539.ジュネーブ事情



国連欧州本部のあるジュネーブに来た。この街を見る。  Tより
国連の公用語は、英語・フランス語・ロシア語・中国語・スペイン語
アラビア語などで、ドイツ語・日本語は公用語ではない。しかし、
スイスの観光地に行くと、ドイツ語と日本語は必ずあるので心配なく。
そして、スイスは、国連に加盟していないが、国連に協力している。
しかし、その対価として、毎年30億ドルの収入があるのですから
、いいですよね。この金でジュネーブの町は塵1つない綺麗な街に
しているのでしょうね。市の清掃局は朝3:00から清掃を開始す
る。スイス人は生真面目な性格で、ゴミ1つない状態まで清掃する
ようだ。勿論、家の中も非常に綺麗。スイスは、1814年3州か
ら始まり、どんどん加盟して、今は26州からなっている。言語は
フランス語・ドイツ語・イタリア語と1割のロマンシュ語で構成さ
れている。

ここも、バカンス時期はほとんど仕事をしない国民で、7・8月は
結婚も離婚も少ない。どうしてか、市役所や弁護士がいないため、
手続きができない。

ジュネーブは、3方をフランスに囲まれたレマン湖の辺にある町。
昔、ローマとパリを結ぶローマ街道があり、そこを行く人たちから
交通税を取って栄えた町だそうだ。人口は15万人程度。
この街に1200名の日本人が住んでいる。そして、国連機関があ
るため、50%が外国人で占められている。ここの旧市街は道が狭
く、道が石畳でできれいるため、味わい深い。しかし、一部の地域
で、歩いても10分以内の部分しかない。町全体も散策できるほど
小さい。

スイスの銀行の金利は1%程度であるが、諸外国の要人の資金が流
れ込んで来る。そして、ローザンヌやモントレーなどには海外の要
人の別荘、別宅が多い。オードリー・ヘップバーンも晩年40年間
トロシェナ村に住んでいた。ここにある墓地にも仕事の合間に行っ
てきた。スイスはまた、国防に力を入れていることでも、有名で、
ミラージュ戦闘機の滑走路を山をくり貫いて作り、他国軍の侵入を
防ぐことができるし、国民全員は徴兵制で、軍を経験する。男性だ
けの軍組織であったが、女性からの裁判により、今は女性も軍務が
できるようだ。それと、国民全員の名簿が山に保管されていて、
原子爆弾を投下されても、全員の身元を割り出すことができるよう
にしてある。軍組織が強大である永世中立国であるため、ナチ・ド
イツもスイスに侵入しなかったのですから、スイスのような永世
中立国を目指すという方は、軍組織の増大の覚悟が必要ですね。

スイスは、国民の直接投票で何でも決める国で、このためEU加盟
も否決、ユーロも否決されている。月曜日に店を開けるかどうかも
80年代に国民投票になり、午後2時からならいいとなって、やっ
と月曜日に店が開けられるようになったのです。日曜日は終日、土
曜日もほとんど開いていない。買い物が出来にくい町ですね。普段
の日でも6:30で閉店ですから。それ以降は駅の売店しか開いて
いない。レストランは、夜7時以降にしか開店しない。

昔は、スイスというとスイス雇用兵として、諸外国に出稼ぎに行っ
ていたのが、今では周辺諸国から17万人も出稼ぎにくる国になっ
ている。これは、観光とスイス精密機械産業とスイス銀行の功績が
大きいのでしょうが、欧州の中で80年以上戦争をしていないこと
が大きいように感じる。外国の退避資金を掻き集めたことにより、
そして、金利を低レベルにしていることが大きく寄与しているので
しょうね。

ジュネーブ近郊フランスサイドは、精密機械工業の集積地で、その
1社に行った。ここの工業にはカンバン方式の表札や、QCサーク
ル活動があり、非常な成果を得ているとのことである。このQCサ
ークル活動を80年代に導入したとのこと。5SとかABC分析の
図が職場ブロック毎にあった。この部分も世界に対する日本の貢献
だと思うが、日本の優位が製造分野で無くしたことになっている。
次の優位分野を日本は作るしかないのでしょうね。


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