524.文明位相の違う日本とシナ・コリア



                                                    Mond
 日本文明とシナ・コリア文明との違いについて述べる。
 日本文明は中国古典古代文明を親文明とする現存する文明であり
、それはシナ文明と兄弟文明の関係にあることは、以前ここで述べ
たことがある。日本文明とシナ文明の違いは日本文明が自律的創造
的に発展成長できたのに反し、シナ文明は宋時代まで比較的に順調
に発展してきたにもかかわらず、元朝以降は低迷し、見るべき文化
は育たなかった。基本的なエトスは秦漢王朝時代からほとんど変化
せず、儒教を伝統的国教とする古代帝王制を踏襲している。他方、
コリアについて述べると、日本よりやや早くシナ文明の刺激により
文明化したが、地理的に余りに近接しすぎて自律しようもなく、儒
教の受容によって民族文化の否定に走り、独自の生成発展が妨げら
れ、その文化はやせ細って内容が乏しい。支那と同じく家産官僚制
国家であり、李氏朝鮮末期では両班の国家財産や民の私物化が著し
く、日韓併合まで民の半数が奴隷的使役を受けていた。両班は李朝
が潰れるまで政争をくり返しており、滅びるべくして滅びたと、日
本では理解されている。(コリアの民族文化の痩せ方を嘲笑するこ
とは本意ではない。現代日本もまた、西欧文明の挑戦を受けて圧倒
され伝統文化は弊履の如く見捨てられ、滅亡に瀕している。それほ
どの圧力があるということだ。)

 一方、日本文明は西欧的な封建制社会を同時代的に経験し、科学
技術の発展も見られ、関孝和の微分積分学や行列式などは西欧に先
駆けているし、複式簿記など、江戸初期の鴻池、三井、中井(近江
商人)などではすでに日本独自に導入されていた。また、大阪堂島
の先物市場の開設。華岡青洲の全麻酔下の手術は西欧に五十年早い
。伊能忠敬の正確な日本地図作製や子午線(地球外周)の計算など
は独自に行っている。我々が高校で習う数学の典型的例題のほとん
どは江戸時代にほとんど解かれ、日本各地の神社仏閣の絵馬堂に掲
げられたりしていた。従って明治期の数学は横書きから縦書きにす
る程度の変化しかなかったといわれている。江戸時代の中堅どころ
の農家(1町5反程度)では、近くのおかみさんを5〜6人ほど集
めては機を織るマニュファクチャーが勃興していた。西欧以外の文
明でこれほどの科学技術を持った文明は日本文明だけである。近代
工業文明は西欧に先駆けられたが、それは、日本と違い、広大な植
民地という市場が形成され、搾取し尽くした、ただ同然の原料と労
働力があったからのことである。もし植民地がなければおそらく近
代工業文明は起こらなかっただろう。

 日本は、一時期以外はシナの柵封体制に組み込まれておらず、
たとえば江戸時代など、貿易は許しても国交がなかった。当時は「
清国人」とは言わず、「唐人」と呼称していたし、かの国を唐土(
もろこし)と言っていた。シナとは聖徳太子以来、対等の関係を模
索してきたことを忘れてはならない。シナ・コリアは中華意識の下
にあって、日本蔑視の心性が非常に強く、柵封体制にも入らぬ野蛮
国(東夷・西戎・南蛮・北狄)と考えていることは巷間いわれるこ
とである。シナを中国と呼べという押しつけは、日本自身を東のエ
ビスと自虐しろという逆差別である。彼らの「正しい歴史」とは結
局その事に尽きるので、受け入れる必要はないと考える。もともと
大陸の華夷秩序をテンで無視し続け,むしろ日本型華夷秩序とも言
うべき、対琉球関係や対朝鮮関係を模索していた秀吉・江戸幕府以
来の外交努力を考えてくれば、宮沢喜一や河野洋平の売国的「近隣
諸国条項」など、全く伝統を無視した暴挙といえる。

 最後に何故シナでは3〜4百年おきに王朝が交代するのか、仮説
を述べる。
 毛沢東は「六億の砂の民」といった。満州事変では一個師団の日
本軍に三十個師団の支那軍が襲いかかるも、蜘蛛の子を散らすよう
に敗走した。(蛇足ながら、現在の陸上自衛隊は13個師団。当時
は台湾と朝鮮を抱えての15個師団。)どうしてか。国民国家では
ないからだ。封建制社会を経ていない。これが決定的である。近代
産業国家が生まれようがない。軍が強いはずもない。シナは、その
エトスは古代帝王制であり、マックス・ウェーバー流儀でいえば家
産制国家であり家産官僚制国家である。(厳密な学問的定義はどこ
ぞでやってくれ。)ここには公私の区別がない。国の物は自分の物
という意識である。漢帝国以降の支那は三百年乃至四百年の王朝の
興亡史である。ここ二千年というもの、その繰り返しである。漢王
朝までのシナはA・トインビー博士のいう文明的成長と解体をたど
ってきた、典型的な文明であったのに、それ以降は呪縛霊にとりつ
かれたかのように自由な発展性を感じることがない。

 儒教が国教となったのは漢王朝からである。その後ますます儒教
が骨がらみになっていったのがシナである。その後に興った王朝の
パターンは農民革命が起きて新王朝が樹立され、前王朝体制派は皆
殺しにされる。有能な(搾取地獄を知る)皇帝と官僚が善政を敷き
、王朝の基礎がかたまり隆盛に向かう。そして世代交代する。する
と途端に王朝に寄生した官僚たちが国民の生き血を吸う吸血鬼に早
変わりして王朝が倒れるまで搾取し尽くし、儒教イデオロギーによ
って闘争しては、残虐な刑罰で反対派を皆殺しにしながら末期に至
る。そして輪廻の如く農民革命だ。これを易姓革命というが、あま
りにおこがましい。こんなことを二千年も繰り返すなんて欠陥があ
るのだ。はっきり言って「公」意識がないからだ。封建制社会を経
験していない。エトスが違う。大陸では血族さえ良ければあとはど
うなってもいいといった家族主義から一歩も出ていない。国民とい
う概念が育たない。民はいても国民ではなく「搾取の対象」なのだ
。皇帝以下、全ての家族が縁故関係でピラミッド上につながる家族
・縁故主義。今も昔も変わらぬ大陸。共産政権などまったく名ばか
りで生命と財産を惜しみなく搾取しているのだから、こんな国でこ
そ体制派と反体制派の闘いがあるのがもっとも適切だ。日本はその
点、封建制社会を経験してきた、たたき上げの我々国民が参加して
いる「国民国家」である。多少徹底性を欠いているにしても古代帝
王制のエトスが支配する文明ではないのだ。国家は悪だというのは
こんな国にこそ似合っている。

 現実を見てみればよい。シナから流れてくるニュースは「権力を
かさに着た警官が天下の公道に関所をつくって金を巻き上げたり、
政治の中枢では一族を高位高官につけて政治を私物化していたり、
あるいは解放軍とは名ばかりで親分子分で結びついた軍閥が各地に
割拠している」といったものばかりではないのか。日本人には理解
できないほどにひどい収奪が日常的に行われているのだ。国家権力
は利権であり、地位は金儲けの手段であり、大事なのは血族の繁栄
なのである。民は国家など信じていない。「上に政策あれば、下に
対策あり」だ。日本においては「忠>孝」であるのが、シナ・コリ
アでは「孝>忠」である。封建制社会を経て「国民」となり得た日
本では儒学倫理でも「忠>孝」となるが、彼の国々では「孝>忠」
となるのだ。日本は儒学を受容したが、儒教の国ではない。日本は
神道と仏教の国である。ラフカディオ・ハーン(森前首相ではなく
)がいうとおり、「神々の国」である。「祓い(清きあかき心)」
の思想と「垢つかず(不垢不浄)」の仏教思想が深いところで結び
ついた宗教の国である。

 以上、比較文明論とM・ウェーバーの理論を援用して日本文明の
特徴を考えてみました。
西欧文明と中国文明に対する日本文明の違いを私なりに際だたせる
ことが出来たと思っています。市井に住し、他に忙しい仕事をこな
しつつであるから、史論に終わるのはやむを得ないことです。

【 参考 】 家産制 (かさんせい) 
 この語は,K. L. von ハラーが,君主が自分の私的な家産
 patrimonium として取り扱っているような国家を家産国家
atrimonialstaat と呼んだことに由来するが,家産制の概念を明確
な社会科学的概念として確立したのは M. ウェーバーであり,この
概念は今日ではほとんど例外なくウェーバーの規定した意味で用い
られている。

 ウェーバーは正当的支配を,合法的,伝統的,カリスマ的支配の
三つの純粋型に分類するが,家産制は伝統的支配に属する支配の類
型である。彼によれば,この伝統的支配の〈第一次的類型〉は長老
制 Gerontokratie と第一次的家父長制 prim∵rer Patriarchalismus
 とである。長老制とは複数の家から成る団体において長老のおこな
う支配であり,家父長制とは家において家父長のおこなう支配であ
る。これらがとくに〈第一次的類型〉と呼ばれるのは,そこでは長
老や家父長の支配権は伝統に基づく彼ら自身の固有権ではあるが,
しかし実質的には〈仲間権〉としての性格が強く,支配権は支配者
自身の利益のためにではなく,仲間や家族員の利益のために行使さ
れるべきものであるという意識が強く働いているからである。被支
配者はまだ支配者の〈仲間〉であり,〈臣民〉にはなっていない。
これに関し決定的に重要なことは,そこに支配のための〈管理幹部
 Verwaltungsstab(役人)〉が存在していないということである。

 ところが,長老の支配する団体が大きくなり,その組織が複雑に
なるとともに,また家構成員が分与地を与えられて独立の世帯を構
え,主人に対して賦役や貢租を負担するようになるとともに,支配
を維持するための管理幹部を置くことが必要になる。そして,〈支
配者の純個人的な管理幹部が成立するとともに,いかなる伝統的支
配も家産制への傾向を示す〉。すなわち,支配者直属の役人群(家産
官僚)や軍隊が形成されると,支配権は財産権(家産)と同様に支配者
によって完全な意味の固有権として専有され,仲間権的性格は失わ
れ,かつての仲間たちは支配者によって一方的に支配される臣民に
転化し,支配者による恣意的支配が強化される。この支配類型が〈
家産制〉である。家産制においては,一方で伝統への厳格な拘束と
,他方で伝統の許容する範囲内における恣意的な支配と,この二つ
の一見矛盾するような性格が併存している。
        世界大百科事典【平凡社】より



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