525−1.戦後民主主義という自己欺瞞



 日本国憲法改正を議論することは、日本が敗戦したという事実と
向き合うことになる。憲法成立の過程については、たとえば桶谷秀
昭の「昭和精神史 戦後編」を読んでいただくといい。この憲法誕
生の舞台裏を知らずして、憲法改正を説くなかれ。どこにも日本人
の自主性などなかったことがわかる。
 
「この憲法を飲むか、3発目の原爆をお見舞いされたいか」、とい
った脅しが本当にあったのかどうかわからないが、敗戦が日本国憲
法に直結したことは間違いない。
 
 この押し付けられた日本国憲法が、社会との乖離を持ちながら、
50年間存在してこれたのには理由がある。なんと日本人は憲法を神
棚に飾って、それに触れることなく、その中身を知ることなく、そ
の中身を自らの心(意識)の上に反映させることなく、過ごしてい
るのだ。もちろん第九条関係でたまに騒ぐことがあるが、それ以外
のときはつねに神棚に上げて触れないできた。
 
この慣行は、戦後に始まったことではなく、明治時代の大日本帝国
憲法との付き合い方がそうだった。明治憲法は、不平等条約改正の
ために西洋的な外見を国家体制に持たせるために作られた「お飾り
」でしかない。内実は和風の政治運営を行ってきたのだった。
 
 今、憲法改正を行うというのは、これまで神棚に飾っておいたも
のの、ごく一部を現実社会に合わせようとする作業だ。問題は、
第九条だけを現実に合わせて、ほかの条文を現実に合わせなくても
よいのかということだ。
 
 憲法改正を語る人は、第九条やその他の改正すべきとする条文以
外は、すべて受け入れているのだろうか。前文と90いくつの条文に
ついては、改正の必要を感じていないのだろうか。
 
 憲法の条文を、ひとつひとつその意味を確認し、その意味をかみ
しめながら、はじめから終わりまで通して10回声に出して読んでみ
るといい。そうすると、日本国憲法が全体として日本人の法意識と
はかけはなれた法概念・法体系であることに気づくだろう。
 
 日本国憲法を語るということは、日本が戦争に負けたということ
を再確認する作業である。敗戦の心の傷から目をそらし続けて50年
以上の時間が過ぎた。明治維新によって否定された日本的なるもの
が、敗戦によって再度否定された。そのために、我々は日本人がど
のような法意識や行動様式、心をもっていたのかという記憶すら失
ってしまった。
この事実を直視しなければならない。

 戦後民主主義という名前の思想運動は、日本的なものを否定し、
アメリカから押し付けられた憲法体制を、盲目的かつ後生大事に守
り続けてきた。戦争によって受けた心の傷を見ないように見ないよ
うにしながら、50年過ごしてきた。アメリカににらまれないことだ
けを考えてきたのだった。
 
 数年前、作家の大江健三郎氏は、クリントン前米大統領の原爆投
下謝罪は必要ない、と長崎の講演で言った。このコトバを自分なり
に意味づける作業を通じて、私は戦後民主主義の正体を感じ取った。
 
 戦後民主主義という思想は、敗戦とその後の混乱の時代に、命あ
ってのものだねだ、過去は忘れてアメリカのいいなりになろう、何
が正しいかなんて考えないほうがいい、深く根源的に考えることは
危険だ、といった風潮とともに生まれた欺瞞に満ち溢れた思想だっ
たのだ。
 
 この思想があるから、今の日本の政治家も、ジャーナリストも、
財界人も、官僚も、みんな発想が硬直して、事大主義的になってし
まい、正しくものごとを判断できない。
戦後民主主義をすべて否定しない限り、日本はよくならない。敗戦
の心の傷を直視し、それを癒して、乗り越えないかぎり、日本の混
乱は続く。
 
 閉塞した日本の状況をうち破るのは、表面上威勢のいい石原慎太
郎さんのような政治家ではなく、ロマンを捨てずひたすら現場と住
人の意見に耳を傾ける田中康夫さんのような政治家だろう。戦後民
主主義の否定は、国民の生活感覚に基盤をおいてしか行いえないか
らだ。

得丸久文


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