「民族自決」の概念の歴史 現在の民族紛争は、民族自決の概念に基づき、自民族の主権を得る 、または守るために起きているケースがほとんどだと言える。そこ から生み出される議論の一つに、「民族自決」の概念の限界と廃止 がある。「民族自決」の廃止論の歴史は長い。しかし、本当に民族 自決の原則は有害無益なものになってしまったのだろうか? この概念が脚光を浴びるようになるのは、1918年のウィルソンの「 14か条」の中に記載された ‘self-determination’ という言葉で ある。ここで、ウィルソンは ‘self-determination of people’ と述べただけであった。問題は、ウィルソンが ‘people’ が具体 的には何を指すのかを明らかにしなかったことにある。これがその 後、 ‘national self-determination’ (民族自決)と解釈されて ゆく。 第1次大戦と2次大戦の間には、このあいまいな概念がヨーロッパの いたるところで民族紛争を起こすことになる。西欧のリベラルの間 ではナショナリズムと民主主義は同義語と捉えられていた。簡単に 言えば、ナショナリズムと共に自決権が与えられれば民主主義も宿 るといった具合である。しかし、実際はこの両者は必ずしも結びつ くものではなかった。リベラル達は現実を見せつけられ、意気消沈 した。これらを現在の世界と照らし合わせてみても、「民族自決」 の概念は世界秩序に対して何ら有益ではないように見える。 しかし忘れてはいけないことが一つある。民族自決の原則はJ .S. Millに始まる19世紀のリベラルにより、君主制国家や帝国内で 抑圧、搾取されてきた少数民族を救うための運動として盛り上げら れた。「民族自決の原則」においては、この点が19世紀から現在に わたり、倫理的にきわめて重要な点なのである。現在の廃止論はこ の観点を無視したものが多いように見える。 柳太郎