国連欧州本部のあるジュネーブに来た。この街を見る。 Tより 国連の公用語は、英語・フランス語・ロシア語・中国語・スペイン語 アラビア語などで、ドイツ語・日本語は公用語ではない。しかし、 スイスの観光地に行くと、ドイツ語と日本語は必ずあるので心配なく。 そして、スイスは、国連に加盟していないが、国連に協力している。 しかし、その対価として、毎年30億ドルの収入があるのですから 、いいですよね。この金でジュネーブの町は塵1つない綺麗な街に しているのでしょうね。市の清掃局は朝3:00から清掃を開始す る。スイス人は生真面目な性格で、ゴミ1つない状態まで清掃する ようだ。勿論、家の中も非常に綺麗。スイスは、1814年3州か ら始まり、どんどん加盟して、今は26州からなっている。言語は フランス語・ドイツ語・イタリア語と1割のロマンシュ語で構成さ れている。 ここも、バカンス時期はほとんど仕事をしない国民で、7・8月は 結婚も離婚も少ない。どうしてか、市役所や弁護士がいないため、 手続きができない。 ジュネーブは、3方をフランスに囲まれたレマン湖の辺にある町。 昔、ローマとパリを結ぶローマ街道があり、そこを行く人たちから 交通税を取って栄えた町だそうだ。人口は15万人程度。 この街に1200名の日本人が住んでいる。そして、国連機関があ るため、50%が外国人で占められている。ここの旧市街は道が狭 く、道が石畳でできれいるため、味わい深い。しかし、一部の地域 で、歩いても10分以内の部分しかない。町全体も散策できるほど 小さい。 スイスの銀行の金利は1%程度であるが、諸外国の要人の資金が流 れ込んで来る。そして、ローザンヌやモントレーなどには海外の要 人の別荘、別宅が多い。オードリー・ヘップバーンも晩年40年間 トロシェナ村に住んでいた。ここにある墓地にも仕事の合間に行っ てきた。スイスはまた、国防に力を入れていることでも、有名で、 ミラージュ戦闘機の滑走路を山をくり貫いて作り、他国軍の侵入を 防ぐことができるし、国民全員は徴兵制で、軍を経験する。男性だ けの軍組織であったが、女性からの裁判により、今は女性も軍務が できるようだ。それと、国民全員の名簿が山に保管されていて、 原子爆弾を投下されても、全員の身元を割り出すことができるよう にしてある。軍組織が強大である永世中立国であるため、ナチ・ド イツもスイスに侵入しなかったのですから、スイスのような永世 中立国を目指すという方は、軍組織の増大の覚悟が必要ですね。 スイスは、国民の直接投票で何でも決める国で、このためEU加盟 も否決、ユーロも否決されている。月曜日に店を開けるかどうかも 80年代に国民投票になり、午後2時からならいいとなって、やっ と月曜日に店が開けられるようになったのです。日曜日は終日、土 曜日もほとんど開いていない。買い物が出来にくい町ですね。普段 の日でも6:30で閉店ですから。それ以降は駅の売店しか開いて いない。レストランは、夜7時以降にしか開店しない。 昔は、スイスというとスイス雇用兵として、諸外国に出稼ぎに行っ ていたのが、今では周辺諸国から17万人も出稼ぎにくる国になっ ている。これは、観光とスイス精密機械産業とスイス銀行の功績が 大きいのでしょうが、欧州の中で80年以上戦争をしていないこと が大きいように感じる。外国の退避資金を掻き集めたことにより、 そして、金利を低レベルにしていることが大きく寄与しているので しょうね。 ジュネーブ近郊フランスサイドは、精密機械工業の集積地で、その 1社に行った。ここの工業にはカンバン方式の表札や、QCサーク ル活動があり、非常な成果を得ているとのことである。このQCサ ークル活動を80年代に導入したとのこと。5SとかABC分析の 図が職場ブロック毎にあった。この部分も世界に対する日本の貢献 だと思うが、日本の優位が製造分野で無くしたことになっている。 次の優位分野を日本は作るしかないのでしょうね。