473−1.「正しい歴史」問題



「正しい歴史」問題についての私なりの回答
                                                    Mond
 日本文明とシナ・コリア文明との違いについて一言コメントする。
日本文明は中国古典古代文明を親文明とする現存する文明であり、
それはシナ文明と兄弟文明の関係にある。日本文明とシナ文明の違
いは日本文明が自律的創造的に発展成長できたのに反し、シナ文明
は宋時代まで比較的に順調に発展してきたにもかかわらず、元朝以
降は低迷し、見るべき文化は育たなかった。社会構造は秦漢王朝時
代からほとんど変化せず、儒教を伝統的国教とする古代帝王制を踏
襲し、柵封体制のもと、そのエトスもほとんど変化がない。
 一方、日本文明は西欧的な封建制社会を同時代的に経験し、科学
技術の発展も見られ、関孝和の微分積分学や行列式などは西欧に先
駆けているし、複式簿記など、江戸初期の鴻池、三井、中井(近江
商人)などではすでに独自に導入されていた。また、大阪堂島の先
物市場の開設。華岡青洲の全麻酔下の手術は西欧に五十年早い。
伊能忠敬の正確な日本地図作製や子午線(地球外周)の計算などは
独自に行っている。江戸時代の中堅どころの農家では、近くのおか
みさんを5〜6人ほど集めては機を織るマニュファクチャーが勃興
していた。西欧以外の文明でこれほどの科学技術を持った文明は
日本文明だけである。
 また日本は、はっきり申し上げておくが、一時期以外はシナの柵
封体制に組み込まれておらず、たとえば江戸時代など、貿易は許し
ても国交がなかった。当時は「清国人」とは言わず、「唐人」と呼
称していたし、かの国を唐土(もろこし)と言っていた。シナとは
聖徳太子以来、対等の関係を模索してきたことを忘れてはならない。
 なお、シナ(支那)の呼称は蔑称ではない。国名への蔑称は絶え
て聞いた試しはない。支那人への蔑称はチャンコロであって、最近
は誰もそれを口にしない。シナという用語を抹殺すれば、結局、
明治以来の我が国の文学や学問が議論できなくなってしまう。福沢
諭吉も森鴎外、夏目漱石もみなシナと呼称している。那珂通世博士
の「支那通史」やA・トインビー博士の「歴史の研究」もみなシナ
であり、こんなことに拘ずらわっていたら、結局学問文化の衰亡に
つながるだけだ。そういうことで私自身は使用したいと考える。

 つぎに、シナ・コリアは中華意識の下にあって、日本蔑視の心性
が非常に強く、柵封体制にも入らぬ野蛮国と考えていることは巷間
いわれることである。彼らの「正しい歴史」とは結局その事に尽き
るので、もともと彼らの柵封体制をテンで無視し続け,むしろ日本
的柵封体制とも言うべき、対琉球関係や対朝鮮関係を模索していた
秀吉・江戸幕府以来の外交努力を考えてくれば、宮沢喜一や河野洋
平の売国的「周辺諸国条項」など、全く伝統を無視した暴挙といえる。

 最後に何故シナでは3〜4百年おきに王朝が交代するのか、述べる。
 毛沢東は「六億の砂の民」といった。満州事変では一個師団の日
本軍に三十個師団の中国軍が襲いかかるも、蜘蛛の子を散らすよう
に敗走した。どうしてか。公(おおやけ)意識がないからだ。封建
制社会を経ていない。世人は儒教を有り難がるが、元を糺せばシナ
の発展を阻んできたのは儒教であったことをもっと知らなければな
らない。
 漢帝国以降の支那は三百年乃至四百年の王朝の興亡史である。こ
こ二千年というもの、その繰り返しである。漢王朝までの支那は
A・トインビー博士のいう文明的成長と解体をたどってきた、典型
的な文明であったのに、それ以降は呪縛霊にとりつかれたかのよう
に自由な発展性を感じることがない。
 儒教が国教となったのは漢王朝からである。その後ますます儒教
が骨がらみになっていったのがシナである。その後に興った王朝の
パターンは農民革命が起きて新王朝が樹立され、有能な皇帝と官僚
が善政を敷き、王朝の基礎がかたまり、世代交代する。すると途端
に王朝に寄生した官僚たちが国民の生き血を吸う吸血鬼に早変わり
して王朝が倒れるまで吸い尽くし、儒教イデオロギーによって闘争
しては、残虐な刑罰で反対派を皆殺しにしなければ気が済まない。
これを繰り返すのは「公意識」がないからだ。あるのは血族さえ良
ければあとはどうなってもいいといった家族主義である。国民がい
ない。いるのは搾取の対象だけだ。皇帝から以下、全ての家族が縁
故関係でピラミッド上につながる家族・縁故主義。今も昔も変わら
ぬ大陸。搾取の対象でしかない民が気が触れたように反乱を起こす
までこれが続き、そして王朝が倒され、輪廻のごとくまた新王朝が
作られるというわけだ。
 現実を見てみればよい。シナから流れてくるニュースは「権力を
かさに着た警官が天下の公道に関所をつくって金を巻き上げたり、
政治の中枢では一族を高位高官につけて政治を私物化していたり、
あるいは解放軍とは名ばかりで親分子分で結びついた軍閥が各地に
割拠している」といったものばかりではないのか。
 ここに貫くものは国家権力は利権であり、地位は金儲けの手段で
あり、大事なのは血族の繁栄なのである。その意識はどこからくる
のか。それは儒教とその裏宗教の道教が表裏一体となった中国文化
の倫理からきているのだ。民は全く国家など信じていない。国に政
策あれば、民に対策ありだ。日本においては「忠>孝」であるのが
、大陸では「孝>忠」である。日本人には理解できないほどにひど
い収奪が日常的に行われているのだ。
 日本は決して儒教の国ではない。日本は神道と仏教の国である。
「祓い」の思想と「垢つかず」の仏教思想が深いところで結びつい
た宗教の国である。儒学は江戸幕府の秩序維持に利用されただけの
思想である。


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