483−1.金正日の肩書き



                          辻本  
北朝鮮の金正日さんの正式の肩書きは、「総書記」か「委員長」か。
それはどちらも正しい、が正解です。 
彼自身の自称する肩書きは「国防委員会委員長」です。しかし1997
年10月8日に、朝鮮労働党中央委員会、同中央軍事委員会の連名で、
金正日の朝鮮労働党総書記推戴を宣布するという報道が発表されま
した。つまり自称の肩書きと周囲が呼ぶ肩書きとが違っているので
す。

 なお、父親の金日成主席(この人の肩書きは「党総書記・共和国
主席」です)の死の際に発表された金正日の肩書きは「国防委員会
委員長・人民軍最高司令官」で、党の「書記」という肩書きはあり
ませんでした。 

 肩書きだけを見ると、金正日さんは、党の仕事は自分の仕事では
ないとしている、ということになります。 
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 「(Fのコメント) 
金正日は、国防委員会委員長を正式な肩書きとしているので、総書
記はおかしい。また、そのような国家ポストもないのですから、日
本の新聞、報道はおかしいのです。さすがに韓国の新聞日本語版は
すべて、金正日のポストは国家国防委員会委員長になっている。 
これが正しい。」 

 以上は3月18日付けのFさんのコメントをそのままコピーしまし
た。このなかで大きな誤りは、「総書記」を「国家ポスト」として
いることです。総書記は労働党の最高役職名で、国家の役職名では
ありません。国家の最高の役職名は「主席」です。 

 次に「国家国防委員会委員長」とあるのは、その通りです。党の
軍事関係の最高組織は「朝鮮労働党中央軍事委員会」です。国家の
「国防委員会」と党の「中央軍事委員会」とは違う組織です。 

 北朝鮮は国家よりも党(朝鮮労働党)が優位の国です。従って党
の「総書記」の方が国家の「主席」よりも優位です。亡くなった
金日成の肩書きは「党総書記・共和国主席」で、党の方が先に来て
います。 

 金正日さんは80年代までは党の「書記」という肩書きでした。
しかし90年代のある時点から書記の肩書きがなくなり、国の「国防
委員会委員長・人民軍最高司令官」となりました。この肩書きは
1994年7月8日の金日成の死に伴う葬儀でも変わっていません。 

 そして先に書きましたように、1997年10月に党が金正日を「総書
記」に推戴すると発表しました。しかし彼自身が自ら署名する際の
肩書きは「朝鮮民主主義人民共和国国防委員長」で、2000年6月の
韓国の金大中大統領との「南北共同宣言」においてもこの肩書きです。 

 金正日さんが自ら名乗る際の肩書きに、党の「書記」「総書記」
等の役職名がないということは、党が国家より優位であるという
建国以来の国是と矛盾するものです。 

 想像になりますが、金正日さんは最高権力者であるにもかかわら
ず、何らかの事情で党の職務をはずされたままになって、復帰する
ことが出来ない。党の方は困ってしまって、本人の自称する肩書き
とは別に、総書記と呼んで扱いますよ、となった。 
これは私の憶測です。 
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  金正日さんの肩書きには、自称の場合の国家の「国防委員長」と
、周囲が呼ぶ場合の党の「総書記」とがあります。なぜこのような
事態が生じたかについて、それを示唆するものがありました。 
 1996年12月7日、金正日は金日成総合大学を視察した際に演説を
行なっています。韓国の雑誌『月刊朝鮮』97年4月号に、それが
「金正日12・7秘密演説」として掲載されました。おそらく黄長Y
書記の亡命に関係して韓国にもたらされた文書と思われます。 
 このなかで次の一節があります。 

「首領様におかれては生前に私に絶対に経済事業に巻き込まれては
だめだとおっしゃいながら、経済事業に入り込むと党事業もできず
、軍隊事業もできないと何回も念をおされました。今日の複雑な情
勢の中では軍隊を強化することが何よりも重要であるので、私は
しばしば人民軍部隊を現地指導しています。」 

 「今、軍隊では党政治事業を活発に展開していますが、社会の
党政治事業は、みじめなものです。今まで軍隊の党政治事業は社会
の党事業の影響を受けませんでした。」 
         (訳はどちらも現代コリア研究所) 

 亡き金日成は、息子の金正日に軍事に専念せよ、経済に関わるな
と言った、ということです。これによって、かれは「社会の党事業
」を行なう朝鮮労働党の役職から離れ、国の「国防委員長」として
軍事に専念するわけですが、それはすなわち「軍隊の党事業」を行
なうことです。 
  
 ややこしいですが、「党事業」には軍隊内で行なうものと、社会
一般で行なうものとの二種類があるのです。金日成は、金正日に
後者の党活動を禁止して党の役職を辞めさせたまま、亡くなりまし
た。絶対権力者の命令は死後も有効で、金正日は党に復帰できなく
なりました。 

 しかし党の方は、実質的に最高権力者の金正日が、最高の地位で
ある「総書記」でなければ組織を運営する上で困ります。そこで党
の大衆運動として彼を「総書記」に推戴する決議を各地方組織で上
げさせて、97年10月に、「総書記推戴を宣布」するとなったわけで
す。しかし、金日成の命令がありますから、金正日は党の総書記に
就任できません。 

 つまり、彼は金日成の遺言を守って党の総書記に就任しない
(総書記の肩書きを名乗らない)が、党は彼を総書記として推戴し
、その肩書きで呼ぶことにした。 

 金正日の肩書きについてこのように分析してみました。当たらず
といえども遠からず、と思っています。 
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(Fのコメント)
辻本さん、解説ありがとうございます。その通りですね。私は、金
正日さんが、総書記のポストを受けていないと理解しています。
また、総書記を受けてないため、そのようなポストも現在は存在し
ないと思ったわけです。国家ポストと書いたのは明らかな誤りです。


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