人のボクの試算(誤差が多いのはデータ不足による)では、

自給農家(自家消費only)77万戸 x 0.5トン(戸当り@20a) = 385,000t
1兼農家(農収>他収) 37万戸 x 5トン(戸当り@100a) =1,850,000t
2兼農家(農収<他収) 165万戸 x 2.5トン(戸当り@50a) =4,120,000t
専業農家        32万戸 x 10トン(戸当り@200a) =3,200,000t

つまり毎年収穫1000万トン弱のうち、専業農家の生産は三分の一
に過ぎず、消費する米の大部分はいわゆる「片手間農業」か「3ちゃ
ん農業」に依存してい、この傾向はさらに、急激に進むだろう。

■■水稲農地をいくら「交換分合・圃場整備」しても、段丘利用の
天然水利農地は機械化に適合する農規模に造りかえられず、八郎潟
干拓地などに代表される準アメリカ型稲作はむしろ異例に属する。

■■それによって生計を立て得ない非・兼業農家の水稲栽培に生産
競争原理を説いてもピンと来ないし、天然水利に依存する里山的農
地に農企業の大型化を唱えても、どだい無理というものだ。 

水稲栽培をマクロで見て、自家用野菜栽培と同じく、細々とした「
自家用主食生産」である現実を直視し、それに治水、景観保持とい
う国民的役割を兼ねたもの、と位置付けるのが正当である。

■■もちろん、大型専業農家たらんとする農業法人の、米作参入は
私企業の自由であり、いままでのような政府規制を加える必要はな
いが、それとて超広大な農地を所有し、反当800キロを目指す
中国やアメリカの大型農家との競合に勝つ見込みは殆ど無い。

■■それよりも当面の問題は、
1)毎年の米あまり100万トン現象をいつまで続けるか、
2)水耕農地の30%にも達し、荒れるままの休耕農地をどうするか、
3)国の治水と景観保持政策に、休耕農地をどう絡ませるか、
4)押し寄せるであろう輸入米をどう防遏するか、

である。  政府はいまのところ無策に近い。    

■■そこでボクの案は、最近クローズアップされている、過剰労働
力吸収の一案としてのオランダ式ワーク・シェアリング方式と同じ
考え方を、わが国の米作に取り入れよう、というのである。

■■潜在労働力に比して労働力需要が少ないから失業率が高い。 
在職者の労働時間を短縮し、それで造出し得た労働需要を失業者に
(パートタイム・アルバイトなどで)分け与え、失業率を下げよう
、というのがワーク・シェアリングの考え方だ。

いま100万ヘクタールにも達している強制休耕地を失業者に見立
て、それを働かせる、つまりもう一度水稲栽培農地に組み入れる代
わりに、いま水稲栽培中の田圃からの米収穫をその100万ヘクタ
ール分だけ減らそう、という案である。

つまり、反当(10アール)450キロの平均収穫を350キロに減
らしさえすれば、休耕地を無くしても合計収穫は前年と同じになる
のだから、在職者にも似た現耕作中水田300万ヘクタールの生産
量(つまり労働時間)を減らして、100万ヘクタール復元農地の
生産に割当てれば生産総量は同じになる。

■■それを実行すると、荒れるままの休耕地は無くなり、治水・
景観保持に端的に寄与し、農家農民の潜在意識としての「先祖から
の農地を、荒れるままにほったらかす後ろめたさ」を消すのに効果
があり、「労働倫理」の向上にも寄与するはずである。

■■どのような方法で平均収穫を減らすかについては前回述べたよ
うに、無農薬・有機肥料米の生産に転換すれば、自ずから10アー
ル当り平均100−150キロの減収になり、それによって殆どの
国民が健康志向の優良米を食べ、保健面でもまことに結構なことだ。

■■無農薬有機米が常食という国民的習慣が出きれば、少々安い輸
入米が入り込んできても、見合うべき国内需要が無いのだから、ウ
ルガイラウンドによる輸入自由化などは恐くない。

■■無農薬有機米の生産は、自給農家、兼業農家など、近代産業と
して一本立ちし得ない農家(既記の通り、わが国ではコレが過半)
にまことに適切な栽培品種であって、新たに米作に進出しようとす
る大規模農業法人に不向きなことは言うまでもない。

■■問題は兼業農家や、小規模専業農家による有機米生産の、生産
性の低さに起因する生産コスト高である。 

本来が市場原理に委ねるべき米価だから、「農業への国家補助は止
めろ」というF氏のお説はもっともながら、こと米作に関しては「市
場原理」だけで突っぱねるわけにはいかぬ。

■■国家の基幹ともいえる主食供給の大部分を、現実には兼業農家
と名づけられた、私企業ともいえず、そして産業とも言い難い集団
に依存し、しかもその人たちが傍ら国家の大事業である治水や景観
保持をも担当しているのだから、謝礼としての農家補給金もやむを
得ない。

■■兼業農家はかっての大戦における下級兵士の主たる供給源、た
とえばボクの生家の集落58戸で27人の戦死者を出した。
先般の阪神大震災でも臨時帰郷者の受入が多く、困ったとき故郷の
農家へ帰るというパターンはいまなお続いている。

■■たしかに自民党体質からして農村援助は多額、不用の箱物建設
も目に余る。しかしなお都会と農村の生活格差は大きく、たとえば
JRローカル線に乗れば、ツギの当った車両シートさえ普通である。

都市の基盤整備が喧しいが、その原因の一つに、いまなお続く農村
から都市への人口流入の激しさがあり、それはつまり都市・農村間
の生活格差が現存する証拠である。

農村を増長させるばかりだからといっていちがいに農家援助を止め
るべきではない、彼らが弱者であることは蓋えぬ事実なのだ。

■■兼業農家の稲作を「市場原理」の名のモとにアメリカや中国の
米作と競合させれば、1兼農家(農収>他収)が2兼農家(農収<
他収)に、2兼農家が自給農家に転落する、そのスピードを急速に
速めるだけのことになる。 

そうでなくても現実に若き次世代が労働のキツイ農業を嫌い、いま
や小作のための借地料がタダ同然の地方も多く、このまま進めばご
く近い将来に農家戸数のドラスティクな減少による国産飯米不足は
目に見えているのだ。

■■そのときに大型営農法人が放擲農地を借り入れて大規模水稲栽
培を企てても、段丘里山の水田は機械化営農に面積が不適。
また、農地価格が桁違いに高い日本の農業がアメリカや中国と生産
コストで対抗するのは至難のわざである。

商社資本などが水稲栽培企業に進出を目論んでも、こと国内の治水
を兼ね、河川水の自然流下を利用した伝統的水稲栽培に関するかぎ
り論外、遺憾ながら零細集約農業のみに頼らざるを得ない。

とすれば、補助を出しても兼業農家を温存、育成するのが国家百年
の方策だろう。

■■そのためには休耕田を取り返し、反当平均収穫量を減らし、現
農家を温存し、新たな帰農者を育成しなければならない。

■■いたずらに反当多収穫を希求した農業技術の時代は過ぎた。
労働界のワーク・シェアリングにも似た「反当収穫縮小」技術を開
発し、全べての農地を使って必要量だけの米を自給する方法を考え
るべきときが来た。
理系的技術による「多収穫」に対峙する、「小収穫(?)」技術、
これこそT氏の説く「文系的技術ー要素技術」ではなかろうか。
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(Fのコメント)
いつも、いつも、kenさんの論はシャープだ。すごい。資本主義の
問題点が明確化している。基本的な論点は同意しているが、すこし
Kenさんの論に足しておきたい。

魚沼のコシヒカリと同等なおいしい無農薬米が作れれば、中国のジ
ャポニカや米国のカリフォルニア米が輸入されても、おいしい米は
高く売買されると思う。日本製サクランボが米国製サクランボに勝
ったようなことが起こると思う。しかし、低価格の米国サクランボ
も一定量は日本に入っている。

もう1つ、米作不適格地の米をずーと国家が買い付けるのかという
問題もある。国家保障があると、他の適格な作物に転換しないで、
楽な農業経営をしてしまうことになる。このような誘引になる国家
保護は止めるべきだ。転作奨励金を出してでも、その土地の適作物
に転換させるべきである。米の自由市場を作り、そこでの取引を優
先させて、国家の一律保護はしないことだ。現に自由市場はできて
いるのですからその拡充をするべきである。

都市と農村を別次元で考えないで、低所得者に対する保護や緑化活
動補助金というような制度にする必要があると思う。フリーターな
どの都市生活者でも、年収150万円以下のギリギリの生活者が
今後、大幅に増加するからです。今までのような都市が豊かで農村
が貧乏ということはなくなりますから。

今でも、専業農家の人と話すと、兼業農家の土地を買って、農地拡
大をしたいと言っている。この専業農家の人たちは、年収500万
円以上の人もいるようですので、大多数の都市生活者より裕福です
よ。兼業農家の人が問題なのです。この人たちは土曜日曜日に片手
間で農業をしている。それより、定年退職した都市生活者の人たち
が、専業で農業をやったほうがいいではないのでしょうか??基礎
年金があり、それほどには収入がなくてもいい。第2の人生で農業
をするという人生ストーリーがあってもいいと思いますが??

しかし、この定年退職元都市生活者には、取れた農産物を市場に、
売ることができないのですよ。このため、この国ではこのストーリ
ーを許していない。そして、退職者は海外に行って、農業をしろと
いうようだ。まったく、都市生活者を愚弄している。この国家は都
市国民の保護をしていないように感じる。都市から税金を毟り取り
農村でそのほとんどを投下し、かつ税金を取れなくなった都市国民
は、自国の農家ができずに、外国に破民するのですから、どうかし
ている。そして、地方でも都市生活者が増加して千葉県、秋田県、
長野県で造反が起こるのです。都市生活者を政治は無視できない
ところまで来ているのです。

このような不平等な国民権利のあり方はないと思いますよ。そこに
言及されていないのは片手落ちのような気がしますが。そして、
これは国民平等を定めた憲法に違反している可能性もあると思うが。


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