494−1.教科書問題について



件名:内政干渉、  
韓国人による日本の文部科学省や,出版社のホ−ムペ−ジに対する
サイバ-テロが行われたと言う情報が入りましたが,韓国人や中国人
は、内政干渉とか治外法権とはどういう観念なのか理解出来ていな
いから、内政干渉的な発言や行動をとると考えた方が良いでしょう。
国枝
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(Fのコメント)
サイバーデモは実行されましたね。韓国の新聞で報道していました
から、これは事実でしょう。自分の思い通りにならないと、デモを
行うのは、正常との感覚であろうと思うが、他国の歴史観を介入す
ると、これは大きな闘争になるのですが、いいのでしょうか??

事件の事実の確認には、議論の可能性があります。韓国で名乗り出
た慰安婦全員が、日本軍がいない地域で売春婦をしていたり、日本
統治時代の初期でそのようなことが明らかに必要が無い時期に連行
されたという証言をしたりで、全員該当しないことが判明したので
す。これは、事実がどうかの判定ができる問題です。これは、日中
韓で行う必要があると思います。しかし、事実を積み上げた歴史の
解釈は、その国特有になるので、議論をすると収集が着かないこと
になるため、やるべきではない。

このため、自国の歴史解釈を内政干渉とする見解が出てくるのです
が、中国や韓国はそのように考えていないようですね。日本からや
られた中国や韓国の歴史を受け入れられないのでしょうから、この
ような、自国の見解を正当化して、日本に要求するのでしょうね。
困ったことですし、それを誘導する日本の新聞にも困ったことです。
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adatiです。歴史教科書問題が気になっています。
毎日新聞の岩見孝夫氏が「サンデー時評」3月25日号で、表記の
題で歴史教科書問題を論じていますが、内容がちょっとどうかと思
ったので、「毎日」に意見を書きました。
(記事の全文は以下で見られます)
 http://www.mainichi.co.jp/eye/iwami/sunday/2001/0325.html

▼岩見孝夫氏の「サンデー時評」3月25日号「『産経』と『朝日
』のケンカ」を興味深く読みました。

まず、氏については新聞、テレビなどでその発言をうかがう限りで
は、毎日新聞の中でも、気骨のあるお一人とお見受けしていました。
というのは、ちょっと辛口の表現になって恐縮ですが、毎日新聞を
読んでいると、大体が朝日新聞の二番煎じ的、かつ日和見的な印象
を受けていたからです。

▼さて、今回の時評の中で、最も興味深い点は、次の件です。
「『産経』は二月二十二日付と三月六日付の二回、一面に、〈『朝
日新聞』の教科書報道〉
というタイトルで長文の記事を載せた。私の四十三年間の記者生活
で、はじめて目にする正面切っての他紙批判である。」

▼これは、まことに正直な発言です。氏のこの正直さには敬意を表
します。だが、この発言によれば、40数年間という長期間、日本
の新聞は他の新聞を正面切って批判をしてこなかったということで
す。これは実に驚くべきことではないでしょうか。
新聞は他の業界批判は結構やります、というより、それが新聞の日
常でしょう。政治家批判、官僚批判、企業批判、裁判批判等々、
その批判が適正なものである限り、これはこれで大切なことです。
けれども、新聞は自分の業界の批判は許さないという悪弊をもって
いる様に思われます。

新聞が銀行を護送船団方式と批判するのは正しいけれど、新聞業界
だって、護送船団方式そのものではありませんか。おそらく、氏ほ
どの方においても、その自覚がまだ弱いのだと思わざるをえません。

▼産経新聞が40数年の慣行を破った「本格的他紙批判」、これは
「新聞の新しい風」でありましょう。しかし、氏の正直な発言は、
この「新しい風」を必ずしも喜んでいないようにも感じられます。
それが残念です。
朝日新聞に対して、産経新聞への反論を期待するような書き方をす
るのも悪いとは申しません。しかし、欲を言えば、毎日新聞も読売
新聞も、そして日経新聞も、教科書問題に対する考え方を明らかに
して、この問題の論争に参戦してもらいたいものです。堂々と、教
科書問題についての論陣を張っていただきたいのです。

そのようして、もっと、エキサイティングにな新聞を作ることがで
きれば、もっと問題の本質が読者によく見えてくると思われます。

▼また、お願いしたいことは、教科書問題が問題化した経緯につい
ては、厳しく調べて発表していただきたいということです。中国、
韓国の両国がなにゆえに日本の歴史教科書にクレームをつけるよう
になったのか。

過去の資料を調べてみると、朝日新聞の「『侵略』を『進出』と書
き改めさせた」というありもしない報道(つまり虚報)が原因であ
るように思われます。国会においても、町村文部科学相もそう明確
に発言しましたね。

▼とすると、次の様な表現は果たして、正確といえるのでしょうか
。氏ほどの方にしては、責任の所在を明確にしない、実に曖昧な(
というより、誤った)書き方と思います。
(・・・これがいわゆる毎日新聞らしさ・・・?)

「約二十年前の教科書問題では、〈侵略〉などの表現をめぐって、
右が左傾を警戒し騒動になった。」

おそらく、他の新聞は真実を確かめずに朝日新聞にならって虚報を
おこなったのでしょう。だから、いわば共同正犯的感覚になって、
自分たちの罪を業界で隠そうとする体質になっているのではありま
せんか。いわゆる責任をとらない、責任逃れ、責任を他に転嫁する
体質です。

▼氏は、「日本の教科書作成に対する毅然たる態度の確立」を主張
されます。しかし、その前に、「新聞の教科書問題の経緯に対する
毅然たる態度の確立」をしていただきたい。

最後に、新聞の意に反して、以外と多くの国民は新しい歴史教科書
の出現を喜び、待ち望んでいるのではないかと思います。どうか、
新聞は各界から偏りなく、この新しい歴史教科書に関連した意見を
ヒアリングしていただきたいのです。サイレントマジョリティーの
声を取材し、報道することは、新聞の使命ではありませんか。
(以上)3月19日
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『産経』と『朝日』のケンカ    岩見隆夫    毎日新聞
 私たちの年ごろ、つまり敗戦時に小中学生だった世代は、教科書
の一部をスミで塗られた異常な体験をしているので、教科書問題で
もめると、またか、と不快感がつのる。 

 国の乱れにつながっていく不安が伴うからだ。しかも、最近の特
徴は、冷静であるべき報道機関の露骨な対立で、『産経新聞』が『
朝日新聞』に噛みつく、という形でもめごとが広がってきた。 

 右と左、という区分けは必ずしも適当でないかもしれないが、
新聞カラーとしては右の『産経』と左の『朝日』である。その立場
・主張の違いを教科書問題に過剰に持ち込むのは好ましくない。 

『産経』は二月二十二日付と三月六日付の二回、一面に、 
〈『朝日新聞』の教科書報道〉 

 というタイトルで長文の記事を載せた。私の四十三年間の記者生
活で、はじめて目にする正面切っての他紙批判である。 
 騒ぎの発端は、現行の中学教科書が偏向していると批判してきた
学者グループが四年前、〈新しい歴史教科書をつくる会〉(会長・
西尾幹二電気通信大教授、以下つくる会)を結成し、独自の
二〇〇二年度版教科書をつくったことである。いま、文部科学省に
よる検定作業の大詰めだが、『朝日』は二月二十一日付の一面トッ
プ記事で、
〈中韓懸念の「つくる会」教科書政府「政治介入せず」 
    修正すれば合格の可能性〉 

 とハデに報じた。複数の政府筋の話が根拠になっていて、国定教
科書ではないから、政治家がかかわって合否を左右するようなこと
はしない方針だという。従って、中国、韓国などが反発を強めるの
は必至、と予測した。 

 なぜなら、昨年四月、〈つくる会〉の教科書を検定申請した段階
では、たとえば太平洋戦争が、 

〈アジア解放を目指した大東亜戦争〉 
 とされ、また日韓併合は、 
〈合法的に行われた〉 
 などと記述されているからだ、という記事である。 

 これに先立つ一月元日付の社説で『朝日』は〈つくる会〉の教科
書に触れ、 
〈日本の一部で高まっている国家主義的な運動は、排外的な偏狭さ
を伴い、国家を誤らせかねない危うさがある。この教科書には、
意図的に中国や韓国との対立を作り出す狙いさえ感じとれる〉 

 と批判を加えていた。 

 翌二十二日付『産経』は、そうした『朝日』による一連のキャン
ペーン的報道が検定終了前に展開されたことについて、 
〈あえて外圧(中国や韓国からの批判)を誘導するかのような報道
には、疑問を抱かざるをえない〉 
 と書いた。中国政府は待っていたかのように、 
〈侵略の歴史を美化するいかなる教科書も登場することを阻止する
よう希望する〉 
 との見解を発表、韓国も同様に反応した。 

 さらに、三月五日付『朝日』がやはり一面トップで、〈つくる会〉
の教科書の筆者側が、検定意見百三十七カ所のすべてを受け入れ、
修正に応じたことがわかった、と報じると、翌六日付『産経』が、 
〈朝日だけを読むと、マッチポンプのような報道である。……日本
の子供たちが使う教科書を外圧から解放するためには、「朝日新聞
の報道→中国や韓国からの抗議→日本政府の政治介入」という悪循
環を断ち切らねばならない〉 
 と切りつける、という経過である。 
歴史教科書の鉄則外圧排し客観的に 
 まず、『朝日』が外圧を誘導している、という指摘は正しいか。
無理があると思われる。『朝日』報道が外圧のきっかけになったの
は確かだろうが、それを意図的な〈誘導〉と言い切ることはできな
い。検定中であろうとも、入手できた情報を報道するのは自由であ
り、当然だ。 

 だが、教科書づくりに外圧を断固排除すべきだという『産経』の
主張も正しい。『朝日』はその姿勢が弱いように映るのが気になる
。だから、『朝日』の先行報道が中韓の抗議に直結し、外圧に気を
もむ日本政府が非公式に検定に介入する、というパターンが繰り返
されているのではないか、と疑われる。 

 言い換えれば、外圧利用によって、『朝日』が望ましいと考える
教科書に近づける、逆に『産経』は外圧批判によって、やはり望ま
しい教科書に持っていこうと意図している、と見られても仕方ない
。お互い〈自虐的〉あるいは〈皇国史観的〉などと批判しあって、
交わるところがなく、子供の教科書が思想闘争の道具にされる恐れ
がある。 

 再び左右の区分けを許してもらえるなら、いまは左が右傾を警戒
しているが、約二十年前の教科書問題では、〈侵略〉などの表現を
めぐって、右が左傾を警戒し騒動になった。当時も中韓両国が敏感
に反応したため、政府はトラブルを恐れて、 
〈近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに、国際理
解と国際協調の見地から必要な配慮をする〉 

 という趣旨の〈近隣諸国条項〉を検定基準に追加したいきさつが
ある。その〈配慮〉をめぐって、いつも日本が外から揺さぶられる
のは、教科書作成に毅然とした態度が確立されていないからだ。 

『産経』が、 
〈どの国の歴史にも光と影の部分がある。それをバランスよく記述
してこそ真の歴史教科書である〉 
 と主張しているのは賛成である。しかし、『産経』がバックアッ
プしている〈つくる会〉の教科書はバランスよくつくられているだ
ろうか。〈大東亜共栄圏〉の賛美につながるような記述が、正当性
を持ちえているはずがない。 

 外圧を排し、歴史的事実を内外に通用する表記法で記す、その事
実の評価が割れている場合は、割れている実情も客観的に記述する
、というのが歴史教科書づくりの鉄則だ。子供たちはそれを読み、
次第に自身の歴史観を固めていく基礎的な素材にするのである。 

 よい教科書をつくるための新聞間論争が望ましいのはいうまでも
ない。だが、一方的な自己主張の押し売りや相手の意図の探りあい
だけでは実りがない。 
『産経』の二度にわたる批判に対して、挑発に乗るまいということ
か、『朝日』は沈黙を守っている。だが、売られたケンカは買った
らどうだろう。ケンカ上手かどうかも、新聞の器量のうちである。


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